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流界の魔女  作者: blazeblue
Extra Stage -encore-
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Ex04 不思議の終焉




 慎二が異世界に来てから、時計の表示上では3日が経過した。つい先ほど日付が変わったばかりのミュゼルでは5日目となる。姉曰く日本とこの場所では時間の流れに若干の誤差があると言うが、予定にはもう少し余裕があることで経過日数自体は彼はあまり気にしていなかった。


(まぁ、いてもあと1日2日だっていうし)


 文机から視線を移せば窓の外には深夜の空、光がほとんどないために星が良く見えた。王都に強い光を放つ施設が無いことだけでなく、元々の生活からして早寝早起きなのだ。宿を借りたフォレイン侯爵――ヴァル家は王都の別邸とはいえ初日に見上げて驚いたほど大きいが、それに見合った人数がいる筈のここですら既に人の動く気配はほとんど感じ取れない。

 現代日本では夜更かしが常になっていた慎二だが、そんな彼もだんだんと早寝の生活に慣れ始めているらしい。ふあ、と欠伸をもらすとここ3日で書き溜めたノートを閉じ、机の隅に置いた燭台を手にしてベッドに向かう。


「えぇと、こうすれば……」


 いくら姉のコネがあろうとも、明かりの燃料が無料だと思うほど慎二もおめでたくはない。それにも関わらず深夜まで起きていられたのは、鬼教師による”地獄の36時間耐久特訓”のおかげで簡単な明かり程度なら自作できるようになったからだ。付け焼き刃でしかないために姉のように自在とは言わず、言葉で細かい指定が必要であることと、成功率が低いことが課題となっている。

 本当ならばそれでもあり得ない習得スピードだと知らない人間から詰め寄られたこともあったが、召喚されたことで魔力との親和性が高まったから――などと難しい話で姉は学者を煙に巻いていた。理由や原因に興味がない彼にとっては、使えるものは使うだけの話なのだが。


「よし」


 最後にふっと息を吹きかけると、炎ではないはずの”光”が燭台の上で揺らめいて消えた。ただの光を灯す術でも一葉とは違い道具抜きではなかなか成功しないが、これはこれで満更でもない慎二である。灯りの消えた燭台をベッドのサイドテーブルに置くと、仰向けで倒れ込みながら頭を抱えた。

 予定には余裕がある。しかしそれ以外では、この世界に来た時点で問題が確定済みとも言える。


「あー、帰ったらどう誤魔化そう。インターン? 急に行ったのかとか面倒か。父さんの実家? がっつりケータイ通じるって知ってるしな。ってゆーか、どれにしてもいきなり連絡つかないとかありえねーし」


 召喚されたあの日、彼は直前まで友人たちとメールのやり取りをしていた。何ということもない内容でも返信が無いとなれば心配をさせてしまうはずで、絶対的に自分の責任ではないが、その誤魔化し方に頭を悩ませる。

 本当のことを言うなどとは論外。後で家族と口裏を合わせる必要がありそうだった。


「まぁ、何にしても一人じゃなくて助かったー。今だけは神様に礼を言ってもいいな」


 こうして後を考えられるのも、命の保証をされていることに加え、自分の事情を完璧に把握したうえ何でも答えてくれる”ナビゲーター”がいるからこそだと理解している。彼は運命の神と隣室の親族、双方に向けた感謝で空中を拝んだ。


「確かに長月先輩に連絡するって言ってたし、あいつらも何かあれば先輩たちにも聞いて回るだろ。どうにか誤魔化してくれてますよーに……うぉ!?」


 今後のことを思い両手を合わせていたその時、突然隣室に投げ込まれた魔力を感じて飛び起きる。下手をすれば見逃してしまいそうな弱さだが鋭い針のようなそれは、姉のスパルタ教育に曝されていたからこそ感知できた代物だった。反射的に電撃の痛みと痺れを覚悟して、しかしその”魔法”は既に解除されていることを思い出すと、すぐに隣とつながっているドアに駆け寄った。


