24.貴族の愛
夢を見ていた。
夢の中で、私は雪山を登っていた。
一面の銀世界が、ため息の出るほど美しい。
「ごめんね」
逞しく雪焼けしたエディが、私の肩に積もった粉雪を優しく払ってくれた。
「ジュリアを連れて、こんな過酷な山越えに挑んでしまって。俺と一緒でなければ、今ごろ君は何不自由ない生活をーー」
「いいの」
エディに微笑みかける。
「あなたと一緒にいることだけが、私の希望だから」
手を伸ばして,私もエディの雪を払った。
もう少し歩いたら、テントを張って休む。
2人きりの夜ーー
心臓がバクバクする。
ああ、エディ。
私、淡雪みたいに溶けてしまいそう。
こんなふうになったの、生まれ初めてよ。
「エディ、ごめんなさい」
「……どうしたの? 謝るのは、俺のほうだけど」
「私のせいで、お父様たちに1000回も殺されかけて」
本来エディは、冒険の旅に出たかったはずだ。
それなのに、まるで犯罪者みたいに逃亡生活を強いられている。
怒り狂った父上とお兄様と弟が、株で儲けた金を湯水のように遣い、ありとあらゆる兵器を買って襲ってくるのだ。
「ほとんど戦争だね。でも俺は平気だ。レヴォワール閣下たちに鍛えられたおかげで、ずいぶんレベルが上がったから、大抵の攻撃はクリアできる自信がついたよ」
「……エディ」
エディの雪を払う手を、だんだん下のほうに移動させた。
エディの身体がこわばる。
私は思い切って言った。
「ねえ、エディ」
「何?」
「好きよ」
「俺もだ」
「大好き」
「俺も……大好き」
そっと眼を閉じた。
口を半開きにする。
嗚呼。
貴族の令嬢が、こんなふうにするのははしたないだろうか?
でも止まらない。
私はエディを愛している。
エディが背中に手を回してきた。
私はエディに身を委ね、唇を近づけていきーー
「テメー! コノヤロー!!」
突然、口汚い罵声が鼓膜を震わせて、ハッと眼を開けた。
エディの顔がすぐそこに。
……いや。ない。
今の声はエディではない。
夢から醒めた私は、上半身を起こした。
するとーー
「オイコラ、テメー! 俺たちが汗水流して働いて貯めた金を返せ!」
騒いでいるのは、平民の人たち。
そして、飛んでくる石をよけて逃げ回っているのは、かの【賢者十段】のノックス大賢者だった。
思い出した。
ここはアボニーの丘で、私は3千人の平民に石打ちにされると思い、気を失ったのだった。
「返せ! コラ! 死にたいのかっ!!」
しかし石を投げられているのは、私たち家族ではなく、ノックス大賢者のほうだった。
いったいどういうことだろう?
