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35.全面対決


「ジュリア」


 池を背にした私のすぐ前まで来たリカルドお父様は、

 

「何をしてる。風邪をひくぞ」


 瞳に2つのハートを輝かせて言った。


「ブラウス姿で庭を歩くなんて……もしお前が風邪を引いたらと思うと、わしは悲しみで気を失ってしまいそうだ」

「お父様。その台詞は、ちょうど1年前の春にもお聞きしました」

「春を甘くみるではないぞ。さあ、わしのコートを着るのだ」


 父上がお散歩のときによく着る、ビロードのロングコートを脱いで、有無を言わさず私に着せた。

 やはり1年前と同じく、コートは父上の湿気を吸って重かった。


 父上の顔を見上げるーーバーナード殿下の騒動のときにげっそり痩せた顔は、ほんの1日で回復し、元の通り脂ぎってテカテカ光っていた。

 

「ジュリア。好きだ」

「……それもお聞きしました」

「父親が娘を愛する、いいや、溺愛するのは、当然のことだろう?」

「…………」

「娘の初恋の相手は父親だという素晴らしい金言がある。愛するジュリアよ、この言葉は真実かな?」

「…………」

「どうだ? わしの身体から出た愛をたっぷり吸ったコートは、この世のものとは思えないほど暖かいだろう?」


 春の陽気のせいか、父上は前に言ったことをきれいに忘れてしまったらしい。まったく同じことを、さも今思いついたように言った。


「ジュリア。妻には内緒だぞ。これで欲しいものを買いなさい」


 父上は声を潜めると、私に着せたコートのポケットに手を突っ込み、そこから金の延べ棒を取り出した。これも1年前と同じ行為だ。


「ありがとうございます、お父様」


 これはエディとの逃避行に役立つので、ひったくるようにして受け取った。


「おやおや。お前のことだから、もう少し遠慮するかと思ったが」

「あれからお金の大事さを学びましたから」


 ノックス大賢者との騒動のときに、危うく全財産を失いかけた父上は頭を掻き、


「成長したな、ジュリアよ。何だかわしよりも、お前のほうが大人のようだ」


 と言った。私はついでだと思い、


「そう言えば、以前ピンクの宝石をプレゼントしようとしてくれましたわね。小国が買えるくらいの価値があるという」

「ああ。そんなこともあったな。お前は受け取らなかった」

「あれも下さい。急に欲しくなりました」


 父上の眉が、困ったように下がった。


「すまん、ジュリア。妻が、あれだけは手放してはならんとーー」

「私を愛してませんの、お父様?」

「そりゃもちろん溺愛しておる。しかし大賢者のことがあってから、財産の管理は妻にーー」

「私より、お母様を溺愛なさっているのね」

「ば、馬鹿なことを言うな! 今すぐあの宝石を持ってくる!」


 父上は血相を変えてきびすを返したが、


「ああ、そうそう」


 と何かを思い出したように振り返り、


「レオナルドから、エドモンドのことは聞いたろ? 何でも白馬に乗ってお前を迎えに来るとか」


 心臓が冷えたが、何とか冷静を装い、


「ええ。噂話として聞きました」


 無表情に答えた。すると、


「フン。冗談にしかならんが、それにしてもタチの悪い冗談だ。男爵家の三男坊が、ジュリアの名を口にするだけでも穢らわしい。ましてや迎えに行くなどと……これはもう、死刑確定だな」


 あえて、ホホホと笑ってみせた。


「嫌だわお父様。お父様こそ、タチの悪い冗談を」

「冗談ではない」


 父上の眼は、バッキバキにきまっていた。


「奴はおそらく、想像の中でお前を妻にした。それだけでわしは赦せん! 奴はお前を穢したのだ! 当然、撃ち殺したところでわしに罪はないが、警察に調べられたら面倒だ。わしはこれからアラベスター家に乗り込んで、責任を取って自殺するか、国外に逃亡するかのどちらかを奴に選ばせる。まあ、あの家とは長い付き合いだから、殺さないだけの情けはかけてやる」