「姉ちゃん、おい、何が」

「慎二、5分以内に着替え! 借りた服じゃなくてジーパンの方ね!」


 扉を開けようとする前に叩きつけるような声が返る。未だ起きていたことは知っていたが、夜中とも思えない緊迫した声で何事かと戸惑ってしまい行動に結びつかない。


「いいから早く! 見ないであげるって言ってるんだから、とにかく支度しながら聞いて」

「わ、わかった」


 切羽詰ったとは言わないがそれなりに慌ただしい様子だ。問題が発生したようだと見当をつけると、借りていた寝間着からジーパンとTシャツに着替えながら慎二は耳を澄ました。


「城の知り合い……えぇと、宰相のゲンツァさんわかる?」

「あぁ、あの優しそうなじーさん」

「じーさん……んんっ、まぁ、あの人なんだけど、その親戚の人? から伝言が来てね」


 笑いを吹き出しそうになっているらしい一葉が咳払いで誤魔化して、話を続けた。


「私たちがずっとこっちにいるもんだと思い込んでる人とか、純粋に私たちを便利な召喚獣扱いしてる人とか、あんまり気分良くない系の人が良くないことを企んでるっぽいんだよね」

「うへぇ」

「もちろん純粋に国のために私の――私たちの力を、って人もいるけど。私も慎二も異界渡りを経験したおかげで強い力を持ってるでしょ。目をつけられたっぽい。とにかく、国にとって善意でも悪意でも国民じゃない私たちにとっては同じだし。だから面倒になる前にね」


 着替えが終わり私物を整理していると、開けるよ、の声と共に返事も待たずドアが開く。そこには慎二と同様、Tシャツとカーゴパンツ、首にはタオルを巻いて裸足の一葉が仁王立ちしていた。思わぬ機会で戦う様を直接見たからか、小さな体格の偉そうな格好も今の慎二にとっては滑稽ではなく頼もしい。何しろ慎二は身を守る術を使えないのだ。


「夜逃げか」

「夜逃げだ」


 よく似た姉弟は”うむ”と頷き合った。


「姉ちゃん、『狛犬』は」

「あぁ、アレ……うん、置いてく」


 危険な時にはずっと傍にあり、また手元に戻ってきた”相棒”ともいえる剣だ。誰の目にも苦々しい表情から苦渋の決断だとわかるが、確かに持っていたところで日本での活躍の機会は無い。


「代わりに、術を組んでかけた。メモも残したしアリアの力になってくれるはず」

「お気持は嬉しいですが、そういったことは出来れば直に言ってほしいです」


 何の前触れもなくかけられた鈴を転がすような声に、一葉と慎二は驚きで身を固めた。慌てて見回せば一葉の部屋の中、閉じられたドアの前に、ウィンとレイラ、サーシャに護られる形で金と碧の貴人が立っている。


「あ……アリア、なんでここに!?」

「それは説明しますから、まずは二人とも魔力を抑えてください」


 驚き、戸惑いなどにより魔力が大きく乱れた慎二と、反射的に魔力を束ねて攻撃へ移ろうとした一葉にウィンが苦笑いを向ける。その表情から、姉弟はこの登場が彼の意に沿うものではないと理解した。


「で」

「イチハ、先ほど貴女はニストローマ公爵家からの伝言を受け取りましたね?」

「あぁ、うん、ゲンツァさんの親戚筋だって人から」

「それを送ったのはアリエラ様です」

「は!?」


 目と口を驚きで”ぱかり”とあけた一葉にウィンが大きく頷いてみせた。慎二はなぜ一葉がそこまで驚いているのかは理解できないが、少なくとも王女自らが取る行動でないことだけは分かる。


「え、ちょ、声とか、でもアリアはそこまで」

「えぇ、私はそう強い術を使えませんでしたよ。イチハがいたときには、と注意書きが付きますが」

「ずっと鍛錬を積まれていたのです。攻撃にはとっさの自衛一撃程度の威力ですし防御はご自分ではしないでいただくことに決めましたが、伝令の術はゲンツァ様よりも上手いかもしれません。それから、気配を隠したり逆に”そこにある”と錯覚させることは天才的でした」

「えぇ、何しろ私、昔はレティ様とかくれんぼをして、最後まで見つからなかったそうですしね」


 つまり、攻守にはまったく使えないが、伝令や隠密活動だけならこの上なく有能だということ。じわじわと理解が及んだ一葉は深いため息を吐いて顔を手で覆っている。慎二もまた、何とも言えない気分だった。


(王女が聖女やら神官だったりはよく聞くけど、まさかの盗賊シーフかよ)


