第13話 観測室
翌朝、校門の前で白石を待つことになった。
待つ、というほど早く来たわけではない。
いつもの時間より少しだけ早い。五分くらい。たぶん、それくらいだった。
校門の横では、生活指導の先生が挨拶をしている。眠そうな一年が何人か、返事を飲み込んだまま通り過ぎた。自転車置き場の方からブレーキの音がして、誰かが「危な」と笑う。
普通の朝だった。
普通の朝なのに、ポケットの中の端末だけが重い。
昨日の通知は、まだ閉じていない。
閉じたはずなのに、閉じた気がしない。
《個別確認区分》
《第二実技棟観測室》
《通常仮ペア記録は個別確認対象に含まれません》
文字を思い出すだけで、手のひらの内側が少し湿る。
「神代くん」
声は、後ろからだった。
振り返ると、白石が立っていた。髪はいつも通りきっちり結ばれている。制服も乱れていない。鞄の持ち方まで昨日と同じに見える。
でも、目の下だけ少し薄い。
寝不足、と決めつけるには小さい。小さいけど、見えた。
「早いな」
「そっちも」
「五分くらい」
「私も」
そこで会話が切れた。
待ち合わせをしたのに、待ち合わせっぽくない。隣に立つ理由はあるのに、並ぶ理由をお互いにまだ持てていない感じがした。
白石は校舎の方を見た。
「行く?」
「うん」
並んで歩き出す。
校門を抜けると、同じ制服の流れに混ざる。誰も大きく騒いだりしない。けれど何人かが、俺たちを見た。正確には、俺と白石が一緒にいるところを見た。
見るだけなら、まだいい。
見たあとで、少し声が低くなるのが嫌だった。
「昨日の通知」
俺が言うと、白石はすぐには返事をしなかった。
「見た」
「いや、見たのは知ってる」
「じゃあ何」
「その」
続きが出ない。
どうだった、と聞くのは変だ。怖かったか、と聞くのはもっと変だ。大丈夫か、はたぶん一番だめだ。
白石は少しだけ横目で見た。
「言葉、探してる?」
「探してる」
「見つかった?」
「まだ」
「じゃあ、今はいい」
白石は前を見る。
突き放された感じはしなかった。
ただ、保留された。
下駄箱の前で、大河に見つかった。
「お、朝から一緒か」
声が大きい。
いつも通り大きい。
何人かが振り返る。
「大河」
「いや、違う違う。俺は何も言ってない」
「言っただろ」
「一緒か、は事実確認」
花宮が後ろから大河の鞄を軽く叩いた。
「声量」
「お前ら朝から厳しくない?」
「朝だから厳しいんだよ」
小鳥遊が靴を履き替えながら言った。こちらを見もしない。
「神代、今日観測室?」
言い方がさらっとしているせいで、逆に逃げにくい。
「たぶん」
「たぶんじゃなくて、通知来たならそうでしょ」
「そう」
白石の指が、靴箱の縁に触れた。
ほんの一瞬。
小鳥遊はそれを見たのか、見なかったのか分からない顔で続けた。
「説明、全部信じなくていいよ」
「え?」
「先生の説明」
白石が小鳥遊を見る。
小鳥遊は靴を整えながら、淡々と言った。
「分かりやすい説明って、だいたい誰かに都合いいから」
「小鳥遊、朝から重い」
花宮が言う。
「現実的助言」
「それ便利だね」
大河が感心したように言った。
「俺も使おうかな。現実的善意」
「大河のはただの声量」
「ひでえ」
そのやり取りで、下駄箱前の空気が少し普通に戻った。
白石は笑わなかった。
でも、さっきより肩の力が少し落ちたように見えた。
教室に入ると、共有端末には今日の予定が流れていた。
《放課後 第二実技棟観測室使用予定》
《個別確認対象者は担当教員の指示に従うこと》
名前は出ていない。
出ていないのに、何人かは俺たちを見た。
名前がない方が、余計に分かる時がある。
席に着くと、大河が前の席を勝手に使って振り返った。
「観測室って何すんの」
「知らない」
「お前、知らないの多くね?」
「最近増えた」
「白石は知ってんの?」
大河が悪気なく聞いた。
白石は自分の席でノートを開いていたが、聞こえていたらしい。
「知らない」
「白石でも?」
「白石でも」
返事は短かった。
でも、少しだけ雑だった。
大河が「おう」とだけ言って、珍しくそれ以上踏まなかった。花宮が目で褒めている。大河は気づいていない。
一限目の授業は、ほとんど入ってこなかった。
教師の声は聞こえている。板書も写している。なのに、行の途中で何度も視線が端末へ落ちる。
白石は前を向いていた。
真面目に聞いているように見える。
見えるだけかもしれない。
ペン先が、同じところを二度なぞっていた。
昼休みになっても、俺たちは観測室の話をしなかった。
大河がパンを落とした。
小鳥遊が「三秒ルールとか言わないで」と言った。
大河は「言う前に言われた」と本気で悔しそうだった。
花宮が笑って、白石も少しだけそちらを見た。
その横顔が普通すぎて、逆に落ち着かなかった。
放課後は、思ったより早く来た。
第二実技棟へ向かう廊下は、昨日より静かだった。
白石は隣を歩いている。
近い。
けれど、昨日の駅前ほど近くない。
観測室は、B室より奥にあった。
扉の上に小さなプレートがある。
《第二実技棟観測室》
その下に、細い端末が一つ。
城崎先生が、扉の前で待っていた。
「来たか」
「はい」
白石の返事は早かった。
早すぎた。
先生は端末を操作する。
扉のロックが外れる音がした。
開いた隙間から、冷たい空気が流れてくる。
実技室の冷たさとは違う。
人が動くための部屋ではなく、誰かを見るための部屋の冷たさだった。
中には、机が三つ。
壁一面の記録端末。
正面の画面には、俺と白石の名前が並んでいた。
神代玲。
白石凛。
その下に、小さく表示されている。
《個別確認区分》
《記録保持中》
白石が一歩、止まった。
俺も止まる。
先生が振り返る。
「入れ」
白石は返事をしなかった。
俺も、すぐには動けなかった。
画面の中の名前だけが、先に部屋へ入っていた。




