第12話 王都へ向かう寝台馬車
本審問の日程が決まった。
十日後、王都中央法廷。仮審問よりも大きな場で、リーナの後見、療養費の横領、医療記録の改竄、公爵家の監督責任がまとめて扱われる。監察局の予備調査で、薬包偽造の元助手サミュエルが捕まったこと、印刷所の版が見つかったこと、薬の購入記録にベイン医師の名が出たことが大きい。
けれど、十日後まで別邸で静かに待てるほど、公爵家はおとなしくなかった。
私が狂っている。辺境伯と不適切な関係にある。リーナを公爵家への復讐に利用している。そんな噂が、王都の社交界と新聞の端に流れ始めた。
カイ辺境伯は新聞を読み、無表情で言った。
「文章が下手だ」
「問題はそこですか」
「嘘を書くなら、もう少し一貫性を持たせるべきだ。あなたは狂っているのか、計算高いのか、恋に溺れているのか、この記事では立場が混ざっている」
私は呆れるべきか笑うべきか迷った。
レティシアは遠慮なく笑った。
「兄様、名誉毀損の記事に文芸批評をしないでください」
「批評ではない。反論書の作成だ」
彼は本当に反論書を書き始めた。
その横で、私は王都中央法廷へ移動する準備を進める。別邸から法廷までは馬車で半日ほどだが、リーナの体調を考えると、前日に王都の監察局宿舎へ入ったほうがいい。寝台馬車、薬箱、呼び鈴、体温表、替えの寝巻き、リーナの絵、マリアンヌ様の膝掛け。
荷物は、公爵家を出た夜より少し増えた。
その増え方が、私は嬉しかった。逃げるための荷物ではなく、生きるための荷物になっている。
出発の朝、リーナは窓辺に立って別邸の庭を見ていた。医師の許可を得て、厚い外套を着ている。
「また戻ってこられる?」
「戻れます。ここはあなたの一時保護先ですから」
「一時って、いつか終わる?」
「終わります。でも、終わった先が寒い場所だとは限りません」
リーナは私を見上げた。
「新しい部屋、できる?」
「作りましょう。どこに住むことになっても、息がしやすい部屋を」
その時、カイ辺境伯が玄関ホールから声をかけた。
「馬車の温石を確認した。揺れは少ないが、途中で休憩を入れる」
「ありがとうございます」
「礼は到着してからでいい」
リーナが小さく笑った。
「カイ様、いつも到着してからって言う」
「途中で倒れたら、礼の処理が面倒だ」
「礼の処理?」
「言葉を受け取ったのに役目を果たせないと、記録が不完全になる」
リーナは真剣に考え込んだ。
「じゃあ、到着したら、ちゃんとありがとうって言うね」
「そうしてくれ」
寝台馬車は、カイ辺境伯が北境の病人搬送に使うため作らせたものらしい。座席を倒すと簡易寝台になり、床下に温石を入れられる。窓には厚い布があり、外の冷気を防ぐ。公爵家の馬車より飾りは少ないが、乗る人間の体を考えて作られていた。
リーナは膝掛けに包まれ、呼び鈴を枕元に置いた。
「馬車でも鳴らしていい?」
「もちろん」
ネラが答える。
私はリーナの向かいに座り、書類鞄を足元へ置いた。カイ辺境伯は別の馬で護衛に付くと思っていたが、彼は当然のように馬車へ乗り込んだ。
「閣下もこちらに?」
「書類を確認する。揺れる馬上では読めない」
「護衛は」
「外にいる。私は中で、あなたたちが無理をしていないか監視する」
監視、という言葉にリーナが少し身を固くした。
カイ辺境伯は気づき、言い直した。
「確認する」
「確認なら大丈夫」
リーナが頷く。
こうして言葉が修正されるたび、彼女の警戒が少しずつ解けていく。大人の言葉は絶対ではない。怖ければ言い直してもらえる。その経験は、薬よりゆっくり効くのだと思う。
馬車が動き出した。
雪道の揺れはあるが、寝台の支えが良いのか、リーナはすぐに楽な姿勢を見つけた。ネラが蜂蜜湯を薄め、私は体温を測る。カイ辺境伯は書類に目を通しながら、時々窓の外を見る。
途中の宿場で休憩した時、小さな事件が起きた。
宿の前にいた男が、こちらの馬車を見て走り出そうとしたのだ。護衛騎士がすぐに捕まえる。男は新聞売りを装っていたが、懐に公爵家の紋章入りの封蝋を持っていた。
「何をしていた」
カイ辺境伯が聞くと、男は震えながら答えた。
「馬車に、これを……」
差し出された封筒には、私の名が書かれていた。
中身は、ジェラルドからの私信だった。
今なら許す。リーナを返し、監察局への訴えを取り下げれば、公爵夫人として迎え直す。母役としての失敗は不問にする。
私は最後まで読んで、封筒ごとカイ辺境伯へ渡した。
「証拠になりますか」
「なる。監察局立ち会い以外の接触禁止に触れる」
リーナが不安そうに私を見る。
「帰るの?」
「帰りません」
私は即答した。
「許す、と書いてあるけれど、私は許してもらう立場ではありません」
カイ辺境伯が、封筒を証拠袋に入れた。
「良い返答だ」
「返事は書きません」
「書かなくていい。沈黙ではなく、拒絶として記録する」
馬車は再び王都へ向かった。
リーナはしばらく封筒を見ていたが、やがて小さく言った。
「お父様、母役ってまだ言ってる」
「そうね」
「エリシア様は、失敗してないよ」
その言葉で、私は目を閉じた。
失敗していない。
誰かにそう言われたいと思っていたのかもしれない。妻としては失敗した。公爵家を丸く収めることもできなかった。けれどリーナがそう言うなら、私の手は少なくとも完全には間違っていなかった。
「ありがとう」
私は言った。
リーナが、枕元の呼び鈴をちりんと鳴らす。
「到着してないけど、今のありがとうは受け取ってもいい?」
カイ辺境伯が、珍しく目元を和らげた。
「それは、到着前でも有効だ」
馬車の中に、小さな笑い声が広がった。
王都中央法廷はまだ遠い。けれど、私たちはもう、公爵家へ戻る馬車には乗っていなかった。
お読みいただきありがとうございます。
ここまでで保護編は一区切り、次話から王都本審問に入ります。下の☆☆☆☆☆から応援していただけると大変励みになります。




