第5話 仮でいいなら
昼休みの終わり、個別端末に通知が来た。
《仮ペア補助申請候補》
その下に、白石凛の名前があった。
候補。
申請ではない。決定でもない。
ただの候補。
なのに、指が画面の上で止まった。
隣の席で大河が端末を覗き込もうとしてくる。
「お、誰出た?」
「見るな」
「白石?」
「なんで当てるんだよ」
「空気」
大河はそう言って笑った。雑なわりに、外す時と外さない時の差が妙にはっきりしている。
花宮が前の席から振り返る。
「神代、顔」
「顔?」
「今、すごい面倒な顔してる」
「そんな顔あるのか」
「ある」
小鳥遊が横から覗き込む。
「いや、眠いだけかも」
「二人とも、人の顔で遊ぶな」
笑って返したつもりだった。
でも笑いきれていなかったのか、花宮はそれ以上茶化さなかった。
大河は本当に欠伸をした。花宮がペットボトルのふたで軽く机を叩く。
「寝ない」
「寝てねえし」
端末の通知には、短い注意書きがついている。
《本候補は初期同期観測対象です》
《実技査定時、接続波形を優先記録します》
《申請後の取消は担当教員の承認が必要です》
仮のはずなのに、妙に重い。
俺は通知を閉じた。
画面は消えた。
親指だけ、まだ端末の端に残っていた。
「神代くん」
声がして、顔を上げる。
白石が机の横に立っていた。
教室が静かになる。みんなが見ているわけじゃない。見ていないふりをしながら、耳だけこちらに向けている。
「通知、来た?」
「来た」
「そう」
白石はそこで一度黙った。
言葉を整えているのではなく、余計な言葉を削っているように見えた。
「私は、申請してもいい」
「……仮で?」
「仮で」
「それ、言い方」
「何」
「いや、契約書みたいだなって」
白石の眉が少し寄る。
「軽く言った方がいいの?」
「そういう意味じゃない」
「なら、どういう意味」
詰まった。
口にしたあとで、白石の目だけが残った。
軽かった。
「悪い」
言ってすぐ、白石の目が細くなった。
「また」
「今のは、ちゃんと」
「何に対して?」
「……ごまかした」
白石は黙った。
その沈黙が、昨日より長く感じた。
「なら、いい」
「いいのか」
「ごまかしたって言ったから」
白石は端末を出した。申請画面には、俺の名前と彼女の名前が並んでいる。
まだ、どちらの承認も入っていない。
「先に聞く」
「何を」
「神代くんは」
白石は一度、言葉を切った。
「……私と組むの、嫌?」
教室の音が薄くなる。
ない、と言えば済む。
白石の指が、端末の端を押さえている。
済ませるための言葉なら、いくつか浮かんだ。
「嫌では、ない」
白石の指が止まる。
「でも」
「いい」
白石が遮る。
声は強くない。強くないから、余計に止まる。
「今の、答えになってない」
「白石は」
言いかけて、俺は止まった。
周りの空気が近い。
「……いや、やっぱいい」
「聞いて」
即答だった。
でも、そこから先が出てこない。
白石は視線を外す。窓の方でも、端末でもなく、何もない机の角を見る。
「昨日の、あれ」
「あれ?」
「神代くんが、勝手にこっちへ来たやつ」
「何を」
「あれが、いつもなのか。私の時だけなのか」
返せなかった。
教室の後ろで大河が椅子に膝をぶつけた。
「痛って」
誰かが笑いかけて、すぐ黙る。
白石は端末を俺の前に置く。
「仮でいい。今は」
今は。
その言い方に、指が止まる。
俺は自分の端末を出した。画面に表示された承認ボタンは、小さかった。
押せば仮になる。
押さなければ、補助判定に回る。
どちらでも逃げではない、と言えそうだった。
どちらも逃げにできそうだった。
「白石」
「何」
「俺、たぶんうまく合わせようとする」
「知ってる」
「それで嫌だったら、言って」
「もう言ってる」
白石は笑わなかった。
でも、次の息だけが少し浅くなった。
何か言い返すかと思った。
白石は言わなかった。
俺は承認を押した。
続いて、白石も押す。
画面に小さな文字が出る。
《仮ペア申請を受理しました》
《初期同期観測対象》
《接続波形要確認》
最後の一行だけ、表示が消えるまで少し時間がかかった。
白石もそれを見ていた。
「神代くん」
「何」
「今の表示、見た?」
「見た」
「なら、見なかったことにしないで」
白石は端末をしまう。
その横顔はいつも通りに戻っていた。
でも俺は、さっきの一行が消えるまでの遅さを、まだ覚えていた。




