26.最悪の冗談
「……エディなの?」
口をパクパクさせている錦鯉に、声を潜めて尋ねた。
するとどこかから、
「ハハハハ。今のは腹話術さ。鯉がしゃべったように見せかけただけだ。なかなか上手だろう?」
「どこ?」
幼馴染のエドモンド・アラベスターの姿を探して、中庭のあちこちを見た。とーー
「あ」
うかつにも気がつかなかったが、池にある中の島に、円盤投げをする石膏像のオブジェが置いてあったのだ。
短い橋を渡って中の島に行った。
「いつの間に美術品の真似なんかして……庭師に見つかったら撤去されるわよ」
石膏像はクスクスと笑った。
「そしたら円盤をぶつけて逃げるさ。どうだい? なかなかの筋肉美だろう?」
石膏像というのは、どうして全裸が多いのだろう? 脚を曲げて巧みに局部を隠しているとは言え、由緒正しき貴族令嬢としては、眼のやり場に圧倒的に困るではないか。
「ねえ。どうしてまた、庭に忍び込んだりしたの?」
石膏像が、普通に口を動かしてしゃべった。
「バーナード殿下がジュリアを狙っていると聞いて、急いでやってきたんだ」
「えっ?」
私は驚いて、振りかぶった円盤のほうを無表情に見ている石膏像の顔を見つめた。
「だってそれ、ついさっき内々にお話があったばかりよ?」
「らしいね。それでレヴォワール閣下は、すぐにうちの親父に相談しに来たんだ。俺はそれを盗み聴きした。観葉植物に化けてね」
不思議な気がした。そんな内密の話を漏らしてしまうほど、父上とアラベスター男爵は仲が良かっただろうか?
「エディのお父様に、ご相談を?」
「うん。親父のお姉さん、つまり俺の伯母さんは、王様の直系ではないけれど、王族に嫁いだからね。だからレヴォワール閣下は、王家に輿入れするにはどんな準備が必要か、親父に訊きに来たんだ」
「王家に輿入れ……」
眩暈がした。
「お父様は、私を嫁に出すと言ったの?」
「そこは濁していたがね。あくまでも、もしも、という仮定の話だった」
「…………」
信じられなかった。リカルドお父様の溺愛は、その程度のものだったのだろうか? 王家からの嫁入りの打診があったとたん、たちまち王室ラブに宗旨替えして、娘に一言もなくホイホイと準備を進めてしまうとは……
「……大丈夫か、ジュリア」
うつむけていた顔を上げ、どこまでも無表情な石膏像をキッとにらんだ。
「大丈夫って何? どういう意味?」
「いや。ずいぶん暗い顔をしていたから」
「暗い顔? 自分の知らないあいだに、父親が嫁入りの相談を勝手にしていたって聞かされただけだから、別に普通ですけど。明るい顔をしたほうが良かったかしら?」
心なしか、石膏像が困ったように見えた。
怒りがエスカレートした。
「それとも、王室に嫁げるのに、どうして飛び跳ねて喜ばないのかって言いたいの? 最高のシンデレラストーリーじゃないかって? お生憎さま。私は王室に憧れはないの。むしろ王家の方々は、自由がなくてかわいそうだなって思うくらい。私はどんな名誉や身分より、自由のほうが大事。王子様のお妃? 冗談じゃないわ」
ひょっとすると、必要以上に冒瀆的な台詞を吐いているかもしれない。でも今は本音をぶち撒けたかった。
「バーナード王子様は、とても立派よ。美男子だから、国民的人気も高いしね。でも中身はどうかしら? 私のことなんか何にも知らないくせに、見た目で嫁にしたいと言ってるのよ。ムカつかない? きっと女はみんな、自分と結婚したがっていると思ってるのよ。あーあ、笑っちゃう。そのくせ、もし断わられたら体裁が悪いから、正式な申し入れの前にコソコソ打診してきたのよ。ねえ、知ってる? 王室って、愛よりも、名誉や体面が大切なんですって。私、はっきり言うけど、体面を気にする人とは死んでも結婚したくないわ!」
石膏像の、円盤を持つ手が震えた。
「大きな声を出すなよ、ジュリア。人が来ちゃう」
「大きくもなるわよ。怒ってるんですもの!」
石膏像の肩をつかんだ。
「エディ! どうにかしてよ! お父様は、栄誉に目が眩んだのよ。王家と姻戚関係になれると知って、娘を売る気になったの。お父様は、何でも自分の思い通りにしてしまう人よ。このままだと、王子様のお妃にされてしまうわ!」
無意識のうちに、激しく手を動かしていた。私に揺さぶられた石膏像は、ぐらりとバランスを崩し、芝生に横向きに倒れた。
「あっ」
とっさに眼を覆った。
全裸の石膏像が倒れた瞬間、脚がパカッと開いたのが見えたのだ。どうしよう。もう眼を開けられない。
「眼を開けてもいいよ、ジュリア。大事なところは隠したから」
恐る恐る顔から手を離すと、大の字になった石膏像は、円盤で前を隠していた。
「……やだ。そんな美術品ある?」
「仕方ないだろ。ジュリアが揺さぶるから」
何て格好だろう。潰れたカエルみたいに不細工。しかも品がない。王子様と比べたら、まるで月とスッポン。
だけどーー
自由だ。
エドモンド・アラベスターは、私が知るどんな人よりも、自由だ。
そう思ったとき、涙がスーッと頬を伝った。
「……泣くほど辛いのか、ジュリア?」
円盤で前を隠した石膏像が、私を見上げて言った。
「よし、俺がなんとかする。この話は破談に持っていく。例えレヴォワール閣下とバトルすることになっても!」
指で涙を拭った。
「バトルなんてやめてよ。モンスター退治じゃないんだから」
「じゃあどうする? 話し合いで納得させられるか?」
無理だろう。人の意見で自分の考えを変える父ではない。
「ねえ、エディ」
喉の奥から絞り出すように言った。
「エディはどう思った? 王室から、私に嫁入りの打診があったと聞いて」
石膏像はしばらく黙っていたが、やがて答えた。
「まあ、ジュリアは美人だから、そんなに驚かなかった。王子に一目惚れされたんだなあって」
「それだけ? もし私がお妃になったらどう?」
「どうって……もしそうなったら、祝福するしかないだろ」
「祝福? 本当に? 本気でそう言ってるの?」
王子との結婚をエディに祝福されるなんて、最悪の冗談だ。
ねえ、エディ。
いい加減にわかって。
私、あなた以外とは、誰とも結婚したくないのよ。
「どうなの、エディ。私がお嫁にいってもいいの?」
石膏像は答えない。私は芝生にしゃがんで、その無表情な顔を覗き込んだ。
「ねえ、エディ。私、子どものときからずっとあなたをーー」
「ジュ、ジュリアあぁぁぁ」
思い切って告白しようしたその瞬間、突然背後から、不気味な声で呼ばれた。
首すじの毛が逆立つ。
(夢中になって気づかなかったわ。いつの間にか、中の島に誰か来ていたのね)
そーっと後ろを振り向く。するとーー
「……え?」
言葉を失った。
そこに立っていたのは、見る影もないほど痩せ衰えたリカルドお父様だったのだ。




