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36.命を救ったもの


「貴様あ!」


 リカルドお父様は怒鳴ると同時に、腰に装着したホルスターから回転式拳銃リボルバーを抜いた。


「やめて!」


 私の悲鳴は銃声に掻き消された。

 そしてエディの姿も、サクラの樹の横から掻き消えていた。


「くそっ。逃げたか。卑怯だぞ、姿を見せろ!」

「卑怯じゃありません。修行で身につけた技です」


 春の空に、エディの声が響き渡る。


「俺は三男坊で家を継げませんから、自分の力で世の中を渡っていかないといけません。ですからみなさんが社交に精を出しているあいだに、厳しい訓練を積んで身体を鍛えたのです」


 エディがサクラの巨樹の向こうから姿を現したとき、逞しい焦茶色の馬に跨っていた。


「おい、あれは、ジュリアのドウティングではないか?」


 父上の言う通り、それは私の愛馬だった。


「みなさんは、貴族が冒険者の真似をしていると笑いました。しかしもし、天変地異が起きたらどうですか? 巨大地震が起きたり、隕石が墜落したり、魔獣モンスターが大量発生したりしたら? そのとき、家柄や財産が助けになりますか? 逆に俺は、世の中がどうなっても生き抜く自信があります。つまりジュリアさんを、一生護り抜く自信があるのです」

「コラッ、馬泥棒! 不法侵入者! 誘拐犯!」


 父上は回転式拳銃を撃ちまくった。


「やめて! ドウティングに当たるわ!」


 父上の耳に私の言葉は入らず、あっという間に弾倉が空になった。

 父上がもどかしそうに弾をシリンダーに装填していると、


「お父様、今の銃声は?」


 と、レオナルドお兄様とアンドレアが、息せき切って駆けつけてきた。


「おお、お前たち。エドモンドを捜しにどこかへ行ったのではなかったか?」


 父上の問いに、


「まだ門のところにいたら、銃声が聴こえたものですから……あっ、あれは!?」


 お兄様と弟が、同時にエディに気づいた。


「やい、馬泥棒! 正々堂々と僕と決闘しろ!」


 アンドレアが拳を振り回し、猛然とダッシュした。


「いや、俺と決闘だ!」

「いいや、わしと!」


 お兄様と父上もあとに続く。


「わかりました。ではニタイの森で」


 と言うやいなや、エディは白い煙に包まれた。


「何だ? これも冒険者の技か?」


 煙が消えたとき、〈ドウティング〉の毛が真っ白に染まっていた。


「ちょっと反則ですが、お嬢様の馬を煙で白馬に変えました。スモークという、初級中の初級技です」


 白馬とエディは、颯爽と中庭を駆けていった。


「追うぞ! クレイジーアバウトユーとオンリーラヴァーとラブパッションを出せ!」


 父上は母上を後ろに乗せて〈クレイジーアバウトユー〉に跨り、お兄様と私は〈オンリーラヴァー〉に乗り,アンドレアは〈ラブパッション〉を走らせた。


〈クレイジーアバウトユー〉が激しく揺れるたび、「危ない危なーい!」という母上の悲鳴が響いた。



 ◆◆◆◆◆



 ニタイの森に来るのはちょうど1年ぶりだ。

 森に分け入るといつも思う。

 ここはファンタジーへの扉だと。


 感じるのだ。

 妖精の気配を。

 眼に見えない生き物が、人間を見てクスクス笑っている気配を。


(確か去年も、同じことを考えたわ。あれからいろいろあったけど、この感覚は変わらない。私たちは何者かに見られている。そしてその何者かは、いよいよピンチというときに、私たちを優しく護ってくれるのだ)


 過去に何回も、不思議なタイミングで危機から救われた経験が、そういう感覚をより強くさせていた。


(だから今度も、きっと何とかなる。きっと……)


