表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
義娘の冬の部屋を明け渡せと言われましたが、母役の座も妻の座もお断りして公爵家を出ます  作者: 花守りつ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/20

第6話 公爵家の寒い朝

※公爵家側の視点です。

ロアン男爵未亡人は、冬の部屋に入って三十分で機嫌を悪くした。


 部屋は確かに南向きだった。窓は大きく、朝の光は床の上に明るい四角を作っている。けれど、彼女が想像していた貴婦人の客間とは違う。壁紙は淡い黄色で、棚には子ども用の小さな本が並び、寝台の脇には薬湯を置くための丸机が固定されている。


 さらに、暖炉の上には体温を記した板が掛けられていた。日付と数字が細かく書かれ、咳の回数や食事量まで残っている。


「気味が悪いわ」


 未亡人は扇で鼻先を払った。


「病人の部屋みたいじゃないの」

「実際、病人の部屋でしたから」


 カミラはそう言いかけて、母の目つきに気づき、慌てて笑った。


「でも、お母様に合うよう整えさせますわ。ねえ、マルクス」


 家令マルクスは、床に置かれた療養器具を見下ろしていた。調整弁の一つが外れている。昨夜、使用人が邪魔だと言って壁際の木箱を移動させた際、配管から外してしまったらしい。


「職人を呼びます」

「いらないわよ、そんなもの。足元が暖かいのはよいけれど、壁から変な音がするの」


 未亡人が寝台に腰を下ろす。寝台は子ども用に低く作られているため、彼女の体格には合わなかった。


「これも替えて。もっと大きくて柔らかいものに」

「承知いたしました」


 マルクスは頭を下げたが、内心では舌打ちしていた。


 冬の部屋は、リーナの母方の金で改修された。設計も特殊で、勝手に家具を入れ替えれば温水管や換気の流れに支障が出る。だが、部屋を譲れと命じたのは公爵であり、今の客人は公爵が大切にしている女の母だ。


 逆らえる者はいない。

 その公爵ジェラルドは、昨夜から怒鳴り続けていた。

 朝食の席でも、彼は皿にほとんど手を付けず、王立監察局からの受理通知を握りしめている。


「馬鹿げている。エリシアがリーナを連れ去ったのだぞ。なぜ私が審問に呼ばれる」

「旦那様、監察局は未成年者の療養環境について確認するだけです。正しく対応すれば、すぐにお嬢様は戻ります」


 マルクスはそう言った。

 戻る。戻ってくれなければ困る。


 リーナが不在のまま監査が入れば、療養費の流れを細かく調べられる。公爵家の帳簿には、見られたくない数字がいくつもある。薬代を正規の額で計上し、実際には安い薬を仕入れた差額。薪代の名目で処理した賓客費。療養室維持費として出した金で、ロアン母娘の宝飾代を払った月もあった。


 それらは、リーナが公爵家にいて、エリシアが黙っていれば問題にならなかった。

 あの後妻は、黙っている女だった。

 いつも丁寧に礼をし、足りない薬代を自分で補い、リーナの世話をしていた。怒りを飲み込むのが上手すぎて、マルクスは彼女を軽く見ていた。


「エリシアは精神的に不安定だ。そう書け」


 ジェラルドは、筆記係に命じた。


「先妻の子に異常に執着している。父親である私の判断に従わず、夜中に連れ出した。妻としての役割も放棄した」

「旦那様」


 マルクスは一歩近づいた。


「その表現は、明日の審問で確認される可能性があります。昨夜、部屋を明け渡せとお命じになったことも」

「事実だ。何が悪い。リーナは少し咳が出るだけだ。いつまでも特別扱いしていれば、貴族の娘として弱くなる」


 その言葉に、食堂の端にいた若い下働きが目を伏せた。

 リーナの咳が少しではないことを、屋敷の者は知っている。夜中に胸を押さえて苦しむ音も、エリシアが眠らずに看病する姿も、見ていないふりをしていただけだ。

 カミラが、明るい声で話題を変えた。


「ジェラルド様、明日の審問などすぐ終わりますわ。エリシア様はご実家も弱いでしょう? 辺境伯が味方したといっても、所詮は一時的な保護ですもの。お父様であるジェラルド様に勝てるはずがありません」

「当然だ」


 ジェラルドは少し機嫌を直した。


「リーナは私の娘だ。エリシアに何の権利がある」


 その時、玄関ホールから騒ぎが聞こえた。

 王立監察局の使者が、追加の通達を持ってきたのだ。

 マルクスが受け取った書面には、リーナの診察結果と薬包の分析が記されていた。薬の配合が薄い。療養室の移動は危険。公爵家の会計と実支出に不一致があるため、予備監査を開始する。

 文字を追ううち、マルクスの背中に冷たい汗が流れた。


「何と書いてある」


 ジェラルドが苛立って紙を奪う。

 数行読んで、彼の顔が歪んだ。


「薬が薄い? 会計不一致? こんなもの、エリシアのでっち上げだ!」

「王立医師の署名があります」

「医師など買収されたに決まっている!」


 その声は、食堂に響いた。

 響きすぎた。

 扉の外にいた使用人たちが、静まり返る。王立医師を買収と断じる言葉は、貴族の怒声として片付けるには危うい。

 マルクスは目を閉じた。

 証拠など、紙切れだと思っていた。公爵家の名と、父親の権利と、妻の沈黙で押し切れると思っていた。

 けれど、紙切れは増えていく。

 一枚、また一枚。


 薪のように積まれた紙は、火をつけられた時、公爵家の古い壁まで燃やすのかもしれない。

 冬の部屋では、ロアン未亡人がまた不満を漏らしていた。


「この部屋、暖かいはずなのに寒いわ。誰か、もっと薪を持ってきて」


 薪庫の扉は開いている。

 けれど、その薪代が誰の財布から出ていたのかを、彼女は知らない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