 それで、と、一葉は奥歯に物が挟まったような何とも言えない顔をアリエラに向けた。


「何でアリアが? 伝言の内容はいたずら?」

「ゼスト様の」


 それまで何も言わずに控えていたレイラが、そっと口を挟む。


「ゼスト様の、お気遣いかと。イチハ殿が還ってしまう前に、もう一目と」

「……えぇ。そうでしょうね。何しろレイラたちを連れて誰にも気付かれないよう、かつイチハには正体を隠して伝言をするように言ったのはゲンツァとゼストですから。危険が無い限りは術の使用を許可されたのもアリエラ様のみです」

「私はつい1刻前に聞かされましたけどね」


 灰金の騎士による状況説明に、紫眼の魔術師が疲れた声で合の手をぼやく。コマイヌを置いていくようなら声を掛けても良いと言われたのですよ、と金と碧の王女は今にも泣きだしそうな笑顔で言い、その後ろでは騎士の服を纏った水色の瞳の侍女が無表情で控えている。


「全部読まれてたかぁ」

「あの父上ですからね」

「そうねぇ。勝とうなんて100年早いか」


 初めて会ってから常に狸の手のひらで転がされていた一葉は苦い顔で納得をして、狸の息子がネタばらしをする。


「ちょっとした卒業試験です。指示を完遂できたなら、アリエラ様の学習期間を終了しようと。何しろこの指令が成功した暁には、恐ろしく魔力に聡い黒瞳の魔女……貴女を騙しおおせるような手練れに成長したと証明できるのですからね。晴れて王族として、専門的な職を与えられるはずです」

「確かにね。今のアリアの腕なら振るいどころはたくさんありそう」

「ちなみに、内容にも間違いはありません。明日になればイチハもシンジも面倒な立場になります。言い方は悪いですが”便利”な存在が2人に増えたのです。高確率で引き離されてしまうでしょう」


 ウィンの言葉に肩を竦めると一葉はするりと与えられた部屋に戻る。そうしてベッドの上に横たえられた二振の『狛犬』を手に取った。姉の行動を何となく読めた慎二はただ、無言で見届けることに決めた。


「レイラさん、サーシャさん。これを」

「はい」

「……はい」


 片方は生真面目に、片方は鉄壁の無表情で。両手で差し出された剣を、受ける表情もそれぞれに。


「お守りです。いざという時、斬れないものが無い様に。どうかよろしくお願いします」

「この身に代えましても、もちろん」

「承りました」


 身体の前に剣を立てて構え誓うレイラ。無表情のまま剣を捧げて受け取るサーシャ。思うことは違うだろうが、その様子に一葉は満足そうな笑顔を見せた。ちらりと見やったウィンには何も言わず、ウィンもまた頷きだけを返す。


「イチハ……今度こそ、お別れですね」

「うん。事故でこっちに来たけどね。今度こそもう二度と、アリアの前には来ないよ」


 今回が特別だと努めて冷たく言う一葉に手を伸ばそうとして、僅かに上がった腕をアリエラは逆の手でぎゅっと引き戻す。行かないで。寂しい。元気で。身体に気を付けて。見送る言葉と引き留める言葉、両方が浮かんでは沈んで、場をつなぐ何でもない言葉すら満足に出てこない。

 一葉はふっと笑うと、時を止めたように固まるアリエラに近づいて抱き寄せ、宥めるように背を叩く。2年で大人びた彼女は一葉より頭も肩もずいぶんと高くなった。開いた分の距離を縮めるようにアリエラは一葉の右肩に額を押し付け、近すぎるその顔を一葉が見ることは叶わない。


「おどろいたよ。甘ったれのアリアがまぁ、お姉さんになって」

「あ、甘ったれなんかじゃ、ありません」

「そうかなぁ」

「……ほんの、ほんの少しだけですっ!」


 押し付けた額をぐりぐりと動かして、湿った声でアリエラは抗議をする。そんな彼女が一葉はとても愛おしい。弱いところも怠惰なところも、そして最後には驚くほど強くなる心もその裏にある頑張りも、全てを守る覚悟を一度は確かに決めたことを、世界を違えた今は言葉にせずただ背中を撫でた。

 彼女は一葉に、イチハ=キサラギに縋ってはいけない。アリエラ=フォン=ミュゼルは一国の王女であり自分で道を創る側の人間だから、意見を聞きこそすれ縋ってはいけない。だからせめて護る力の一部にはと、半身を置いていこうと決めたのだ。


