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義娘の冬の部屋を明け渡せと言われましたが、母役の座も妻の座もお断りして公爵家を出ます  作者: 花守りつ


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第9話 薬瓶の底に残った嘘

薬の出所を辿るには、王都の下町へ行く必要があった。


 もちろん、リーナを置いて遠出するのは不安だった。だが、ミラ医師とネラが別邸に残り、カイ辺境伯の騎士が守る。私が部屋に張り付いているより、薬瓶の底に残った嘘を拾いに行くほうが、今はあの子のためになる。


 そう自分に言い聞かせて、私は厚手の外套を羽織った。

 カイ辺境伯は黒い馬車ではなく、目立たない灰色の馬車を用意していた。白狼紋も外されている。


「公爵家に知られないほうがよいのですか」

「知られてもいいが、邪魔が増える。邪魔は少ないほうが仕事が早い」


 その理屈はよく分かる。

 下町の薬舗は、表通りの立派な店ではなかった。細い路地の奥、古い看板に擦れた文字で『ラザール薬房』とある。中へ入ると、乾燥草と酒精の匂いが混じっていた。

 店主のラザールは片目に傷のある老人で、私たちを見るなり渋い顔をした。


「貴族の奥様が来るような店じゃありませんよ」

「貴族の奥様だったのは昨日までです」


 私が言うと、老人は少しだけ眉を上げた。

 カイ辺境伯は身分を隠すつもりもなく、監察局の許可証を出した。


「この薬包を扱ったか確認したい」


 老人は紙片を受け取り、鼻で嗅ぎ、光に透かした。


「うちの紙じゃない。だが、混ぜ物は見覚えがある。冬咳の薬を薄めるなら、普通は苦味でばれる。これには薄荷草を少し入れて、舌を誤魔化してる」

「誰が買う」

「まともな薬師は買わない。安く見せたい奴、効いたふりをしたい奴、金だけ抜きたい奴」


 老人は奥の棚から帳面を出した。


「半年前から、同じ混ぜ物を買う若い男がいた。名前は名乗らないが、王都中央薬舗の包み紙を持っていた。医師の助手だと言ってたな」

「顔は覚えていますか」

「覚えてる。鼻の横に黒子。右手の薬指に、医師見習いの指輪跡。最近は見ていない」


 カイ辺境伯が部下へ合図する。似顔絵師を呼ぶのだろう。

 私は店内を見回した。棚には、安い薬草も高い薬草も同じように瓶に入って並んでいる。違いは札と匂いと、薬師の良心だけだ。


「薄めた薬を飲むと、どうなりますか」


 私が聞くと、老人は私を見た。


「治りが遅くなる。熱が長引く。体が弱る。死ぬ時は、薬のせいだと分かりにくい」


 分かりにくい。

 その言葉が、胃の底に落ちた。

 もしリーナがあの部屋で悪化していたら、公爵家は言っただろう。元々弱かった。冬咳だから仕方ない。後妻が大げさに騒いだだけだ、と。

 薬瓶の底には、そういう嘘が沈んでいる。

 店を出る時、ラザール老人が私を呼び止めた。


「奥様、いや、元奥様か。子どもは生きてるのか」

「生きています」

「なら、正規の銀葉草を持っていきな。古いが使える。金は後でいい」

「なぜ」


 老人は傷のある目を細めた。


「薬師が混ぜ物を売ったせいで子どもが苦しんだなら、薬師が少しは埋め合わせるべきだろう。売ったのは俺じゃないが、同じ棚に薬を置く人間として気分が悪い」


 私は深く頭を下げた。

 公爵家では、頭を下げることは負けることだった。ここでは、感謝を渡すために頭を下げられる。

 馬車に戻ると、カイ辺境伯が薬草の包みを検めた。


「質は一定以上だ」

「疑うのですね」

「疑うのではなく確認する」

「似ていますが、少し違います」

「違う。疑いは感情で、確認は手順だ」


 私は思わず笑った。

 その帰り道、騎士が駆け寄ってきた。印刷所の火事について新しい情報が入ったという。

 偽造紙の版を持ち出そうとした男が捕まった。鼻の横に黒子。右手の薬指に指輪跡。ベイン医師の元助手、名はサミュエル。


「話は早そうだ」


 カイ辺境伯はそう言ったが、表情は厳しい。


「早すぎる時は、誰かが切り捨てられた可能性がある」

「切り捨てられた?」

「主犯が自分に火が回る前に、下働きを燃やす」


 その比喩は冷たかった。

 けれど、公爵家の食堂でジェラルドが怒鳴っている姿を思い出すと、あり得ないとは言えない。

 別邸へ戻ると、リーナは起きていた。窓辺の椅子に座り、毛布に包まれている。膝の上には昨日の絵。新しい部屋の机に、呼び鈴と薬瓶が描き足されていた。


「おかえりなさい」

「ただいま」


 私は薬草の包みを見せた。


「良い薬草をもらいました。ミラ先生に確認してもらってから使います」

「薬、苦い?」

「たぶん」

「じゃあ、蜂蜜湯もいるね」


 リーナは真剣だった。

 カイ辺境伯が部屋の入口で言った。


「苦い薬と蜂蜜湯は、別々に記録する」

「カイ様、蜂蜜湯は証拠になる?」

「なる。飲めた量が分かる」

「じゃあ、たくさん飲めたら、エリシア様が喜ぶ証拠?」


 カイ辺境伯は少しだけ考えた。


「それは、私の管轄外だ」


 リーナが笑い、私も笑った。

 管轄外でも、記録には残すつもりだった。

 できたこと。笑ったこと。苦い薬を飲んだあと、蜂蜜湯で顔をしかめたこと。

 薬瓶の底に嘘が残っていたなら、私たちはその上に本当の記録を積み上げる。

 薄められたものを、もう一度濃くするために。

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