06.ドーナツは世界を救う
レリアの案内に従い、街を歩く。魚屋の店主が安い品が入ったと声を張り上げ、道行く人が足を止めた。
かと思えば、男女が道のど真ん中で揉めている。レリアとアルラを端に寄せ、隠すように通り過ぎた。
「お願いよ!!」
女性の言葉に、アルラが握る手の力を強めた。一瞬の内、アルラの纏う空気が凪ぐ。頭上の空間が不自然に歪んだ気がした。
「――アルラ」
俺はただ、静かに名を呼ぶ。今はそれで十分に引き戻せると知っているからだ。
「……分かっている」
不満げな返事と共に、アルラの雰囲気が元に戻る。それに俺が溜息を吐いたのと、不意にレリアが駆け出したのは、ほぼ同時だった。それに、意識がそちらへ向く。
「じゃじゃーん! 到着でーす!!」
レリアが両手を広げて、一軒の店を指す。暖かみのある外観をした店の看板には、ザイフェンブラーゼの可愛らしい文字。
香ばしいだけではなく、甘ったるさの混ざった香りが鼻腔を擽った。それに、アルラが繋いだ手を激しく揺らす。
テラス席では、男性が珈琲を飲んでいた。深みのある香りに、眠気が少し消える。
(俺は、あれでいいか)
小気味良いドアベルの音が、朝の空気を軽やかに震わせた。レリアが扉の向こうに「ただいまー!」と飛び込んでいく。
「行くぞ! ヴェル!!」
「はいはい」
アルラに手を引かれるまま、俺はドーナツ屋の扉を開けた。急に世界に色が増えて、俺には少し刺激が強い。
ドーナツが並ぶショーケースに、アルラは我慢が出来なくなったようだ。俺の手を擦り抜け、駆けて行く。それに、今度こそ噴き出してしまった。
「走るな、アルラ」
「許せ! どれにする? どれだけいい?」
アルラがショーケースの前で、嬉しそうに跳び跳ねる。その背に近寄り、ショーケースの中を覗き込んだ。
「いらっしゃい」
店主の女性が快活な笑みを浮かべる。それに会釈を返した。
レリアが店主の隣でそれをなぞるように「いらっしゃい!」と胸を張る。俺はそれに「どうも」と返した。レリアの後ろに、パッと花が咲く。
「美味しそうだな」
「迷う!!」
「いくつ食べたい?」
「沢山!!」
アルラが勢いよく俺を見上げる。合った瞳に、俺は路銀いれの紐を緩めるしかなかった。
「じゃあ、五つでどうだ?」
「もう一声!!」
「よし、七つ」
「やった!!」
俺はアルラを抱き上げ、ショーケースの中を見やすくしてやる。アルラは端から端まで中のドーナツを確認すると、真剣に悩みだした。
「あのキラキラが乗っているのは、絶対に食べたいだろう」
アルラの目には、そう映るらしい。
(キラキラ――チョコスプレーの乗ってるあれか)
その呟きを拾いながら、俺でも食べられそうな甘さ控えめのシンプルなものを探した。
「むむっ、白か桃色か……。桃色だ!」
「決めたか?」
「決まった!」
レリアがドーナツを指差しながら店主に欲しいものを伝える。最後に俺のものを追加して、珈琲と林檎ジュースも頼んだ。
「いくつか、お持ち帰り用に袋に入れるかい?」
「全部、ここで食べる!」
「だそうなので、大丈夫です。ありがとうございます」
店主は少し驚いた顔をしたが、直ぐに豪快に笑った。
「そうかいそうかい! 畏まりました」
「そんなに食べると、お腹が痛くなっちゃうわよ!!」
「こらっ、レリア!!」
「だって!」
俺は笑うことで、店主に大丈夫だと伝える。店主は「すみませんね」と苦笑した。
(まぁ、もっともな意見だからな)
アルラを下ろし、銅貨で支払いを済ます。店主からドーナツの乗った皿を受け取って、アルラに渡した。飲み物は俺が持つ。
「どうも」
「ごゆっくり!」
アルラと隣り合い、テラス席へと向かう。
「それで? 頼んだお使いは?」
「げっ!? 忘れちゃった」
「あんたって子は……」
後ろでそんな会話が聞こえた。
俺の両手が塞がっているのを見て、アルラが魔法で扉を開けてくれる。それに礼を言って、外へと出た。
「秋の気候は好きだ! 絶好のドーナツ日和だな!」
「そうだな」
空いていた席に座り、ほっと息を吐く。心地のよい風が、色づき始めた街路樹を揺らしていった。それに、目を細める。
「さて、手を組めよ」
「無論だ!」
祈りを捧げ終えると、アルラは早速ドーナツにかぶり付いた。金色の瞳が蕩けるように弧を描く。釣られて、俺も頬を緩めた。
「美味しいか?」
「おいしい! ドーナツは世界を救う!!」
アルラが言うと大袈裟に聞こえないから、たちが悪い。俺は「そいつは、ようございました」と流しておくことにした。
「あんたら、冒険者か?」
珈琲を飲んでいた三十代くらいだろうか。男性が話し掛けてくる。それに、「まぁ……」と濁して返した。
「その祈り、西の大国出か?」
「えぇ、俺はですが」
「ふぅん」
男性は、ジロジロと俺とアルラを見てくる。俺は、珈琲カップに手を伸ばした。カップ本体に指が当たる。暖かいを通り越し熱かった。
「さては! 英雄譚に憧れたクチか?」
茶化すように落とされた“英雄”という言葉。それに俺は、カップを取り落としそうになる。カップがソーサーに当たり、耳障りな音を出した。
「ははっ、そんな風に見えます?」
「西の大国出の冒険者は、よく酒場で英雄譚を語ってるぜ? 俺は好きだけどな」
「おれ、は……」
「ワタシは全く好きではない! ので、ヴェルは英雄譚を語らないぞ!!」
アルラが頬を膨らませ、話に割って入ってくる。男性は、少し困った顔をした。
「そうだったのか。それは、すまないな」
「いーよ! おにーさんは、この街の人?」
あからさまに話題を変えてくれたアルラに、ほっと胸を撫で下ろす。そこで、指先が震えているのに気付いた。
「そうさ。ずっとこの城塞に囲まれて生きてる。……冒険ってのは、楽しいかい?」
「ワタシはね!」
男性は、眩しそうに目をすぼめる。珈琲を飲み干すと、逃げるように席を立った。
「まぁ、ゆっくりしていきな。旅も大変だろう」
まるで自分に言い聞かせるようだった。
(あぁ――この人は、|冒険者にならずに生きる《そっちの》道を行くのか)
男性は俺達の返事を待たずに、珈琲カップを持ち店の中へと消えていく。俺はゆっくりとカップを持ち上げ、今度こそ珈琲を口に含んだ。
「苦そうだな?」
「ん、ちょっとだけな」
アルラが少し意地悪に笑む。俺は誤魔化すように、ドーナツを千切り口に放り込んだ。