「ジュリア、助かったわね」
パトリシアお母様が、私の横に来て言った。
「ここに集まったのは、さっきの講演に来た人たちではないそうなの。どうやら大賢者の放った伝書鳩は、役目を果たさなかったみたいね」
「……どういう意味ですの?」
母上に訊くと、
「この怒り狂った人たちは、先週ノックス大賢者の講演を聞いて、株や土地を買い漁ったんですって。そしたらどうなったと思う?」
「全然わかりません」
「泡のように弾けたのよ。パチンとね」
ますます意味がわからない。
「ポカンとしてるわね。つまりね、ノックス大賢者は民衆を煽って、『株価や地価はどこまでも値上がりする』という神話をつくったの。そうやってみんなが株や土地を欲しがれば、どんどん株価や地価が上がって、好景気になるから。だけど、それは膨らんだシャボン玉みたいに、実体のないものなの。実際の株や土地には、そこまでの価値はないのですからね」
「ごめんなさい、お母様。私にはやっぱりわかりません」
母上はクスクスと笑った。
「わからなくて当然よ。大賢者も国民も、みんなわからなかったんですもの。泡はいつか割れるという、ごく当たり前のことがね。お金儲けに夢中になると、それだけ人は愚かになるという証拠よ」
「痛いっ!!」
平民の投げた石が背中に当たって、ノックス大賢者が悲鳴を上げた。
「ねえ、お母様。どうして泡は弾けたの?」
「地価が上がり過ぎたのね。あんまり高くなると、誰も土地を買えなくなるでしょ? みんなが買わないと、値段を下げざるを得ない。つまり、地価の暴騰が行くところまで行って、今度は暴落に転じたってわけ。好景気はこれでもうおしまい」
ふーんと私は言った。
「結局、ノックス大賢者様も、こうなることを予測できるほど賢くはなかったのですね?」
「そうよ、ジュリア。頭脳を誇ってお金を儲けようとする人は、本当は賢くないの。本当の賢者は、必要以上のお金を持とうとはしない。貧しくても、それで満足してれば幸せでしょう? わたくし、もし全財産を失っても、家族がいればそれで充分だと思うわ」
パトリシアお母様の言うことに、私も全面的に賛成だ。
「助けてくれー! 殺さないでー!」
民衆の怒りを買ったノックス大賢者は、おそらくアラン王国にはいられまい。おかげで私は、すんでのところでパートナーにならずに済んだ。
(……そう言えば)
ブラウスの胸ポケットに手を当てた。
中に四角い物が入っている。それを取り出す。
小さな箱が出てきた。
(そうだーーアンドレアからのプレゼントを、無意識にポケットにしまったんだわ)
箱を開けた。
中には、虹色に輝く玉があった。
身につけているだけで、どんな危険からも護られるという謳い文句のミラクルスフィアがーー
(ひょっとしたら、これの効果で、抜群のタイミングで怒れる群衆が現れたのかもしれない。ありがとう、アンドレア)
ミラクルスフィアを握り締めた。
そのときだった。
「貴様あ!」
リカルドお父様が、大賢者に向けて怒鳴った。
「助けてくれじゃないだろうが! 財産を失った平民を、貴様のほうが助ける義務があるだろう!」
父上には珍しい正論だった。
「逃げずに現実と向き合え! せめて失った金が戻るようにしてやれ!」
「ど、どうやって? 痛てっ!」
ノックス大賢者は石に当たりながら、父上のほうに逃げてきた。
「どうやってだと? 貴様の財産で払ったらいいだろう」
「無理です」
大賢者の顔は蒼褪めていた。
「私の買った株も、おそらく紙切れになりました。つまり私も無一文なのです」
「情けねえなあ」
父上はギロリと大賢者をにらむと、
「わしもこの国では名士だ。王国銀行の総裁に掛け合って、経済対策をしてもらう。もし金が必要だと言われたら、貴族連中の寄付を募ろう。わしも妻が蓄えた金を出す」
えっ、とノックス大賢者が驚愕の表情を浮かべた。
「な、なぜ、閣下がそのようなことを?」
「なぜだかわからんか?」
父上の立派な鼻髭が、ふわっと膨らんだように見えた。
「それはわしが、この国の民を愛しているからだ。おそらく他の貴族連中もそうだ。だからきっと、充分過ぎるほどの金が集まるだろう。さあ、お前はさっさとこの国から出ていけ。愛より金が大事な奴はアラン王国にはいらない!」
ノックス大賢者は、青いローブを翻して丘を駆け降りた。
「フン。ジュリアをパートナーにしたいなどと言って、自分の身が危なくなったら逃げおった。今回もまた、溺愛の大勝利だったな」
父上の言ってることは意味不明だったが、レオナルドお兄様もアンドレアも大きく頷き、
「野菜食えー」
「野菜食えー」
と、遠ざかる大賢者の背中に向かって挑発した。
私はエディを探した。
が、どこを見ても、エディはいなかった。
その代わりに、「野菜食えー」と言いながら、大賢者のあとを追いかけるサボテンの姿が見えた。




