第14話 侍女ネラの証言
午後の証言台に立ったネラは、いつもの侍女服ではなかった。
監察局が用意した簡素な濃灰色の服に、髪をきっちりまとめている。公爵家の使用人としてではなく、一人の証人として立つためだ。けれど彼女の手は少し震えていた。
私は傍聴席から、彼女を見守った。
ネラは私より若い。公爵家に来た時は、まだ洗濯係から上がったばかりで、礼儀作法もおぼつかなかった。リーナの世話を手伝ううち、薬湯の濃さ、布の温度、咳が悪くなる前の呼吸の変化まで覚えた。
その彼女が、今、法廷で公爵家を相手に話す。
「ネラ・ハルト。あなたはリーナ嬢の療養に関わっていましたね」
「はい。エリシア様の侍女として、リーナ様のお部屋にも出入りしておりました」
監察官が、体温表の写しを示す。
「この記録の一部はあなたが書いたものですか」
「はい。奥様が夜通し看病された翌朝など、代わりに書きました」
「薬が届かなかった月を覚えていますか」
ネラは頷いた。
「覚えています。リーナ様の咳が続いて、奥様が薬師へ確認に行かれました。公爵家からは『支払い済み』と言われていたのに、薬師からは『注文は一袋だけ』と返事がありました。奥様は、その日のうちに真珠の耳飾りを売って薬を買われました」
ジェラルドの弁務官が立ち上がった。
「侍女の証言は、主人への忠誠から偏る可能性があります。あなたはエリシア夫人に恩義があるのでは?」
ネラは一瞬、怯えた。
私は手を握りしめる。
けれど、ネラは顔を上げた。
「あります」
法廷が静かになる。
「奥様は、洗濯係だった私に字を教えてくださいました。リーナ様の体温表を書くには、数字を間違えないことが大事だからと。恩義はあります。でも、私が今日話しているのは、恩返しではなく、見たことです」
ネラの声は震えていたが、言葉ははっきりしていた。
「私は見ました。リーナ様の薬が薄くなっていくこと。薪が足りず、奥様が自分のショールをリーナ様の寝台に重ねたこと。旦那様が冬の部屋に来ないこと。ロアン嬢が廊下で『あの部屋は母にちょうどいい』と笑ったこと」
カミラの顔が白くなる。
弁務官はさらに攻めた。
「あなたは使用人です。主人方の会話を盗み聞きしていたのですか」
「廊下にいて、聞こえました」
「では、聞き間違いかもしれない」
「その後、ロアン夫人の荷物が南棟へ運ばれました。聞き間違いではありません」
ネラの手の震えが止まっていた。
私は胸の奥で、静かに息を吐いた。
次に問われたのは、夜の搬送についてだった。
「エリシア様は、リーナ様を無理やり連れ出したのですか」
「いいえ。リーナ様に説明し、外套を着せ、薬と膝掛けを用意しました。リーナ様は怖がっていましたが、エリシア様の手を離しませんでした」
「公爵家の者が止めましたか」
「家令マルクス様が止めました。でも、搬送令を見て門番は門を開けました」
「公爵閣下は」
ネラは少し黙った。
「晩餐室で怒鳴っていました」
短い答えだった。
けれど、その短さがかえって重い。
父親が病気の娘のそばに来ず、晩餐室で怒鳴っていた。法廷には、事実だけが残る。
証言が終わると、ネラは証言台から降りた。足元がふらつき、監察局の職員が支えようとする。けれど彼女は自分で立ち、私の方を見た。
私は小さく頷いた。
よくやった。
声に出せば法廷の進行を乱す。だから、目だけで伝える。
ネラの目に涙が浮かび、彼女はすぐに下を向いた。
休憩時間、控室でネラは泣いた。
「奥様、私、途中で声が震えてしまって」
「震えても、言えました」
「怖かったです」
「怖い人と会う時は、二人きりにならない。今日は私たちがいました」
リーナが寝椅子からそう言った。
ネラは驚いて、それから泣き笑いの顔になる。
「リーナ様まで、そんな頼もしいことを」
「約束だから」
リーナは真剣に頷いた。
その様子を見て、私は思った。証言台で戦うのは、一人で立つことではない。見たことを話す背中に、誰かがいると知っていることだ。
午後の終わり、ネラの証言を裏付けるため、薪の搬入業者が呼ばれた。
彼は公爵家の正式な薪代が支払われていなかった月、エリシア個人名義で代金を受け取ったと証言した。領収書には、私の署名がある。
弁務官は、私が勝手に高価な薪を買ったのではないかと主張した。
薪屋は首を振った。
「高価な薪じゃありません。湿り気の少ない、病人部屋に向いた薪です。奥様はいつも、煙の少ないものを少量ずつ買われました。金持ちの無駄遣いなら、もっと派手に買います」
法廷のどこかで、小さな笑いが起きた。
私は少しだけ頬が熱くなった。
派手ではない。けれど、必要なものを買った。その証言が、私にはありがたかった。
審問が終わる頃、カイ辺境伯が私に言った。
「今日の証言で、療養費の不一致はほぼ固まる」
「ネラのおかげですね」
「彼女の見たことと、あなたの記録がつながったからだ」
私は控室の扉を見る。
中では、リーナがネラの手を握っている。ネラはまだ少し泣いているが、その涙は公爵家で流したものとは違った。
怖くても言えた。
それは、体温表の「できたこと」に書くべき一行だと思った。
別邸へ戻ったら、リーナと一緒に書こう。
ネラ、証言台で見たことを話した。怖かったけれど、戻ってきた。




