おびえる使用人たちと冷え切った我が家
夕闇が街を包み込む頃、馬車は重厚な鉄製の門をくぐり、グランヴェル公爵家の広大な敷地へと入っていった。
手入れされた前庭を抜け車寄せに停まる。
御手が素早く降りてきて扉を開けると、カトリーナは静かに馬車を降りた。
目の前にそびえ立つのは、歴史を感じさせる重厚な館だ。
前世で暮らしていた小さな平屋とは比べものにならないほど大きく、立派な建物。けれど、そこから漂ってくる空気はどこか冷ややかで静まり返っていた。
(……静かなお家ねぇ)
カトリーナが足を進めると、屋敷の大きな両開きの扉が開いた。
玄関ホールには、執事を先頭に数人の使用人たちが左右に一列に並んで出迎えていた。
彼らの表情は、一様に硬く緊張している。
まるで、これから猛獣を迎えるかのように肩をこわばらせ、視線を床に落としていた。
無理もない。記憶の中のカトリーナは、屋敷に帰るやいなや「出迎えが遅い」「お茶の温度がぬるい」と文句をつけ、使用人たちを叱責するのが日常茶飯事だったのだから。
(みんな、こんなにビクビクしちゃって……。これじゃ仕事するのも息が詰まるでしょうに)
前世で家庭内がギスギスしていた時期を思い出し、カトリーナは密かに胸を痛めた。
家というのは、外で疲れた体を休める場所でなければならない。そこで働く人間も、生活する人間も、恐怖で縛られていては良い気など流れるはずがないのだ。
執事の老人が、引きつった笑みを浮かべながら深々と頭を下げる。
「おかえりなさいませ、カトリーナ様。……本日のお召し物のお手配や、お風呂の準備はすでに――」
言葉を途中で切って、執事はびくっと体を竦めた。
罵声が飛んでくるのを覚悟して、身を固めたのだ。
けれど、返ってきたのは、拍子抜けするほど穏やかな声だった。
「ただいま戻りました。いつも準備をありがとう」
「……え?」
執事が思わず顔を上げた。
並んでいた使用人たちからも、小さな動揺の気配が広がる。
カトリーナは彼らの困惑を意に介さず、優しく目を細めて言葉を続けた。
「今日は少し長旅で疲れてしまったの。お風呂もお茶も急がなくて結構ですから、みなさんも少し肩の力を抜いてくださいね」
「あ、カトリーナ様……?」
「それと……そこのあなた」
カトリーナは、列の端で小さくなっていた若いメイドに視線を止めた。
彼女の手は微妙に震えており、顔色も優れない。
「寒気でもするの? 手が少し冷えているみたいだけれど」
「ひっ……! 申し訳ございません! け、決して仕事を怠けているわけでは――」
青ざめて平伏しようとするメイドに、カトリーナはそっと歩み寄り、その小さな手を両手で包み込んだ。
前世の自分がそうであったように、柔らかく、包み込むような温もりを伝える。
「謝ることなんてないわ。無理をして倒れたら元も子もないでしょう? 執事や誰かに言って、今夜は温かいスープでも飲んで早く休みなさいね」
「……っ」
メイドは言葉を失い、ぽかんと口を開けたままカトリーナを見上げた。
その瞳には、恐怖ではなく、信じられないものを見るような驚きとかすかな涙が浮かんでいた。
「では、私は部屋に戻りますね」
カトリーナは使用人たちに優しく一礼すると、優雅な足取りで静かな階段を上っていった。
残された玄関ホールには、ただ呆然と階段を見上げる使用人たちの長い沈黙だけが残されていたのだった。




