25.王家に狙われた私
ノックス大賢者の騒動から、3か月が過ぎた。
季節は冬。
私は中庭の池で、錦鯉にエサをやっていた。
レヴォワール家で飼っている錦鯉には、一つの際立った特徴がある。
それは、およそ100匹ほどいる鯉の模様に、すべて赤いハートマークが含まれていることだ。
もちろん、そのような模様が出現することは極めてまれである。そのまれな錦鯉がどこかにいると聞くと、溺愛に命を懸けているリカルドお父様は、金に糸目を付けずに買い求めてくる。
中には数百万ナーロの値をふっかけられたものもあるが、父上は躊躇せずコレクションに加えた。これまた真冬でも暑苦しい、レヴォワール家名物「溺愛の池」であった。
「ジュリア!」
錦鯉が無心にエサを食べる様子を見て、私もこのように無心に生きたいものだと考えていたとき、心を乱しまくる嫌な予感しかしない声が聴こえてきた。
振り向くまでもない。声の主はレオナルドお兄様だ。
「おまおまおまおまおまおまおまおまおま」
声が背後に迫った瞬間、さっと身をかわすと、お兄様は勢い余って池に飛び込んだ。
「殺す気かあ! でも気持ちいい!」
レオナルドお兄様は池から這い上がると、はしばみ色の瞳をキラキラと輝かせた。
「お前への熱い想いでハートが焦げそうだったから、逆に命拾いしたよ。熱いハートと冷たい水で、俺はちょうどよくなった!」
だったらずっと池に浸かってればいいのに、と思った。
「お兄様、落ち着いて下さい。驚いた鯉たちがかわいそうです」
「待て待て待て待て待て待て。これが落ち着いていらいらいらいらいいらいらいら」
つい手が出てしまい、私に押されたお兄様は再び池にダイブした。
「こら、ジュリア!」
やっぱり冷たい水は辛いらしく、池から上がったお兄様は唇を震わせていた。
「やめろよ。もう押すなよ。押すなよ……絶対に押すなよ」
押してしまった。
「あ、ごめんなさい。つい」
自分でもどうして押してしまったのかわからない。きっと、お兄様にそうさせる何かがあるのだ。
「うー、寒い。ゾクゾクする。お前にもゾクゾクしてるから、ゾクゾクゾクゾクだ」
泣きたくなった。
レオナルドお兄様は超絶美男子だ。
それなのに、私を溺愛しているせいで、こんなになってしまった。
哀れだ。
「ジュジュジュジュジュジュジュジュジュリア」
「……何でしょう?」
「たたたたたたたたたたたたたたたた」
「何が大変なのですか?」
「おまおまおまおまおまおまおまおま」
押そうとすると、お兄様は待てと手を伸ばし、
「もうやめてくれ。落ち着いたから。ところでお前は、バーナード殿下のことは知ってるだろう?」
「バーナード王子様?」
知ってるも何もない。
アラン王国の君主であるグレゴリー7世の四男、つまり第四王子がバーナード殿下である。
つい先日招かれた王宮の舞踏会で、22歳という年齢以上に貫禄のある、その立派なお姿を拝見したばかりだった。
お兄様はゴクリと喉を鳴らした。
「聞いて驚くなよ。あのバーナード殿下が、お前をお妃にと望んでいるそうだ」
いくら何でも、悪い冗談である。
「お妃にって……そんなことを軽々しく口になさったら、不敬罪に問われますわよ」
「でもこのことは、実は内々に、父上の耳にも入っているのだ」
「まさか……」
リカルドお父様の私に対する溺愛は有名である。
王宮で開かれた舞踏会でも、そのことに関する笑い話が出たくらいだ。
(まさか王家が、父上に断わられるとわかりきっている縁談を持ち掛けて、わざわざ恥を掻くはずがない。だからお兄様は、きっと何か大きな勘違いをしているのだ)
「お父様の耳に入ったら、その瞬間に破談でしょう? そのくらい、ちょっと考えたらわかりそうなものですわ」
「ところが」
ずぶ濡れのお兄様が、ブルッと身体を震わせて言った。
「父上は、王家に対して崇敬に近い感情を抱いている。そのために父上は、崇敬と溺愛の板挟みになり、身も細るほど悩んでしまって」
「嘘。今朝見たときは、全然痩せてなかったわよ。テカテカ脂ぎってて」
「王家からの使いが来たのが、朝食のあとだったのだ。あれから数時間で、もうゲッソリ」
異常体質だろうか。たかが数時間悩んだくらいで痩せるなんて。
「使いとは言っても、もちろんまだ正式な申し入れではない。バーナード殿下の意向をそれとなく伝えて、こちらからの返事を待つという手順だ」
「つまり、断わられたときには、最初からなかった話にするのですね?」
「そういうことだな。王家にとっては名誉と体面が大切だから」
ため息をついた。
「お父様は、断わり文句に悩んでいるのかしら? どうしたらバーナード王子様の体面を傷つけずに、拒否の返事を伝えられるかと」
「甘いぞ、ジュリア!」
お兄様が一歩近づいたので、私は一歩下がった。
「……俺が嫌だから、下がったのか?」
「そうです。それより何が甘いのですか?」
「ジュリア。お前は、父上の崇敬を甘く見過ぎている」
「どんなふうにですの?」
「父上の考えていることは、つまりーー」
お兄様は声を潜めて、
「王室に、お前を嫁がせることだ」
と言い、真っ直ぐに私を見た。
「はあ?」
拍子抜けした。
「あり得ないじゃないですか。お父様が私を嫁に出すなんて」
「俺もさっきまではそう思っていた。しかし断わる気なら、あんなに悩みはしない。娘を嫁にやろう、そう決心したからこそ、身を裂かれるような苦しみに襲われて、ガリガリに痩せてしまったのだ」
お兄様はそう言うなり、
「さあて、こうしちゃいられない。ジュリアを王室なんかにやられてなるものか。例え王子が赤っ恥を掻こうとも、溺愛する妹は渡さない! 今から父上を説得してくる。ハクション!」
私の返事も待たずに、お兄様は池の水を滴らせて走っていった。
(説得してくるって……そもそも私は好きな人がいるから、例え王子様に求婚されても嫁ぐ気はまったくないのに)
池のほうを向いてしゃがんだ。
「ねえ、錦鯉さんたち。王家の申し出を断わったっていいわよね? 封建社会じゃないんだから、好きな人と自由に結婚していいのよね?」
すると1匹の鯉が、口をパクパクさせて言葉を発した。
「大変なことになったなあ、ジュリア」
私はひっくり返った。




