第30話 ノルデン城の冬の部屋
ノルデン城は、白い山の麓に建っていた。
城というより、巨大な石造りの家と砦を合わせたような場所だ。高い塔は少なく、横に広い。風を受け流す低い屋根、雪を落としやすい急な庇、厚い壁。華やかさはないが、冬を知っている建物だった。
門をくぐると、使用人たちが整然と並んでいた。
公爵家のような作り笑いではない。緊張はあるが、こちらを値踏みする目ではなかった。先頭に立つ年配の女家令が、一歩進み出る。
「ようこそお越しくださいました。ノルデン城家令、オルガと申します。リーナ様のお部屋の支度は整っております」
リーナは馬車の中で、私の手を握った。
「見に行く?」
「無理をしない範囲で」
ミラ医師が言う。
リーナは頷き、ゆっくり馬車を降りた。
城の中は、外の寒さが嘘のように穏やかだった。暖炉の熱だけでなく、壁の内側からじんわり温かい。床には厚い敷物があり、廊下の角には座って休める椅子が置かれている。
「椅子がいっぱい」
リーナが小さく言った。
オルガが微笑んだ。
「カイ様から、途中で休める場所を増やすよう命じられました」
「カイ様、椅子係も?」
「最近、役職が増えたな」
カイ辺境伯が後ろで呟いた。
リーナの部屋は、城の南東にあった。
扉を開けると、柔らかな光が入ってくる。公爵家の冬の部屋より広すぎず、天井も高すぎない。窓は二重で、外の雪景色が見えるが、冷気は入らない。床下には温水管が通り、壁には湿度計と温度計。暖炉は小さめで、煙の少ない薪が積まれている。
寝台の脇には、呼び鈴。
机には、体温表を書くための帳面。
窓辺には、椅子が四つあった。
「四つ?」
リーナが数える。
オルガが説明した。
「リーナ様、エリシア様、ネラ様、そして鈴係長様の分です」
カイ辺境伯が、無言で妹を見た。
レティシアは口笛を吹くふりをした。どうやら城中に鈴係長の話を広めた犯人は彼女らしい。
リーナは笑い出した。笑いすぎないよう、ミラ医師が水を差し出す。リーナは水を飲み、また部屋を見回した。
「ここ、息がしやすい」
その言葉だけで、私はこの旅の疲れが報われた気がした。
けれど、部屋は完全ではなかった。
リーナは窓辺に立つと、少しだけ眉を寄せた。
「お母様の膝掛け、どこに置く?」
「好きな場所に」
「冬の部屋には、窓の右に置いてた」
「同じにしてもいいし、違う場所にしてもいい」
リーナは考え、膝掛けを窓辺の椅子ではなく、寝台の足元に置いた。
「ここにする。前のお部屋と同じじゃなくていい」
それは、小さな決断だった。
公爵家の冬の部屋を忘れるのではない。同じにしなければならないわけでもない。新しい部屋は、リーナ自身の選択で少しずつ形を変えていく。
午後、リーナが休んでいる間、私はオルガと部屋の管理について確認した。
温度記録の時間。薬の保管場所。緊急時の呼び鈴の経路。夜間の見回り。誰が部屋に入ったかを書く記録板。
公爵家では、こうした確認をするたび「細かすぎる」と言われた。ここでは、オルガが真剣に頷き、必要な時は改善案を出す。
「リーナ様がご自分で書ける欄も作りましょう」
オルガが提案した。
「今日は何ができたか、何が嫌だったか。子どもは大人に遠慮してしまいます。紙に書けるなら、言葉にしやすいでしょう」
私は驚いて彼女を見た。
「素晴らしいです」
「カイ様から、できたこと欄の話を伺いました」
カイ辺境伯が少し離れた場所で咳払いをした。
城の使用人たちも、リーナを病人としてだけでなく、本人として扱う準備をしている。
夜、リーナは新しい寝台で少し緊張していた。
「眠れるかな」
「眠れなくても、横になっているだけで体は休みます」
「鈴、鳴らしてもいい?」
「もちろん」
リーナは鈴を一度鳴らした。
ちりん。
扉が開き、オルガが顔を出す。
「お呼びでしょうか」
「試しただけです」
「試験成功でございます」
リーナは安心したように笑った。
その後、カイ辺境伯も部屋の前まで来た。
「到着後の礼を言うと約束していた」
リーナが布団の中から言った。
「カイ様、温かいお部屋をありがとうございます」
カイ辺境伯は、少しだけ頭を下げた。
「どういたしまして。必要なら改善する」
「今は、花丸四つ」
「基準を確認したい」
「椅子が四つだから」
彼は真面目に頷いた。
私は笑いを堪えながら、体温表の新しい欄に書いた。
リーナ、ノルデン城の冬の部屋で息がしやすいと言えた。
窓の外では雪が降っている。
でも、この部屋の雪は怖くない。
リーナがそう言える日が、いつか来るかもしれない。




