マリエラの焦り
秋の柔らかな光が差し込む女子サロンは、高価な調度品とほのかな花の香りに満ちていた。
本来であれば、高貴な令嬢たちが穏やかにお茶を嗜み談笑に花を咲かせる憩いの場である。
しかし、カトリーナがレオンを伴って足を踏み入れると室内の会話がぴたりと止まり、独特の緊張感が走った。
令嬢たちの視線が一斉に集まる中、カトリーナは気負うことなく部屋の奥へと進む。
そこには、カトリーナがかつて使っていた専用の机と彼女が学園の各種行事やサロンの運営を仕切っていた際の書類入れが置かれていた。
(まあ……、ずいぶんと散らかってしまっているわね)
机の上には、分類もされずに放り出された茶会の計画書や予算の申請書が山積みになっていた。
カトリーナが不在となってからの数日間、後任を引き継いだはずのマリエラが処理しきれず放置していた残骸である。
カトリーナが静かに近づくと、ソファーで他のお令嬢とお茶を飲んでいたマリエラが弾かれたように立ち上がった。
「カ、カトリーナ様……! 何のご用でしょうか……? ここはもう、リュシアン殿下から私がお任せいただいたサロンですのよ!」
マリエラはカトリーナを強く牽制するように胸を張り、身構えた。
けれど、その声は微かに震えており、目の奥には隠しきれない焦燥の色が浮かんでいる。
それもそのはずだった。
単に「悪役令嬢からサロンを取り上げた」までは良かったものの、これまでカトリーナが一人で完璧にこなしていた膨大な予算管理や、各貴族家への配慮を盛り込んだ茶会スケジュールの調整など、男爵家育ちのマリエラにできるはずもなかったのだ。
サロンの運営は完全に滞り、周囲の令嬢たちからも密かに不満の声が上がり始めていた。
しかし、カトリーナは怒るでもなく、煽るでもなく、心から愛おしそうに微笑んだ。
(まあまあ……。できると言って背伸びしてみたものの、手に負えなくなってテンパっている典型的なパターンねぇ)
前世で、長女が「私だって一人で部屋の掃除も洗濯もできるもん!」と息巻いて引き受けたものの、服の山に埋もれて泣きそうになっていた日のことを思い出す。
「マリエラ様、ごきげんよう。驚かせてしまってごめんなさいね。今日は私の私物を引き取りに伺っただけですの。……ですが、少しばかりサロンの仕事が滞っているようですわね?」
「つ、滞ってなどおりませんわ! ちょっと準備に時間がかかっているだけで……!」
強がるマリエラに対しカトリーナは優しく歩み寄ると、机の上の書類の束をトン、トン、と手際よく揃えた。
「マリエラ様。サロンの運営というのはね、見栄や華やかさだけでは回らないのですの。まずは、各家からいただく予算の出納を正確に記録すること。そして、お招きする方々のアレルギーや好みを把握しておくこと……。地味で大変なお仕事だけれど、それができて初めて皆様に安心していただけるのよ」
カトリーナは前世のPTA役員や自治会の会計で培った「組織運営の基本」と「気配り」のコツを、まるで妹を諭すかのような温かいトーンで語りかけた。
「な……何ですか、そのお説教のような言い方は……っ!」
「お説教ではありませんわ。応援したいだけよ。あなたがこのサロンを大切にしたいと思っていらっしゃるなら、困った時は周りの優秀なお令嬢たちに頼るのも大切な『賢さ』ですの。一人で抱え込んではいけませんよ?」
「っ……!」
マリエラは言葉を詰まらせた。
カトリーナから悪意や嫌味が一切感じられないばかりか、あまりにも正論でどこまでも温かい「大人の包容力」で包み込まれてしまったからだ。
周囲で見守っていたお令嬢たちも、深く感銘を受けたように頷き合っている。
「まあ……カトリーナ様は、マリエラ様のことまでお気遣いなさって……」
「本当ね。お一人でサロンを運営されていた頃は、私たちのお茶の好みまで把握してくださっていたもの……」
自分を打ち負かしに来たと思っていた相手が、あまりにも高い視点から優しく助言を残していく。
マリエラは恥ずかしさと惨めさで顔を真っ赤にし、ただ拳を握りしめることしかできなかった。
カトリーナは自分の私物が入った小さな木箱を抱えると、レオンに向けて優雅に微笑んだ。
「さあ、レオン様。必要なものはすべて揃いましたわ。お屋敷へ帰りましょうか」
「……はい、カトリーナ様。お供いたします」
レオンはマリエラに冷ややかな一礼だけを残し、カトリーナの横に寄り添うようにしてサロンを後にした。




