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義娘の冬の部屋を明け渡せと言われましたが、母役の座も妻の座もお断りして公爵家を出ます  作者: 花守りつ


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第21話 家令マルクスの帳簿

マルクスが口を開いたのは、ジェラルドの拘束から二日後だった。


 それまで彼は、自分は会計処理をしただけだと主張していた。主君の命令に従った。医師の請求を処理した。ロアン母娘の支出は公爵の裁可を得ていた。そういう言葉を、帳簿の余白のように並べていた。


 けれど、監察局は彼の私室から小さな黒革の帳簿を見つけた。

 公爵家の正式な帳簿ではない。マルクス個人の控えだ。誰にいくら渡し、どの支出名目で穴を埋め、どの月にジェラルドの署名を先に取ったかが、細かく記されている。

 カイ辺境伯はそれを見て、短く言った。


「家令としては有能だったな」

「褒めているのですか」

「罪を残す几帳面さは、監査側には助かる」


 褒めてはいないらしい。

 その黒革の帳簿には、リーナの療養費がどのように流れたかも書かれていた。

 銀葉草二袋分の差額、ロアン母娘の宝飾代へ。冬の部屋維持費、カミラの夜会衣装へ。薪代、公爵家の借財利息へ。ベルモンド信託からの追加申請、ジェラルドの私的な賭け金補填へ。

 一つ一つの金額は、公爵家全体から見れば致命的ではないのかもしれない。

 けれど、その一つ一つが、リーナの咳になった。


 私は帳簿の写しを読みながら、紙の端を強く握っていた。怒鳴りたい。泣きたい。けれど、法廷では感情だけでは足りない。黒革の帳簿は、怒りを数字に変えてくれている。

 マルクスの尋問は、監察局の小部屋で行われた。私は直接立ち会う必要はなかったが、被害者側の介護者として、別室で音声記録を聞く許可を得た。


「なぜ、リーナ嬢の薬代を削った」


 監察官の声がする。

 マルクスはしばらく黙ったあと、疲れた声で答えた。


「公爵家の財政が悪化していました。旦那様は見栄を張る。ロアン嬢への支出も増える。だが、公爵家の名を保たねばならない。リーナ様の療養費は、外から入る金でした。帳簿上は病状が続いているほうが、追加申請をしやすかった」

「子どもが苦しむとは考えなかったのか」

「ベイン医師が、命に関わるほどではないと」

「あなた自身は、リーナ嬢の状態を見ていたはずだ」


 沈黙。


 その沈黙に、私は廊下で薪を運ぶネラの姿を思い出した。夜中に咳き込むリーナの部屋の前で、マルクスが立ち止まっていたこともある。彼は知らなかったのではない。知っていて、帳簿の行を整えた。


「奥様が私費を出すと思っていました」


 マルクスが言った。


「エリシア様は、いつも出された。薬が足りなければ買い、薪がなければ買い、使用人が手を抜けばご自分で整えた。ですから、最終的には何とかなると」


 私は目を閉じた。

 私が出した金が、リーナを救うと同時に、不正を長引かせていた。

 カイ辺境伯の言葉が蘇る。自分の権利を後回しにし続ける者は、相手に学習させる。

 マルクスは学習していた。私なら補う。私なら怒らない。私なら、家の体面を守るために自分の装身具を売る。

 胸が痛む。

 けれど、ここで自分を責めるだけでは、また相手の罪が薄まる。

 尋問室の中で、監察官が問う。


「ジェラルド公爵は、療養費が別用途に流れたことを知っていたか」

「全部ではありません」

「一部は」

「……署名をいただいた支出は、説明しました。リーナ様は元々弱い。少し療養が長引いても、信託から補えると」


 音声記録の向こうで、紙がめくられる。


「ロアン母娘は」

「カミラ様は、冬の部屋と療養費の一部がリーナ様のためのものだと知っていました。ロアン夫人は、細かいことは知らない。ただ、良い部屋と良い金の出所を深く問わなかった」


 深く問わない人間たちが、リーナの息を浅くした。

 尋問が終わると、カイ辺境伯が別室へ入ってきた。


「聞いたか」

「はい」

「あなたの私費支出は、不正を長引かせた原因ではない」


 彼は先に言った。

 私は驚いて顔を上げた。


「今、そう考えただろう」

「……考えました」

「あなたが補わなければ、リーナ嬢はもっと早く悪化していた。悪いのは、補わせた者たちだ。そこを取り違えるな」


 強い口調だった。

 私は唇を噛んだ。


「でも、私がもっと早く訴えていれば」

「今、訴えた。遅すぎたかどうかは、あなたを責めるためではなく、今後の制度を直すために検証する」


 制度。

 その言葉で、私は黒革の帳簿を見た。

 これはリーナ一人の話ではないのかもしれない。弱い子どもの名目で金が動き、世話をする者の善意で穴が埋められ、不正が見えなくなる。そんな家は、他にもあるのではないか。


「閣下」

「何だ」

「リーナの件が終わったら、療養費の監査制度を変えられますか」

「変えるには、実例と提案が要る」

「実例は、あります」


 私は黒革の帳簿を指した。


「提案は、これから考えます」


 カイ辺境伯の目が、わずかに明るくなった。


「手伝う」


 短い言葉だった。

 けれど、その短さの中に、怒りの使い道が見えた。

 リーナの部屋を奪った帳簿を、今度は誰かの部屋を守るための帳簿に変える。

 それは、マルクスたちへの処罰より遠回りかもしれない。

 でも、燃やした後に暖炉を作るなら、きっと必要なことだった。

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