「ジュリア、気をつけろ」


 私たちは、馬から降りて徒歩で進んでいたが、より道が狭くなったところで、リカルドお父様が言った。


「木の根っこだと思って踏むと、魔獣モンスターの触手だったりする。だから必ずわしの踏んだところを歩くのだぞ」


 父上は、どうも同じ台詞を言いがちだ。


「あら、わたくしの心配はして下さらないの?」


 母上も、1年前と同じ不満を洩らす。


「娘の溺愛もいいけれど、夫には妻を溺愛する義務もありますのよ」

「2人の女を、同時に溺愛はできない」

「ふーん。ではもし双子が産まれたら、どちらか一方しか溺愛なさらないの?」


 父上は少し考えていたが、


「理屈の上ではそうだ。溺愛は、たった1人にのみ注がれるものなのだから」


 これを聞いて、ますますエディと逃げるべきだと思った。私がいるかぎり、お兄様も弟も一生結婚できない。


「たった1人ねえ」


 母上が、独り言のように呟く。


「わたくしは、レオナルドちゃんとアンドレアちゃんを同時に溺愛できるのに。男はそれだけ不器用なのかしら。ねえ、ジュリア。あなたは誰を溺愛しているの?」


 いきなり気まずいことを聞いてきた。それはもちろんエドモンド・アラベスターだったが……


「誰?」

「誰?」

「誰?」


 男3人の視線が突き刺さった。

 それには気がつかないふりをし、


「あ、見て。前にアンドレアが、頭にリンゴを載せて立っていた木よ」


 と、1本の樫の木を指差した。


「本当だ。あのときは、チャールズ・イーリイ伯爵と本気で決闘するつもりだった。どうせ一度は命を捨てる覚悟をした身だ。今度もまた、ジュリアのためなら死ぬ気で決闘してやる!」


 レオナルドお兄様が、俄然鼻息を荒くした。


「お兄様、待って下さい。今度は僕の番ですよ?」

「待て待て。わしの番だろ?」

「いや自分です」


 誰が決闘をするかという言い争いに、なぜか4人目の参加者が割って入った。


「……あんた、誰?」


 その男はボロボロの布を纏って、手作りふうの安っぽい大剣を背負っていた。


(あれは!)


 私は衝撃を受けた。

 大胆にも、エディが変装して現れたのだ!


「あのー、森で修行をしている冒険者の方ですか? 生憎ですが、これは我々家族の私闘ですので、関係ない方はどうぞお下がり下さい」


 テメーはすっこんでろということを、父上が穏健に伝えた。

 するとアンドレアが、


「僕、見憶えがある!」


 と叫んだ。


「ほら、吸血鬼伯爵との決闘のとき、この人が指先から炎を出したんだよ。それで伯爵がひるんでさ」

「おお、あのときの! ぜひ礼を述べさせて下さい」


 父上がとたんに愛想良くなった。


「お陰で娘が救われました。最終的に娘を救ったのは、レヴォワール家に代々伝わる溺愛の力でしたがーー」

「いや、お父様。僕がお姉様にプレゼントした、生命力アップの魔石の力ですよ」

「いいえ、そうではありません」


 冒険者に変装したエディが、静かな口調で言った。


「あのとき伯爵は、俺に向けて発砲しました。するとこちらのお嬢様は、身の危険も顧みず、伯爵の腕にしがみついて俺を救けてくれたんです。お嬢様、遅くなりましたが、お礼を言わせて下さい」


 地面に片膝をついて頭を下げたエディに、私は無言で頷いた。


「あのように、自分の命を捨てて他人を救おうとする人を、天は決して見捨てません。だからお嬢様は救かったのです」


 その場がしんとした。我々の行動は天から見られているーーそんな厳粛な気分が、誰の胸にも沁み渡っているようだった。


「そういうジュリアさんを、俺は尊敬しています。だから一生幸せにします」


 エディはそう言うと、変装をかなぐり捨てた。


「あっ、貴様!」


 父上が反射的に回転式拳銃リボルバーを抜いたが、


「ここでの決闘はやめましょう。無名戦士の墓場に来て下さい」


 そう言い残すと、またもやエディは煙を出して消えた。


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