第3話 軽いと言われる
「白石と補助観測?」
翌朝、席に着く前に小鳥遊に捕まった。
捕まった、というより、逃げ道に立たれていた。小鳥遊はいつも声が大きいわけではないのに、必要な時だけ妙に通る声を出す。
「そう」
「どうだった?」
「普通」
「神代の普通って、だいたい普通じゃない時に出るよね」
隣で花宮が笑う。大河はまだ来ていない。来ていたら、もっと騒がしくなっていたと思う。
「何もなかったよ」
「何もなかったなら、城崎先生が授業終わりに記録室行かないでしょ」
小鳥遊はさらっと言った。
こちらの反応を見るでもなく、自分の端末に視線を落としている。だから余計に逃げにくい。
「見てたのか」
「見えた。先生、端末持ってたし」
「たまたまだろ」
「そうだね。たまたま、神代と白石のあとに、たまたま記録室」
花宮が「小鳥遊、性格」と小さく言う。
小鳥遊は気にしない。
「で、申請するの?」
「まだ」
「まだ?」
「今日の実技見てから」
「また見てから」
その言葉に、喉の奥が引っかかった。
昨日、大河にも似たようなことを言われた。花宮にも。俺はいつも、見てから決めると言う。実際、見るのは得意だと思う。動きの癖、呼吸の間、無理をしている時の目線。そういうものは、人より早く拾える。
拾えるだけだ。
「神代って、最初だけ合わせるの上手いよね」
小鳥遊が言った。
声は軽い。内容だけが軽くない。
「最初だけ?」
「うん。初動はすごい。相手が困らない位置に入るし、失敗しそうなところも埋める。でも長くやると、相手が誰でも同じ形になる」
「褒めてないよな」
「褒めてる部分もある」
花宮が少し目を伏せた。
小鳥遊は続ける。
「接続って、相手に合わせるだけじゃ安定しないでしょ。合わせすぎると、相手の形が消える」
返事が遅れた。
分かる、と言いかけた。
言ったら、終わりそうでやめた。
「白石、そういうの嫌いそう」
花宮の声は、さっきより柔らかかった。
「嫌いそうっていうか、昨日すでに嫌われたかも」
「何したの」
「謝った」
「何に?」
「それ聞くの流行ってる?」
花宮が吹き出した。小鳥遊は笑わなかった。
「大事じゃない? 何に謝ったか分からない謝罪って、便利だけど雑だし」
雑。
その言葉だけが残った。
昨日の白石の目が浮かんだ。
すぐに消した。
「おー、朝から神代いじめか」
大河が教室に入ってきた。声が大きい。空気の端を雑に押し広げるみたいな声だ。
「違うよ。観測」
花宮が言う。
「怖っ。女子の観測、怖っ」
「大河の方が声量で圧かけてる」
「俺は善意」
「善意が一番うるさい時あるよ」
そのやり取りで、場が少し軽くなった。
俺も笑った。笑って、会話の外へ抜けようとした。
その時、教室の前の端末が鳴る。
短い通知音。
昨日、実技室で聞いた音に少し似ていた。
未提出者への個別連絡。
画面に表示された文字を、何人かが読み上げそうになってやめる。
《本日三限・基礎同期実技》
《神代玲、白石凛は観測補助席で参加》
《担当教員の指示に従うこと》
大河が「補助席?」と眉を上げる。
小鳥遊が端末を見る目を細めた。
「普通、そんな表示出ないよね」
「たまたま」
言ってから、机の角を見た。
花宮がこちらを見ている。
「神代」
「何」
「今の、逃げ方ちょっと下手」
言い返せなかった。
三限までの時間が、妙に短く感じた。
白石はまだ教室に来ていない。彼女の席は空いたままで、机の上には何もない。
誰かが「白石さんも未提出なんだ」と言った。
別の誰かが「意外」と返す。
「真面目そうなのにね」
「相手選び厳しそう」
「ああいう子、組む方も疲れそう」
声は浅い。
笑い声は浅い。
浅いのに、止める言葉が出てこない。
俺は立ち上がりかけて、やめた。
言うなら何を。
やめろ、でいいのか。
白石の机はまだ空いている。
俺は立ったまま、半端に椅子を鳴らした。
扉が開いた。
白石が入ってくる。
噂は、ちょうどそこで途切れた。
彼女は何も聞こえていない顔で席へ向かった。
鞄を置く手が、一拍だけ遅れた。
俺はその遅さだけ見ていた。
白石は席に座る前に、こちらを見た。
「神代くん」
「何」
「三限、余計なことしないで」
周りが少し静かになる。
「余計なことって」
「合わせようとすること」
白石はそれだけ言って、席に座った。
言い返す余地はあった。
でも、ない気もした。
俺の中で、昨日の耳の奥の軋みが戻ってくる。
自分の呼吸に、他人の呼吸が混ざる感じ。
あれを思い出すと、「余計なこと」という言葉が耳の奥で擦れた。