 やっぱり無理だった。説得など到底不可能。レヴォワール家の「溺愛」は、殺人すら正当化してしまうレベルの病気なのだ。


「ああ、ちくしょう!」


 父上は吠えた。


「昔の世だったら、娘を侮辱した野郎は撃ち殺すのが当たり前なのに! 今はすっかり世の中が甘くなった。こんなときでも、父親は我慢しなくてはいけないのかっ!!」


 父上は例によってシャツの胸元を引き裂いた。

 そのとき、


「あなた?」


 パトリシアお母様が、池の畔に現れた。


「またシャツをお破りになって……1年で何着無駄にすれば気がお済みになるの?」


 そう言う母上を見て、私は「1年で何キロ肥れば気が済むの?」と言いたくなった。

 たぶん10キロ以上ーーデンと飛び出た下腹を見て、同じ女としてああはなりなくないと思った。


 案の定父上は、母上を張り倒した。


「やめなさい! 危ないでしょ!」


 後ろにひっくり返った母上は、今回はいつものように「オエーッ!!」とは言わなかった。きっと、殴られるのに身体が慣れてきたのだろう。


「やかましい! ジュリアが穢されたんだぞ! シャツくらいなんだ、雌豚め!」


 母上はむくっと起き上がり、


「穢された? どなたに?」

「エドモンドだよ。ほら、アラベスター家の」


 それを聞いた母上は、私に視線を据え、


「あら、そのお話ね。白馬に乗って迎えに来るっていう」


 そしてにっこりと笑うと、


「おめでとう、ジュリア。わたくし羨ましいわ。幼馴染と一緒になれるなんて」


 その瞬間、涙が溢れた。


「はあ? はあ? はあ〜っ??」


 父上の鼻髭が、わなわなと震えた。


「き、貴様。よくもそんな暴言を……見ろ。ジュリアが号泣したではないか」

「嬉し涙よ、あなた。だって、いつぞやバブルガム宮殿で、石膏像のオブジェが好きだと言ったじゃない。あの正体はーー」

「コラッ! その冒瀆的な口を閉じろ! 娘を売るようなことを言う奴は魔女だ。昔の世だったら、お前は裁判にかけられて火炙りになっていたぞ!」


 父上は、ははーんと言った。


「そうか。わかったぞ。お前はジュリアを嫁にやりたいのだろう? そうすれば、わしらの溺愛の対象がお前に移ると思って。だがそれは間違いだ。なぜならレヴォワール家に代々伝わる溺愛は、妻ではなく娘にしか向けられないからだ!」


 父上がそれこそ魔女のように、ケッケッケと笑った。


(やっぱりお母様は、エディの変装を見抜いていたのね。そして応援してくれている。冷たい親だと恨んだこともあったけど、最後には母親が、いちばんの理解者になってくれた……)


「でもそれよりわたくしは」


 と、パトリシアお母様が、父上の怒りの矛先を逸らすように言った。


「レオナルドちゃんとアンドレアちゃんのことが心配です。レオナルドちゃんは笑い話と受け取っていたけれど、アンドレアちゃんが思いつめてしまって。これは決闘するしかないと言うもんだから、レオナルドもその気になって、じゃあ俺が決闘してやるですって」

「何だと!?」


 父上が絶叫した。


「殺すんだったら、父親のわしがやらねば駄目だ! 息子に先を越されるわけにはいかん。あいつらはどこだ?」

「もう出ていきましたわ。エディ君を捜しに」

「なーにー!? すぐ追いかけるぞ。お前とジュリアも来い!」


 そう怒鳴って父上が走り出そうとしたとき、


「俺はここですよ」


 という声がした。

 全身が硬直した。



 エディの声だ。

 どうして隠れていないの?

 父上やお兄様や弟と決闘をしたいの?

 ねえ。

 どういうつもり?



「白馬の用意はできませんでしたが、宣言通り迎えに来ました」


 いつの間にか池から出ていたエディが、サクラの巨樹の横に立ち、父上を挑発するように凛とした声を張り上げた。


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