第46話 監査表に花丸を
冬の部屋基金が始まって二か月後、最初の監査が行われた。
基金に監査を入れると言うと、城下の人々は少し驚いた。善意の支援にそこまで堅苦しいことをするのか、と言う者もいた。けれど私は、そこを譲らなかった。
善意は、あたたかい。
けれど、あたたかいだけでは薬を薄められた子どもを守れない。帳簿があり、確認があり、間違いを直す道があって初めて、善意は長く燃える。
監査表には、支援金の使途、物品の受け渡し、医師の確認、相談者の満足、今後の課題が並んでいる。会計官は私に、最初の一枚を差し出した。
「代表、ご確認を」
代表。
その呼び方にはまだ慣れない。けれど、奥様と呼ばれるより、今の私にはずっと合っている。
最初の支援対象だったミーナの家では、窓枠の修繕が終わり、朝の咳が減った。母親は小さな竈を使い、起床前に湯を沸かせるようになった。追加支援として、湿気がたまりやすい壁の補修が必要だと記録されている。
二件目は、老いた祖母を看るパン屋の家。三件目は、夜間に冷える屋根裏で眠っていた徒弟の少年。四件目は、産後の体調を崩した若い母親。
大きな奇跡はない。
ただ、朝に咳き込む回数が減った。夜に眠れる時間が増えた。寒いと言うと怒られていた子が、毛布を頼めるようになった。そういう小さな変化が、表の中に積み重なっている。
私は監査表を読み終え、修正点を書き込んだ。
「支援後の訪問間隔が長い家があります。最初の一か月は二回に増やしましょう」
「予算が増えます」
「賠償金からの初期原資だけではなく、寄付を募ります。ただし、寄付者が支援先へ口出しできない規約を明確にしてください」
会計官が頷く。
「承知しました」
そのやり取りを、リーナが窓辺の椅子で聞いていた。
彼女は今日は黄色の札を出している。短い散歩はできるが、長い外出は控える日だ。会議の最後だけ見学することになった。
「監査って、怒ること?」
リーナが尋ねた。
「怒るためではないわ。約束が守られているか確かめること」
「守られていなかったら?」
「直す」
「直せなかったら?」
「支援の形を変える」
リーナは考え込んだ。
「お父様のお家にも、監査があったらよかった?」
その問いに、部屋の空気が少し止まった。
私はリーナのそばへ行き、椅子に腰を下ろした。
「そうね。もっと早く、誰かが確かめてくれたらよかったと思う」
「じゃあ、基金は、早く確かめるためのもの?」
「それもあるわ」
リーナは監査表を見た。
「花丸はつけないの?」
「監査表に?」
「うん。できたこと帳には、できたことを書いたら花丸をつける」
会計官が真面目な顔で困っていた。
カイ辺境伯なら即座に「様式にない」と言うかもしれない。けれど、彼は今日は別の会議に出ている。
私は少し考えた。
「支援先の人が、自分でできるようになったことを書く欄を作りましょう。そこには、小さな印をつけてもいいかもしれません」
「鈴丸?」
「鈴丸でも、花丸でも」
リーナは嬉しそうに笑った。
その日の夕方、カイ辺境伯が戻ってくると、会計官は恐る恐る新しい監査表を見せた。
末尾に「できたこと欄」が増え、右端に小さな鈴の印を記す欄がある。
カイ辺境伯はしばらくそれを見ていた。
「実用性はある」
会計官が安堵の息を漏らした。
「支援は、受けた物だけで測れない。本人が何をできるようになったかを記録するのは有効だ」
リーナは得意げに胸を張った。
「わたしが考えました」
「よく考えた」
カイ辺境伯は、真面目に褒めた。
リーナは頬を染め、できたこと帳を開いた。
リーナ、監査表に鈴丸をつけるところを考えた。
その字は、以前より少し力強くなっていた。
私は監査表の束を見ながら、心の中で思った。
公爵家を出る時、私は鍵と指輪を返した。
今、私の手には、帳簿と鍵と、鈴の印がある。
どれも目立つものではない。
けれど、誰かの冬を少し短くするには、こういうものが必要だった。




