大人の対応で受け流す説得術
コンコン、と遠慮がちなノックの音が応接室に響いた。
「カトリーナ様、執事長でおらせられます」
「どうぞ、入ってくださいな」
カトリーナが柔らかな声で応えると、扉がゆっくりと開き、老執事長が緊張した面持ちで入ってきた。その手には、重厚な革表紙の帳簿がしっかりと抱えられている。
「お呼びでございましょうか、カトリーナ様。ご用件はいかがなもので……」
執事長の額には薄っすらと汗が滲んでいた。
以前のカトリーナなら、仕送りの増額や新しいドレスの請求で呼び出し聞き入れなければ怒鳴り散らしていたからだ。
カトリーナはソファーを指差し、微笑みを向けた。
「そう身構えないでちょうだい。急に呼び出したりしてごめんなさいね。……ミーナちゃん、執事長様にお茶を淹れてあげて」
「は、はいっ!」
「滅相もございません! 私は使用人の身、お茶など……」
「いいからお掛けなさいな。長年の疲れが溜まっている顔をしていらっしゃるわ」
カトリーナの揺るぎない、けれど温かい雰囲気に押し切られ執事長はおそるおそるソファーの端に腰を下ろした。
出された温かいハーブティーを一口すすると、ほうっと喉から吐息が漏れる。
「さて、執事長様。今日お呼びしたのは他でもないの。このお屋敷の最近の出納……つまり、帳簿を見せていただきたくて」
「えっ……? 帳簿、でございますか?」
「ええ。私ももう十六歳。今までお父様や屋敷の皆さんに頼りっきりで、無駄遣いばかりしてご迷惑をおかけしていたでしょう? これからは自分の身の回りのことくらい、しっかり把握しておきたいのよ」
カトリーナの言葉に、執事長は目を見開いた。
「カトリーナ様が……そんなことをお考えに……」
「ええ。見せていただけるかしら?」
「は、はい……! こちらに、直近三ヶ月分の屋敷の経費帳簿がございます」
差し出された厚い帳簿を受け取り、カトリーナはパラパラとページをめくり始めた。
前世では、毎月ギリギリの家計簿と睨めっこし、1円単位の無駄を省いてきた筋金入りの主婦である。
その鋭い眼光が、整然と並べられた数字の列を流れていく。
(……あらあら、まあまあ)
数ページめくっただけで、カトリーナの眉が微かにひそめられた。
(食費の項目……この規模の屋敷にしては、根菜や雑穀の仕入れ値が相場より二割も高いわね。それに、仕入れ先が特定の商人だけに固定されているわ。……それと、この高価な観葉植物や装飾品の維持費。毎月こんなに払う必要があるかしら?)
数字の裏にある「無駄」と「不自然な歪み」が、手に取るように見えてくる。
(悪意があって横領されているというよりは……長年の慣習で『言い値』で買わされて、無駄な見栄の出費がそのままになっている感じね。典型的な『どんぶり勘定』だわ)
カトリーナは静かに帳簿を閉じると、パッと顔を上げて執事長に優しく微笑みかけた。
「執事長様。このお屋敷を一人で支えてくださって、本当にありがとうございます。……でもね、もう少し賢くお買い物をして、無駄を削れば、働いている皆さんにもっと還元できる余地がたくさんありますわ」
「え……? 還元、でございますか?」
「ええ。まずは、この食材の仕入れ先と、毎月のかさむ維持費から見直していきましょうか」
カトリーナの瞳に宿る頼もしく力強い光。
それを見た執事長はどこか救われたような深い安堵の息をつくのだった。




