第38話 冬の部屋基金
裁定で定められた賠償金の一部は、リーナの療養費として管理されることになった。
ただし、私はそのすべてをリーナ一人のために閉じ込めるつもりはなかった。もちろん、本人の治療に必要な分は最優先だ。薬、医師、栄養、部屋の管理、移動の備え。そこは一銅貨たりとも軽く扱わない。
それでも、帳簿を見ているうちに、私は何度も同じことを考えた。
南向きの部屋を奪われそうになった子どもは、リーナだけではない。
暖炉の薪を後回しにされる人。薬を薄められても気づけない人。家の中で弱い立場に置かれ、我慢が美徳だと教えられてしまう人。そうした人々は、貴族の屋敷にも、商家にも、領地の小さな家にもいる。
私はカイ辺境伯の執務室で、試案の書類を広げた。
「冬の部屋基金?」
彼は表題を読み、片眉を上げた。
「名前は少し情緒的すぎるでしょうか」
「覚えやすい」
「反対ではないのですか」
「反対する前に、中身を見る」
その言葉に背筋が伸びた。
私は用意した項目を説明した。病弱な子どもや高齢者の療養環境を改善するための小口支援。薪、毛布、医師の診察料、必要な改修費。申請には医師か司祭、あるいは領役所の確認を必要とし、支払いは現金ではなく物品や契約で行う。受益者が家の中で圧力を受けている場合は、辺境伯家の監査役が訪問する。
カイ辺境伯は最後まで黙って聞いた。
「賠償金を原資にするのは、リーナに説明したか」
「はい。あの子が、少しだけ出していいと言いました」
「少しだけ?」
「はい。リーナの言葉では、『咳をする子が、ひとりで寒いのはいや』だそうです」
カイ辺境伯はしばらく書類を見ていた。
「この基金は、慈善ではなく、監査と支援を組み合わせた制度にするべきだ。善意だけで始めると、善意を食い物にする者が出る」
「同じ意見です」
「なら、運用責任者を置く。あなたが代表になるなら、私の家から会計官を出す。ベルモンド家にも協力を求めるといい」
「私が、代表に?」
「あなたが始めるものだろう」
私は返事に詰まった。
公爵夫人だった頃、私は家の名の後ろにいた。夫の名、家の格、前妻の残した責任。そのどれかに支えられ、また縛られていた。自分の名前で何かを始めることは、考えたことがなかった。
「私に務まるでしょうか」
「務まるかどうかは、仕組みで補う。あなた一人が立派になる必要はない」
彼は淡々と続けた。
「代表は、すべてを背負う人間ではない。責任の流れを見えるようにする人間だ」
その言葉は、私の肩から少しだけ力を抜いた。
午後、基金の最初の申請者が来た。
城下の仕立屋の娘で、名前はミーナ。七歳。冬になると咳が長引き、母親は暖かい部屋で寝かせたいが、店の奥の部屋しか使えないという。父親は亡く、店はなんとか続いているものの、窓の隙間を直す費用が足りない。
ミーナはリーナよりも小柄で、頬が赤かった。緊張しているのか、母親の袖を握ったまま離さない。
私は彼女に膝を折って目線を合わせた。
「寒い時、どこが一番つらい?」
「朝」
「朝?」
「起きる時、のどがいたいです」
その言葉で、リーナが昔、同じことを言っていたのを思い出した。
目覚めた瞬間に体が冷えていると、その日一日、息が浅くなる。大人は寒い朝だと笑うが、子どもにはそれが一番の敵になる。
私は申請書に、窓枠の修繕、厚手の寝具、朝用の温かい飲み物を用意する小さな竈を記した。
「すぐに全部は変えられないけれど、まず朝を変えましょう」
ミーナの母親が、深く頭を下げた。
「ありがとうございます、奥様」
「奥様ではありません」
私は穏やかに言い直した。
「エリシアで構いません。基金の代表として伺います」
その夜、リーナにミーナの話をすると、リーナは真剣に聞いた。
「その子にも、鈴をあげますか」
「本物の鈴を?」
「うん。困った時、呼べるものがあると、少し息がしやすいから」
私は考えた。
全員に鈴を渡すことが目的ではない。けれど、呼べる仕組みを持つことは大切だ。訪問日、相談窓口、緊急時の連絡役。それらは、子どもにとっての鈴になる。
「基金の印を、小さな鈴にしましょうか」
「うん」
リーナは布団の中で微笑んだ。
「冬の部屋が、ほかの子にもできますように」
その願いは、静かだった。
けれど、薪よりも長く燃える火になる気がした。




