第22話 ベルモンド侯爵家の使者
リーナの母方、ベルモンド侯爵家から使者が来た。
使者といっても、年老いた執事ではない。マリアンヌ前公爵夫人の弟、エルヴィン・ベルモンド侯爵本人だった。淡い金髪に青い目。リーナと同じ色を持つ穏やかな男で、法廷の控室に入るなり、深く頭を下げた。
「エリシア様。姪を守ってくださったこと、心より感謝申し上げます」
私は少し戸惑った。
ベルモンド侯爵家は、これまでリーナの療養費を信託として出していたが、公爵家との関係が悪化することを恐れ、直接介入はしてこなかった。私も、彼らに対して複雑な思いがある。
「感謝を受けるには、まだ早いです。リーナは回復途中ですし、後見も決まっていません」
「だからこそ参りました」
エルヴィンは椅子に座り、丁寧に書類を出した。
「ベルモンド侯爵家は、リーナの母方として後見を申し立てる用意があります。公爵家に戻さないという点では、あなたと同じです」
私は書類を見た。
母方の親族が後見を申し立てる。それは自然なことだ。むしろ、血縁のない私より、法的には強い。
胸の奥が、少し冷えた。
私はリーナを公爵家から出した。けれど、私があの子の未来を所有しているわけではない。あの子にとって良い場所が母方の家なら、私は手を離すべきなのかもしれない。
頭では分かる。
心は、すぐには追いつかない。
「リーナには、この話をしましたか」
「まだです。まず、あなたへお伝えすべきだと思いました」
「なぜ」
「姪があなたを信頼しているからです。あなたを飛ばして話せば、また大人が勝手に決めることになる」
その言葉で、私は少し息をついた。
エルヴィンは、少なくともリーナの言葉を聞くつもりがある。
カイ辺境伯が同席していた。彼は書類に目を通し、いくつか確認する。
「ベルモンド侯爵領は南部だ。冬は王都より穏やかだが、湿気が多い。冬咳には良い面と悪い面がある」
「医師の意見を聞くつもりです」
「療養室は」
「マリアンヌの生家に、古い日当たりの良い部屋があります。改修は可能です」
条件としては、現実的だった。
現実的だからこそ、胸が痛い。
私はリーナの部屋へ行く前に、廊下で立ち止まった。
カイ辺境伯が隣に来る。
「怖いか」
「はい」
「何が」
「リーナがベルモンド家へ行きたいと言った時、笑って送り出せるか分かりません」
正直に言うと、情けなさが込み上げた。
母役を降りたと言いながら、私はあの子を手放したくないと思っている。リーナのためと言いながら、自分の寂しさを混ぜてしまう。
「それは普通だ」
カイ辺境伯が言った。
「手放したくない気持ちがあることと、手放さないために子どもの選択を奪うことは違う」
「私は、後者にならないでしょうか」
「だから今、怖がっているのだろう。怖がれるなら、確認できる」
私は小さく頷いた。
リーナは部屋で、レティシアと絵札をしていた。熱は下がったが、まだ長く座ってはいられない。寝台の上に板を置き、札を並べている。
エルヴィンが入ると、リーナは目を丸くした。
「エルヴィン叔父様?」
「久しぶりだね、リーナ」
彼の声は震えていた。
「会いに来るのが遅くなって、すまない」
リーナは少し考えた。
「お母様の弟?」
「そうだよ」
「お母様に似てる?」
「自分では分からないけれど、姉上とはよく笑い方が似ていると言われた」
リーナはじっと彼を見た。
そして、小さく言った。
「エリシア様も、笑うと少しお母様に似てるって、昔、お父様が言ってた」
部屋が静かになった。
私は初めて聞いた。
ジェラルドが私と結婚した理由の一つが、マリアンヌ様に少し似ていたからだとは薄々知っていた。けれど、リーナの口から聞くと、胸の奥が複雑に揺れる。
エルヴィンは、柔らかく微笑んだ。
「それなら、リーナには、二人分の優しい笑い方を知っている人がそばにいたんだね」
リーナの瞳が潤んだ。
エルヴィンは、後見の話を急がなかった。まずマリアンヌ様の子どもの頃の話をした。木登りが好きで、ドレスを破って叱られたこと。薬草園で蜂に刺されて泣いたこと。リーナが初めて寝返りをした日の手紙を、今も持っていること。
リーナは黙って聞いていた。
その夜、リーナは私に聞いた。
「ベルモンドのお家に行ったら、エリシア様は来ない?」
「あなたが望み、侯爵家が許せば、会いに行きます」
「一緒には住まない?」
「それは、皆で話し合うことです」
リーナは毛布を握った。
「わたし、エルヴィン叔父様の話、うれしかった。でも、エリシア様と離れるのはいや」
私は息を止めた。
「いやって言っていい?」
「言っていいです」
リーナは、ほっとしたように目を閉じた。
「じゃあ、書いて。ベルモンドのお話はうれしい。でも、エリシア様と離れるのはいや」
私は体温表の下に、そのまま書いた。
子どもの言葉は、誰かを傷つけるかもしれない。
それでも、薄めてはいけない。
翌日、エルヴィンはその記録を読み、目を赤くした。
「姪の言葉を尊重します。ベルモンド家は、リーナの血縁として支援を続けます。ただし、後見は本人の意思と医師の判断を優先したい」
彼は私に向き直った。
「エリシア様。あなたがリーナのそばにいる形を、一緒に探させてください」
私は深く頭を下げた。
手放すか、抱え込むかではない。
大人たちが手を増やす道もある。
リーナの新しい部屋には、椅子が三つどころでは足りなくなりそうだった。




