23.怒りのスイッチ
空気を切り裂いて飛ぶ「サボテン」のトゲ。
それを固唾を呑んで見守っていると、
「ああっ! 痛いっ!」
ノックス大賢者が胸を押さえてしゃがんだ。トゲが胸に刺さったのだ!
(チャンスだわ)
私は大賢者の腕から逃れて、サボテンの後ろに走り込んだ。
大賢者は胸からトゲを抜くと、それをふっと吹いて飛ばした。
「……サボテン型の魔獣かと思ったが、砂漠でもないのに出現するとはおかしい。さては、サボテンの術を操る人間だな?」
さすが、大賢者の読みは鋭い。
「その通り」
サボテンの口(のように見える部分)から、重々しい声が発せられた。
「なるほど。あなたは確かに頭が良いようだ。しかし残念ながら、心のランクは十段どころかレベル1だ」
「は?」
ノックス大賢者が、またもや【嘲笑】を繰り出す。
「フフン。心などというあやふやなものを、数値化できるものか。それは頭脳の劣った者が考え出した言い訳だ」
「頭より心のほうが、人間にとって大切ではないですか?」
「心は間違える。なぜなら欲望に惑わされるからだ。しかし私のように頭脳を鍛えれば、決して判断を誤らなくなる」
「寂しいことを言いますね。あなたは心が栄養不足ですよ。きっと贅沢なものばかり食べてるんでしょうが、もっと野菜を食べたほうがいいですよ」
この一言が、すべてを変えた。
「ーー野菜?」
それまで父上や母上にどれほど悪態をつかれても、常に余裕を漂わせていた大賢者が、怒りに顔を紅潮させて近づいてきた。
「おい、野菜がどうしたコラ。野菜を食えば心の栄養になるってか? そんなファンタジックな理由で野菜を食う奴がいるかっ!」
いきなり言葉遣いが荒くなった。
どうしたのだろう?
馬鹿野郎や糞野郎には笑っていたのに、野菜を食べろと言われて怒るとは……
(もしかして、ノックス大賢者は、子どもの頃に無理やり野菜を食べさせられるなどして、何らかのトラウマを抱えていたのかもしれない)
それが正解かどうかはわからなかったが、エディは偶然にも、大賢者の怒りのスイッチを発見した。
「コラ貴様! 野菜嫌いだと勝手に決めつけるな! 野菜は美味しい食べ物なんだよ! 栄養とか健康とか関係なく、美味しいから食うんだ。お前みたいなのは死ね!!」
なんと大賢者は、たかが野菜のことでエディに死の宣告をした!
サボテンが細かく揺れた。大賢者の妙なツボに、笑いを抑えきれなくなった様子だ。
「おやまあ。大賢者ともあろうお方が、ずいぶん汚い口を利くんですね。でも野菜が好きなのは偉いです」
「コラァ! 偉いとかじゃない! 野菜はお、い、し、い、から食うんだ!!」
「怒りすぎですよ、大賢者さん。でも野菜を食べてるから許します」
エディはここぞとばかりに挑発の連続攻撃をする。
「野菜のことでこれほど熱くなれる人を初めて見ました。皮肉でなく感動しましたよ。もしやあなた様は、野菜の妖精、いや、野菜の生まれ変わりでは?」
「馬鹿! 死ね! マジで死ね!」
酔ってるの? と思わせるほどの逆上ぶりには、もはや賢者らしさの欠片もなかった。
(さあ、エディ、チャンスよ。相手は冷静さを失っているわ。今なら絶対勝てるわ!)
「野菜、野菜、野菜〜、野菜を食べましょ〜、情緒が安定し〜、健康にもなるから〜」
サボテンがダンスをして、変てこな歌を唄った。大賢者はますます酔っ払いのように、死ねを連呼した。
そのときーー
「ノックス大賢者!」
坂を登ってきた平民の集団が、大賢者を呼んだ。
ああエディ……
遅かったわ。
何やってるのよ。
面白がって挑発しているあいだに、3千人が到着してしまったじゃないの。
「クソッ!」
リカルドお父様が呻いた。
「あのサボテン型の魔獣、なんでトゲ攻撃をしないんだ。ダンスなんかしてる暇があったら、とっくに大賢者を倒せたのに」
「ねえ、あなた」
パトリシアお母様が父上に言った。
「集まった国民の皆様に、大賢者の醜態を見せてやりましょう。そうしたら、彼の言うことなど、きっと誰も聞きたくなくなりますわ」
「醜態を見せるって、どうやって?」
「野菜ですわ」
母上は自信ありげに微笑む。
「魔獣との会話でわかりました。大賢者は野菜となると我を忘れます。そこを突くのです」
「奴の好きな、蕪とか白菜の話をするのか?」
「それは株と国債。でも今は単純に、野菜を食べることを勧めるだけでオーケーです。さあ、レオナルドちゃんとアンドレアちゃん。みんなで一緒に、大賢者様に野菜をお勧めしましょう。イチ、ニのサン、ハイ!」
母上の音頭で、父上とお兄様と弟が声を合わせた。
「野菜食えー」
「野菜食えー」
「野菜食えー」
たちまち大賢者は、青いローブの裾をからげ、何やらわめきながら父上たちを追いかけた。
そうこうするあいだに、アボニーの丘の巨岩の周りには、黒山の人だかりができた。
「ノックス大賢者! ノックス大賢者!」
人々に呼ばれて、大賢者はハッと我に返った顔をした。
「おお、そうだ。取り乱している場合でない。今から民意を問うのだ」
そう言うと、ヒラリと巨岩の上に立った。
「再びここに集まった人々は幸いです。なぜなら今から、公平な裁きに参加できるからです」
ついさっきまで野菜で逆上していたのが嘘のような、圧倒的なカリスマぶりだった。
「私に選ばれたパートナーは幸いです。なぜなら最高の知恵を与えられるからです。そしてそのパートナーは、そこにおられます!」
大賢者が私を指差した。
大勢の頭が一斉にこちらを向く。
血の気が引いた。
「大賢者とて人間です。熱い血も流れているし、ちゃんと野菜も食べます。だから美しい女性をパートナーにしたいという、普通の男子としての心もあります。もしこの願いが叶わなかったら、失意の余り、私はアラン王国を去るでしょう。ところがこちらのご家族たちは、決してお嬢様は私にやらないと宣うのです」
大賢者は聴衆をぐるっと見回した。
「そしてお嬢様も、よい返事を下さらない。となると、私はこの国を出て行くまでです。しかしそれでは、国民の皆様に対して大変無責任なことになる。そこであなた方に問いたい。こちらのお嬢様が、私のパートナーになるべきかどうかを!」
大賢者の声は、天にも届かんばかりに響き渡った。
「本人や家族の意志という、わずか数人の基本的人権が優先されるべきか。それとも公共の福祉、すなわち私がこの国に留まることによって、数千万の国民が得られる利益や幸福が優先されるべきか。それを、無作為に選ばれた国民の代表であるあなた方の投票により、今ここで決定したいと思うのです。どうですかーっ!!」
すると聴衆の幾人かが、地面にしゃがんで石を拾いだした。
(ひょっとして、大賢者を去らせないために、父上や母上を石打ちにするつもりでは?)
石が飛んできた。
その瞬間、気が遠くなり、意識を失った。