「招いてしまったことに心からの謝罪と、ミュゼルに来て下さったことに最大の感謝を」

「え、ちょっ、あ」


 一葉たちから離れて見ていた慎二の前にウィンが歩み寄り、膝をついてそう言った。突然のことに再び動転した慎二が慌ててしゃがみ込み要領を得ない声を上げるが、彼は気にせずに続ける。


「貴方は単に巻き込まれただけと言うかもしれませんが、イチハの弟である貴方が彼女とアリエラ様を再び繋いでくださいました。本当に、ありがとうございました」

「……俺もまぁ、良かったよ。実はさ」


 一葉は未だアリエラを宥めている。ウィンの耳元に屈むとさらに声を潜めて、慎二は言うべきか迷いながらも言葉をつないだ。


「姉ちゃん、ホントは今も一人じゃ夜に歩けないんだ。多分こっちに心残りがあったのかもしれないし、無かったのかもしれない。けどこれで、少し変わるんじゃないかな」

「そうだと良いのですが」


 頭をかきながら困ったように言う少年――いや、青年に、ウィンは立ち上がり、立ち上がらせると、珍しく含みのない笑顔を向けた。話の内容に気づいているのか気づいていないのか、ちらりと視線をよこす義妹“だった”女性に肩を竦めてウィンは言葉を選ぶ。


「全てはエニシ、ということなのでしょうか。私も貴方と知り合えて良かった。貴方が寄越した質問は私にとっても勉強になりました。そちらもシュウカツでしたか? 大丈夫、上手くいきますよ。全て、貴方の意のままになる」


 自分にもコトダマが使えるのだと、一葉の義兄“だった”という男は冗談めかして言う。そして笑顔はここに来て初めて見る優しい色に変わった。


「貴方はあの魔女の弟なのですから、力づくであれ実力であれ、全てをどうにかできる力があるでしょう」


 誰かと比べられることは時に苦痛である。しかしこの瞬間だけは、一葉の弟という言葉が彼に対する説得力にもなる。


「あぁ。色々とありがとう。頑張る」

「さて、帰ろうか」


 アリエラから離れた一葉が慎二に与えられた部屋の中心で手招いた。ミュゼルの知り合いと自分たち二人。ほのかに明るい隣室に続く扉の傍と暗い部屋の中心、その間には約10メートル。お互いが手を伸ばしても絶対に届かない距離だ。


「お世話になりました」

「今度こそ、バイバイ」


 一葉が柏手を打つ。その目は目的地のかけらを探しているらしく、軽く伏せられたままじっと一点を見つめている。


「よし——掴んだ」


 軽い声とほぼ同時、彼女のもの『だった』部屋から漏れる薄明かりに混じって蛍火のような仄かな光が舞い、一葉と慎二を囲むようにくるりと円が出現した。身体が光に変わり始め、実体から魔力へと変わっていく。


 唐突に、今まで何も言わなかったサーシャが進み出た。真っすぐに一葉を見つめて口を開く。微かに迷って震える唇から、しかし聴こえたのは凛と芯の通った声。


「どうか、どうか健やかで」


 焦げ茶の髪の魔女は再び目を見開くと、くしゃりと泣きそうに笑う。それは別れの時に彼女自身がサーシャに送った言葉だった。一度俯き目をぎゅっと瞑ると、一葉は背に軽い衝撃を感じた。慎二が軽く拳を当てているのだ。


(困るなぁ。本当に、いつの間にかずいぶんと頼りになって。追い抜かされちゃうじゃん)


 後ろには気づかない内に大人になっていた弟がいる。振り向かないまま小さく頷いてまた、彼女も真っすぐに水色の瞳を見つめた。


「えぇ、どうか、健やかで」


 それは体であり、心でもあり。様々に複雑な事柄を全て含んだ願いだった。





 一葉にとっては命をかけた場所。慎二にとっては新しく始まった場所。その場所から光となって消え失せて、以後黒い色を持つ異界からの客人たちは二度と現れることがなかったと言う。





「ただいま!」

「ただいま!」









『――さようなら、ありがとう。どこかで、げんきで』








05.22/2015

——流界の魔女——




これにて終幕にございます。

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