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義娘の冬の部屋を明け渡せと言われましたが、母役の座も妻の座もお断りして公爵家を出ます  作者: 花守りつ


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第16話 寵姫の母の部屋

※公爵家側の視点を含みます。

ロアン男爵未亡人は、法廷から戻る馬車の中でずっと黙っていた。


 彼女は本来、沈黙が苦手な女だった。相手が貴族でも使用人でも、気に入らないことがあれば扇で音を立て、膝が痛む、腰が冷える、茶が薄い、菓子が固いと訴える。娘のカミラは、母の不満を可愛らしい困りごとのように見せるのが上手かった。


 だが、今日の沈黙は不機嫌ではない。

 恐れだった。


「お母様」


 カミラが小さく呼ぶ。


「冬の部屋のことは、知らなかったと言い続けましょう。療養室だとは聞いていたけれど、設備のことまでは知らない。そうでしょう?」

「……ええ」


 未亡人は窓の外を見た。

 王都の石畳に雪が薄く残っている。馬車の揺れで膝が痛む。けれど、今は膝よりも、法廷に出された写真板が頭から離れない。

 リーナの療養棚が廊下に出され、代わりに自分の大きな寝台が置かれていた。

 あの写真を見た時、傍聴席の貴婦人たちがどんな目をしたか、未亡人は分かっている。

 病気の子どもの部屋を奪った女。


 社交界は、そういう分かりやすい悪役を好む。昨日までエリシアを「先妻の子に執着する後妻」と囁いていた人々が、明日にはロアン母娘を囁く側に回る。


「カミラ、あの部屋から荷物を出しなさい」

「今さらですわ」

「今さらでもよ。写真を撮られたのよ。まだ居座っていると知られたら、わたくしが笑われる」


 カミラは唇を噛んだ。

 彼女にとって、冬の部屋は勝利の象徴だった。公爵夫人が守っていた部屋を、自分の母が使う。ジェラルドが誰を優先するかを、屋敷中に示すための場所だった。

 けれど、勝利の部屋は、今や証拠の部屋になっている。

 公爵家に戻ると、玄関ホールは落ち着かない空気で満ちていた。使用人たちは目を合わせず、誰もカミラへ以前のように親しげな笑みを向けない。


 ジェラルドは執務室に閉じこもっている。マルクスは監察局からの呼び出しを受け、顔色を失っていた。

 カミラは母を冬の部屋へ連れていった。


 扉を開けると、部屋は朝より冷えていた。調整弁を外したまま職人が来ないため、床下の温水管が止まっている。大きな寝台は部屋に合わず、窓辺の光を遮っていた。薬棚のあった場所には、未亡人の香水瓶が並んでいる。


 香りが強すぎて、空気が重い。


「こんな部屋、最初から欲しくなかったわ」


 未亡人が吐き捨てた。

 カミラは返事をしなかった。


 最初から欲しかったのは、部屋ではない。ジェラルドがエリシアではなく自分を選ぶ証拠だ。母の膝を口実にすれば、リーナの部屋を奪えると思った。病気の子どもがどの程度苦しむかなど、深く考えなかった。


 考えなかったことが、罪になり得るとは思わなかった。

 そこへ、マルクスが入ってきた。


「ロアン夫人、荷物をお移しください。監察局の追加検分が入ります」

「今すぐ?」

「明朝です。部屋を元に戻せる限り戻す必要があります」


 カミラは母の前へ出た。


「マルクス、薬の件はどうなりますの。あなたが処理すると言ったでしょう」


 マルクスの顔が固まる。


「そのような言い方はおやめください」

「だって、あなたが療養費から少し回せると。リーナはどうせ弱い子だから、薬を強くしても同じだと」

「ロアン嬢」


 マルクスの声が低くなる。


「誰かに聞かれます」


 遅かった。

 廊下には、監察局の職員が立っていた。追加検分の通達を届けに来た者だ。彼は表情を変えず、手帳を開いている。

 カミラの顔から血の気が引いた。


「今の発言について、後ほど確認します」


 職員は丁寧に頭を下げた。

 その丁寧さが、逃げ場をなくす。

 ロアン未亡人は椅子に座り込んだ。香水の匂いが、冷えた部屋でやけに強く漂う。

 カミラは口元を押さえた。

 冬の部屋は、誰かを温めるための部屋だった。

 けれど、奪った者たちにとっては、冷たい証言台になり始めていた。

 翌日、その発言記録が法廷へ提出された。

 私は控室で写しを読み、しばらく言葉が出なかった。


「深く考えなかった」


 カミラの弁明には、そんな言葉が並んでいる。

 深く考えなかった。母が寒がっていた。ジェラルドが許した。エリシアは最後には折れると思った。リーナがそこまで悪いとは知らなかった。

 知らなかったことにすれば、奪った部屋は軽くなるのだろうか。

 私は紙を閉じた。

 カイ辺境伯が向かいに座っている。


「怒っているか」

「はい」

「怒りをどこに使う」

「リーナの新しい部屋を作るために」


 自分で言って、少し驚いた。

 以前の私なら、怒りを飲み込んでいた。今は、燃やす場所を選ぼうとしている。

 カイ辺境伯は頷いた。


「良い使い道だ」


 その日、法廷では冬の部屋の追加検分写真が提出された。大きな寝台をどけると、床板の一部に水漏れの痕があり、調整弁を無理に外したせいで配管が傷んでいた。

 リーナが戻れば危険だった。

 その事実が、ロアン母娘の「知らなかった」をさらに薄くした。

 私は傍聴席で、リーナの膝掛けを握った。

 あの部屋はもう、リーナの部屋ではない。

 けれど、あの部屋が壊された証拠は、リーナを戻さない理由になる。


 奪われたものすら、守るための材料に変える。

 それが今、私にできる復讐だった。

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