第15話 薄い薬の作り方
ベイン医師は、法廷に立っても医師の顔を崩さなかった。
白髪交じりの髪を整え、清潔な襟を正し、落ち着いた声で「患者のために最善を尽くした」と述べる。公爵家の主治医として、彼は長年信頼されてきた。私も以前は、そう信じようとしていた。
リーナの咳が続いても、ベイン医師は「体質です」と言った。
熱が下がらなくても、「心配しすぎは子に伝わります」と私をたしなめた。
薬の効きが悪いと訴えた時は、「飲ませ方が悪いのでは」と言った。
その言葉を思い出すたび、私は胃が冷える。
「ベイン医師」
監察官が、薬包の分析結果を示した。
「リーナ嬢に処方された薬と、実際に保管されていた薬包の配合が異なります。説明できますか」
「保管状態による劣化でしょう。薬草は繊細です」
「主薬が半分以下になるほど劣化しますか」
「稀には」
彼は迷わず答える。
その堂々とした嘘に、私は寒気を覚えた。
次に、捕まった元助手サミュエルの供述が読み上げられた。
ベイン医師の指示で、安価な乾燥草を混ぜた薬を作った。正規薬は公爵家へ請求し、差額は家令マルクスを通じて分配された。偽造紙は下町の印刷所で作らせた。火事は、証拠を消すためにマルクスから金を受け取った男が起こした。
法廷の空気が重くなる。
ベイン医師は、表情を変えなかった。
「元助手は、解雇された恨みで虚偽を述べているのでしょう」
「では、こちらの署名は」
監察官が別の帳面を出した。
ラザール薬房の帳簿。混ぜ物に使われた薄荷草の購入記録。受け取りの符号。ベイン医師の診療所で使われる薬瓶の番号。
カイ辺境伯が、その番号と公爵家の薬箱に残っていた瓶の底の刻印を照合していた。
「同じ診療所の瓶です」
彼の声は静かだった。
「さらに、リーナ嬢の症状悪化日と、薄い薬が渡された日が一致している。偶然と主張するには、回数が多い」
ベイン医師の口元が、初めて引きつった。
弁務官が慌てて立ち上がる。
「仮に助手が不正をしていたとしても、公爵閣下はご存じなかったはずです」
「その点は後で問います」
判事は短く言った。
「今は医師の責任です」
ミラ医師が証言台に立った。
彼女はベイン医師の処方記録を読み、どの薬草が必要で、どの量が不足すればどう悪化するか、専門用語をできるだけ避けて説明した。
「薄い薬は、毒ではありません。だからこそ危険です。すぐに倒れるわけではない。少しずつ治りが遅れ、体力が削られ、周囲は『この子は元々弱い』と思うようになる。治療の失敗を、体質のせいにできるのです」
その言葉に、私は拳を握った。
薄い薬の作り方は、薬草を減らすだけではない。
子どもの訴えを薄める。付き添いの不安を薄める。父親の責任を薄める。記録を薄め、部屋の意味を薄め、最後に命の重さまで薄める。
ベイン医師は、それを知っていた。
「医師として、患者の苦痛に気づかなかったのですか」
ミラ医師が問うた。
ベイン医師は目を逸らした。
「公爵家の事情もありました。過度な療養は、子どもを弱くするという方針が」
「医師の方針ですか。父親の都合ですか」
沈黙。
その沈黙は、長かった。
やがて、ベイン医師は低く言った。
「薬を薄める指示を出したのは、私です。だが、殺すつもりはなかった。少し症状が続けば、療養費の申請も通りやすくなると……」
法廷がざわめいた。
私は耳を疑った。
「療養費の申請?」
監察官が聞く。
「公爵家は、リーナ嬢の療養名目で、ベルモンド侯爵家の信託から追加費用を受け取っていました。病状が安定しすぎると、支出の必要性を問われる。だから、完全には治さず、悪化もしすぎないように、と」
言葉が途切れる。
カイ辺境伯の目が、氷のようになった。
「誰が言った」
ベイン医師は答えなかった。
けれど、彼の視線が一瞬だけマルクスへ走った。
マルクスは顔を真っ白にしていた。
ジェラルドは、何が起きているのか理解しきれていないような顔をしている。カミラは母親の手を握り、ロアン未亡人は扇で口元を隠した。
私は、その全員を見た。
この人たちは、リーナの苦しさを金額に変えていた。
父親が直接薬を薄めたわけではないかもしれない。けれど、苦しむ子を見ない家が、その不正を可能にした。
休廷が宣言され、ベイン医師は監察局の職員に囲まれた。医師資格の一時停止と身柄保全が告げられる。
彼は最後に、私を見た。
「夫人、私は、あなたが大げさだと思っていました」
私は立ち止まった。
「今もそう思いますか」
ベイン医師は答えなかった。
答えがないなら、それでよかった。
廊下に出ると、カイ辺境伯が壁にもたれていた。珍しく、疲れた顔をしている。
「大丈夫ですか」
「医師が患者を金の流れに組み込む話は、何度聞いても慣れない」
「慣れないのですね」
「慣れたら終わりだ」
その言葉に、私は少し救われた。
冷淡で知られる人が、慣れないと言う。怒りを表に出さなくても、彼の中で何かが燃えている。
控室に戻ると、リーナは眠っていた。
私は寝椅子の横に座り、彼女の手を握った。細い指。薄い爪。薬を薄められても、苦しいと言っても、大げさだと扱われてきた手。
「もう、薄めさせません」
小さく言うと、リーナが眠ったまま指を動かした。
聞こえていなくてもいい。
これは、私自身に残す記録でもあった。




