父公爵の決断
リュシアン王子の焦りは、ついに限界に達していた。
学園での影響力を失い、王家からも見放されかけた彼は、最後の望みをかけてグランヴェル公爵家の屋敷へと直接押しかけてきたのだ。
応接室で待ち受けていたのは、冷徹なまでの静けさを纏ったグランヴェル公爵であった。
「公爵! カトリーナを出してくれ! 彼女と直接話がしたい!」
乱れた服装のまま、必死の様相で叫ぶリュシアン。
かつてカトリーナを追い詰めた時の尊大な態度は影を潜め、いまやただの哀れな青年の姿がそこにあった。
「私が愚かだった! カトリーナがいかに我が身を削って私を支えてくれていたか、身に染みて理解したのだ! だから……婚約破棄は撤回する! カトリーナも、本当は私に買い被られて嬉しかったはずだ!」
手前勝手な言い分。
それを聞いた公爵は、深く溜息をつくと、静かに、しかし地響きのような重厚な声で宣告した。
「……殿下。お控えなさい」
「っ……!」
「娘カトリーナは、殿下の身勝手な欲望を満たすための『都合の良い道具』ではございません。我が娘がこれまで注いできた労力と知恵は、正当に評価され、敬意を払われるべきものでした。それらを足蹴にし、すげ替えた挙げ句、手放してから価値に気づくなど……あまりにも幼く、浅はかと言わざるを得ません」
公爵の冷ややかな眼差しが、リュシアンの胸を深く穿つ。
「すでに王家へは正式に婚約白紙撤回の手続きを提出し、受理されております。二度と我が娘に近づかないでいただきたい。……これが、グランヴェル公爵家当主としての決断でございます」
「な……そんな……! 父上が許すはずが……!」
「国王陛下からも『当然の報いである』とお言葉を賜っております。……バートン、殿下をお送りしなさい」
「はっ。殿下、どうぞこちらへ」
執事長のバートンが恭しく、しかし逃げ場を塞ぐように引き下がらせる。
リュシアンは崩れ落ちそうな足を必死に動かし、絶望に顔を歪めながら屋敷を後にするしかなかった。
その頃、カトリーナは自室の書斎でレオンと共に次回の講義の資料を作成していた。
応接室での一部始終をバートンから報告を受けたカトリーナは、お茶を一口すすると、静かに目を細めた。
「お父様も、本当に頼もしくなってくださったわねぇ」
「ええ。公爵閣下は、カトリーナ様を心から誇りにしておられますから」
レオンが温かい眼差しでカトリーナを見つめる。
彼は手元の書類を一枚取り出し、カトリーナの前へと差し出した。
「カトリーナ様。実は……学院長から、さらなるご相談が届いております。講義の噂をお聞きになった近隣の領主たちから、『ぜひ我が領地の財務改革にも知恵を貸してほしい』と、正式なアドバイザー就任の要請が数多く届いているのです」
「あらあら……! 私の『台所改善の知識』が、そんなに大層なことになっちゃうの?」
カトリーナは少し照れたように微笑んだが、その瞳には未来を見据える確かな光が宿っていた。
「でも、困っている領民の方々や、若い領主さんたちのお役に立てるなら、喜んでお手伝いしたいわね。ねえ、レオン先生?」
「はい、カトリーナ様! どこへでも、あなたの助手としてお供いたします」
前世で培った「オカンの包容力と主婦の知恵」は、一国の小さな泥沼を跳び越え、より多くの人々を救う大きな力へと広がっていこうとしていた——。




