26.背を見送るのだけは
この町には、換金所はなかった。
旅の支度はレリアのいた城塞都市で完璧にしたので、この町では必要最低限だけをヴェルは揃えることにしたらしい。
柔らかい朝日が、ヴェルの銀色の髪を優しく照らす。夜とは違い町には活気があふれていた。
金属がぶつかる音と慣れない蒸気の何処か甘みのある独特の匂いに、ワタシは眉をしかめる。
(鼻がよいのも難儀なものよ)
慣れるが早いか。町を出るのが早いか。
そこまで考えてベベルギオーアを出るまでは、ずっとこの匂いと付き合わねばならないことを思い出した。
「ヴェルよ」
「ん? どうした?」
「だっこ」
少し酔ってきてしまったワタシは、空いていた右手をヴェルに伸ばす。ヴェルはキョトンと目を瞬いたあと、心配そうに眉尻を下げた。
「大丈夫か?」
「よった。だっこ」
「はいはい。無理するなよ」
ヴェルは手を離すと、いつものように抱えてくれる。ワタシは、ヴェルの肩口に鼻を埋めた。
「んー……。甘いのが無理だ」
「あぁ。昨夜、チャールズに聞いといたぞ。例の鉱石のせいだな」
「凄いやつか?」
ヴェルの大きな手が、ワタシの背をゆっくりと擦る。それに、ほっと息を吐き出した。
「特殊化石燃料【ルミナスシマー・コール】が、その鉱石の名前だったよ」
「るみなすしまー?」
「そう。普通の石炭は、もっと焦げっぽいスモーキーな匂いらしいがな」
「そうか。それはそれで、何とも言えんな」
焦げ臭いのも好きではない。ワタシは、ヴェルにグリグリと顔を擦り付け目を閉じた。
ヴェルの手がポンポンッと背を跳ねる。ワタシは満足して頬を緩めた。ヴェルが再び歩き出す。
「この町は緑が少ない……」
「そうだなぁ」
澄んだ空気の方が好みだ。首都に向かえば、もっと減るのだろうか。ワタシは早く慣れようと、気合いを入れ直した。
ヴェルの選択に付いていくために。
(ワタシが足を引っ張るわけにはいかん!!)
このままでは、ヴェルがベベルギオーアを早々と出る選択をしかねない。
昨夜の楽しそうなヴェルの顔を思い出して、ワタシは目を細めた。
(楽しくてよい。よいのだ、ヴェルユス)
ワタシはヴェルの首に腕を回す。ぎゅっと抱き付けば、ヴェルは「どーした? しんどいなら宿に戻るか?」そう気遣わしげな声を出した。
「問題ない」
「……分かった」
ヴェルは納得いっていなさそうな声を出したが、ワタシの意思を尊重してくれるらしい。トントンとヴェルの手が背を一定のリズムで叩きだした。
体が休息を求めて、ウトウトと瞼が重くなっていく。それに思わず、ぐずるような声を出してしまった。
「寝てていいぞ」
「んむぅ……」
「大丈夫だよ。宿に戻ったりしねぇから」
「……うん」
置いていかれるのは不服だ。それが例え、宿のベッドの上だろうと。
(ヴェルにだけは――)
木格子越しに幾度となく見送った人間達の背には、特に何も感じなかったというのに。
自分がヴェルに、“いってきます”と言うのはいい。しかし、“いってらっしゃい”とヴェルの背に言うのは嫌だった。
どちらも変わらない気もするが、嫌なものは嫌なのだ。ワタシはヴェルと離れないように、しっかりと引っ付いておく。
「ヴェル……」
「ん、おやすみ」
抵抗虚しく、ワタシの目は閉じていった。
「……おやすみ」
我ながら渋々そうな声が出る。それにヴェルが、ふっと笑ったような気がした。
ふと意識が浮上する。寝る前と変わらぬ暖かさを感じて、ワタシは頬を緩めた。
「アルラ? 悪いな、起こしたか」
「いや、だいじょーぶだ」
寝起きのふわふわとした微睡みを堪能する。ヴェルの歩く揺れに、再び眠りそうになって欠伸が零れた。
「まだ寝てていーぞ?」
「んん、んー、いやだ」
「えぇ……? 体調は?」
「随分とよい」
少し寝たからか、匂い酔いはマシになっていた。相変わらず街は蒸気の匂いに満たされているが、段々と慣れてはきたらしい。
「お腹が空いた」
「元気そうで何より。まだ昼にはちょっと早いが……。もう食べるか?」
「食べる!!」
ガバッとヴェルの肩口から離れて、顔を見上げる。合ったヴェルの空色の瞳が見開かれた。ついで、ゆったりと穏やかに細まる。
「じゃあ、そうしようか」
「昨日と同じ【ブルーム】か?」
「あぁ。ご飯屋さんは、あそこしかないらしい。昼も開いてるってさ」
「ワタシも聞いたぞ! 昼はバゲットのサンドイッチが売りらしい!!」
ウキウキとワタシが体を揺らしても、ヴェルは気にした様子もなく歩き続ける。全くもって、ふらつくことはなかった。
(あれだ。ヴェルは体幹がよいとか誰かが褒めていた!!)
ヴェルが受け取りきれなかった賛辞は、ワタシが覚えておくので問題なし。その都度、ワタシがたくさん褒めればよいのだから。
「ヴェルは体幹がよいな!」
「急にどーした??」
ワタシの言葉にヴェルは、疑問符を大量に飛ばした。反応に困ったように眉尻を下げる。
「本当のことだろうに」
「どーだろ?」
最終的にヴェルは、照れ臭そうに笑った。どうやら、受け取る気になったらしい。それにワタシは満足して、ふふんっと口角を上げた。
「何で自慢気……」
「当然だな!!」
「そーなの?」
ヴェルは不思議そうにしながらもそれ以上は何も言わなかった。否定の言葉も何も。
(よしよし。それで良いのだ!!)
いずれは、賛辞を素直に受け取れるようになる日がくる。
(きっと。きっとだ)
ワタシが言うのだから、間違いはないのである。腕を組みワタシは、うんうんと頷いた。




