父の決断と、差し出された新たな道
学園でリュシアン王子が巻き起こしている醜態の噂は、当然のことながら国の中枢である貴族社会にも瞬く間に広がっていた。
その日の夜、グランヴェル公爵家の執務室には、重々しい空気が満ちていた。
重厚な執務机に向かうグランヴェル公爵の手元には、学園の理事会や信頼できる貴族たちから寄せられた報告書が山積みになっている。
そこには、第一王子リュシアンの無計画なサロン運営、公務の滞り、そして側近であるレオンへの責任転嫁といった醜態が、克明に記されていた。
(……今まで我が娘カトリーナが、あのような青二才の裏でどれほどの苦労を重ね、どれほど見事に彼の手落ちを支えていたか……)
公爵は深く息を吐き、静かに目を閉じた。
かつては「我儘で高慢な娘」だと思い込み、家庭を省みず突き放していた自分を、激しい後悔が苛む。
カトリーナが屋敷の経費を見直し、使用人たちを慈しみ、不器用な自分にまで温かいスープを差し出してくれたあの日々。
彼女は決して悪役などではなく、誰よりも思慮深く、大人の気品と包容力を備えた自慢の娘だったのだ。
コンコン、と控えめなノックの音が響いた。
「お父様、カトリーナでございます。バートンから、お呼びだと伺いましたが……」
「……ああ、入れ、カトリーナ」
扉が開き、カトリーナが優雅な所作で室内へと入ってきた。
その凛とした立ち姿と温かな眼差しを目にした瞬間、公爵の心に迷いは消えた。
「夜分遅くにすまないな。……カトリーナ、座りなさい」
「はい、お父様」
カトリーナが向かいのソファーに腰を下ろすと、公爵は手元の報告書をそっと脇に追いやり、まっすぐに娘の目を見つめた。
「学園でのリュシアン殿下の有様は、私の耳にも届いている。……お前があの男のためにどれほど心を砕き、どれほど正当に評価されてこなかったか、今になってようやく理解した。父親として、これまでお前を正しく守れなかったことを……心から詫びたい」
公爵が深く頭を下げようとするのを、カトリーナはあわてて手で制し、柔らかく微笑んだ。
「お父様、頭をお上げになってくださいませ。私は少しも悲しんでなどおりませんわ。むしろ、自分の身の回りのことや屋敷のことに目を向ける良い機会をいただいたと思っておりますの」
その一言にも滲み出る「大人の余裕」。
公爵は胸を打たれながら、引き出しから一通の厳重に封をされた書簡を取り出した。
「カトリーナ。お前に新しい話をしたい。……第一王子との婚約は、我が公爵家の権限において正式に白紙撤回の手続きを進めている。そして——こちらは王立中央学院の『領地経営・会計監督講座』からの特別招聘状だ」
「招聘状……ですか?」
カトリーナが首をかしげると、公爵は頷いた。
「お前がこの屋敷で行った劇的な帳簿の改善と仕入れの最適化、そして学園のサロンで見せた見事な組織管理の手腕……それらを聞きつけた学院長から、ぜひとも未来の領地管理者たちに指導を行ってほしいと打診があったのだ」
「まあ……!」
カトリーナは驚きに目を丸くした。
前世で子育てと家計管理、自治会の運営を必死にこなしてきた経験が、この異世界で「領地経営の専門知識」として評価されるとは思いもよらなかったのだ。
(あらあら……。反抗期の王子の世話を卒業したら、今度はもっとたくさんの若い子たちの先生になるのかしら?)
オカンとしての血が少しだけ騒ぐのを感じながら、カトリーナはふふっと口元をほころばせた。
「お父様、素晴らしいお話をありがとうございます。私のような者で務まるのでしたら喜んでお引き受けいたしますわ」
カトリーナが新しい一歩を踏み出そうとしたその時、バートンが控えめに扉を叩き、緊張した声で告げた。
「閣下、カトリーナ様……。学園のレオン様が、お急ぎのご様子でお見えでございます」
父親としての決意、カトリーナの新たな可能性、そして駆けつけてきたレオン。
物語は、カトリーナを中心にしてさらに大きく、爽快に動き出そうとしていた。




