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義娘の冬の部屋を明け渡せと言われましたが、母役の座も妻の座もお断りして公爵家を出ます  作者: 花守りつ


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第7話 仮審問の椅子

王都小法廷の椅子は、見た目より硬かった。


 背筋を伸ばして座ると、昨夜ほとんど眠っていない体に疲れが出る。けれど、隣室で待つリーナのほうがずっと緊張しているはずだ。私は膝の上で手を重ね、指輪のない左手を右手で包んだ。


 法廷は大きくない。王立療養監察局が扱う仮審問は、戦争や領地争いの裁判とは違い、未成年者の保護を急いで判断するための場だ。中央には監察官三名。左に私とカイ辺境伯、ミラ医師。右にジェラルド、家令マルクス、そして公爵家の弁務官が座っている。


 ジェラルドは私を見なかった。

 見れば怒りが噴き出すと分かっているのだろう。彼は監察官へ向かって、父親として娘を心配する顔を作っている。


「妻が、夜中に娘を連れ去りました」


 弁務官が滑らかな声で始めた。


「アルヴェルト公爵家は由緒ある家です。リーナ嬢は公爵家の唯一の継嗣であり、父である公爵閣下の監督下にあります。夫人は近頃、先妻の子へ過度に執着し、家内の調和を乱しておりました。今回の搬送も、客人の部屋割りという些細な問題を口実にしたものです」


 些細。

 その言葉で、胸の中に冷たい針が刺さった。

 だが、私は顔を上げなかった。怒りで立ち上がれば、相手の言葉を助けることになる。

 監察官の一人が、ミラ医師へ視線を向けた。


「ハーウェル医師、診断所見を」

「リーナ・アルヴェルト嬢は冬咳の慢性化と発熱、軽度の脱水傾向がありました。南向きで湿度管理された療養室が必要という過去の診断は妥当です。突然の部屋移動、特に暖房設備の不明な部屋への移動は悪化の危険があります」

「薬包については」

「記録上の処方に比べ、主薬の配合が半分以下です。包み紙の印も正規薬舗と異なります」


 法廷の空気が動いた。

 ジェラルドが椅子の肘掛けを握る。弁務官が小さく咳払いをした。


「薬の問題があったとしても、公爵閣下の指示とは限りません。むしろ夫人が管理していたのでは?」


 予想していた言葉だった。

 私は立ち上がり、監察官の許可を得て台帳を提出した。


「公爵家の会計から薬代が支出された月と、実際に正規薬が届かなかった月をまとめました。届かなかった月には、私費で薬を買い直しています。領収書と、薬師の受領印があります」


 紙束が監察官へ渡る。

 ジェラルドが初めて私を見た。


「君は、家の帳簿を盗み見たのか」

「夫人として閲覧権のある範囲です。写しは監察局に提出するために取りました」

「妻が夫を売るのか」


 その声には、怒りよりも驚きがあった。

 私は静かに答えた。


「妻の座は昨夜お返ししました」


 監察官の一人が、書類から顔を上げた。厳しい目だったが、私に止めろとは言わない。


「公爵閣下。昨夜、リーナ嬢の療養室を客人へ明け渡すよう命じたのは事実ですか」

「部屋割りの変更です。親として当然の判断だ」

「医師の指示を確認した上で?」

「女どもが大げさに騒いでいただけです。リーナは昔から少し弱いが、貴族の子なら多少の不便に慣れるべきだ」


 ミラ医師の眉が動いた。

 カイ辺境伯は無表情のまま、机の上に一枚の紙を置いた。


「昨夜の診断で、搬送直後の体温と胸音が記録されています。多少の不便ではなく、悪化の兆候です」

「辺境伯、あなたは他家の事情に口を出しすぎではないか」


 ジェラルドが噛みつくように言った。

 カイ辺境伯は、ゆっくり彼を見た。


「私は他家の事情には興味がない。未成年者の薬が薄くなった事実と、補助金を受ける公爵家の会計不一致に興味がある」


 法廷の隅で、誰かが息を呑んだ。

 監察官長が書類を閉じた。


「リーナ嬢本人の意思を確認します。ただし、体調を考慮し、短時間とします」


 扉が開き、ネラに付き添われたリーナが入ってきた。

 彼女は厚い外套を羽織り、首元に白いマフラーを巻いている。顔色はまだ悪い。だが、目は昨日よりはっきりしていた。

 ジェラルドが立ち上がりかけた。


「リーナ」


 リーナの肩が震えた。

 私は立ち上がりたい衝動を抑えた。ここで私が前に出れば、彼女の言葉を奪う。

 監察官長が優しい声で聞いた。


「リーナ嬢。昨夜からどこにいましたか」

「ノルデン辺境伯様のお屋敷です」

「体はどうですか」

「咳はまだ出ます。でも、息がしやすいです」

「公爵家に戻りたいですか」


 リーナは、私を見なかった。

 偉かった。

 彼女は自分の指を握りしめ、小さな声で言った。


「今は、戻りたくありません」


 ジェラルドの顔色が変わる。


「リーナ、何を言っている。お前の家は公爵家だ」


 リーナの唇が震えた。


「でも、お部屋を取られます」

「そんなもの、別の部屋を用意すればいい」

「薬も、薄かったって」

「子どもには分からない」


 その瞬間、リーナは初めて父親を見た。


「分からないから、苦しかったの?」


 法廷が静まり返った。

 ジェラルドは答えなかった。答えられなかったのだと思う。

 監察官長は、リーナをすぐに退室させた。ネラが支え、ミラ医師が後を追う。リーナは扉の前で一度だけ私を見た。私は頷いた。

 よく言えた。

 声に出さなくても、伝わったと思う。

 仮裁定は、その場で出た。


 リーナの保護はノルデン別邸で継続。父親であるジェラルドの単独面会は禁止。公爵家の療養費、薬代、南棟改修費について予備監査を開始。エリシア・クロフォードには臨時介護者としての地位を認める。


 ジェラルドが椅子を蹴った。


「馬鹿な! 私は父親だぞ!」

「父親であることは、療養を妨げる権利ではありません」


 監察官長の声は穏やかだった。

 穏やかだからこそ、重かった。

 私は椅子に座ったまま、息を吐いた。勝った、とは思わなかった。リーナはまだ熱がある。薬の出所も分からない。公爵家はこれから反撃する。

 ただ、椅子が一つ変わった。

 リーナはもう、公爵家の冬の部屋に戻されるための椅子に座っていない。自分の息がしやすい場所を選ぶための椅子に、初めて座ったのだ。

 法廷を出る時、カイ辺境伯が短く言った。


「第一段階は通った」

「ええ」

「次は、薬と金の出所だ。ここから相手は嘘を整える」


 私は頷いた。

 窓の外は曇っている。けれど、雪は降っていない。

 リーナの待つ控室へ向かいながら、私は左手を握った。指輪の痕はまだ薄く残っている。けれど、その痕もいつか消えるだろう。

 代わりに、契約書の紙の感触が指に残っていた。

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