22.愚か者は誰?
私と勝負しましょうーー
ノックス大賢者はそう言うと、青いローブの懐に手を入れて、まるで奇術師のように中から鳩を出した。
「伝書鳩です」
大賢者は薄く微笑む。
「これに、『丘の上に戻ってくるように』という文をくくりつけて、下に向かって飛ばします。すると、私の演説に集まった約3千人の平民が、また登ってくるでしょう」
左手で私を抱きすくめたまま、右手で伝書鳩を飛ばした大賢者を、リカルドお父様が険しくにらみつけた。
「汚い奴め。3千人を味方にして、わしらと戦う気だな?」
「戦いなんかしません」
大賢者は涼しげに笑う。
「暴力で、問題は解決しません。問題を解決するには、裁判という方法がある。しかしそれには、時間がかかり過ぎるという難点があります。私はこの場合、民意を問うのがいちばんの解決法だと思うのです」
「民意を問うだと?」
父上が、意味がわからないという顔をした。
「ジュリアを貴様にやるかどうか、国民投票で決めるというのか?」
「それも時間がかかります。そこで、国民の中から無作為に選んだ3千人に意見を聞き、私とあなた方の主張のどちらを支持するか、多数決で決めたいと思います」
「馬鹿な」
父上は吐き棄てるように言った。
「貴様の演説に集まった奴らを、無作為に選んだ国民と呼べるものか。貴様を支持するに決まってるだろう」
「そんなことはありません。彼らは私のファンでも信者でもなく、ただ知恵を求めて来ただけですから」
大賢者の切れ長の眼が鋭さを増した。
「いいですか。彼らは労働者です。非生産者であるあなた方と違って、遊んで暮らしているわけじゃない。そして彼らのような人々の意見こそ、国は聞くべきなのです」
丘に吹く風が、一面の秋の草花を揺らした。
「レヴォワール閣下、あなたの好きなアラン王国憲法において、何がもっとも大事だとされているでしょう? それは国民主権です。王や貴族などの一部の特権階級の意志ではなく、国民の総意こそが、この国では上位に位置することになっているのですよ。さあ、今からそれを聞こうじゃありませんか」
私の運命が、「民意」で決められようとしている。
公爵令嬢ジュリア・レヴォワールは、ノックス大賢者のパートナーになるべきか否か。
(3千人の平民は、おそらく大賢者に忖度した決定をするだろう。なぜなら大賢者は、お金儲けという「知恵」を授けて下さるから。私の意向なんて関係ない。つまり「公共の福祉」のために、一貴族の人権は無視されるのだ)
「待て!」
リカルドお父様が叫んだ。
「わしは3千人、いや、全国民が反対しようとも、溺愛する娘を貴様には渡さん! 1人の溺愛は、宇宙よりも重いのだ!」
「お言葉ですが、お父様」
レオナルドお兄様が横から言った。
「俺はジュリアを、お父様の1000倍溺愛しています。だから俺の溺愛は、宇宙の1000倍重い!」
「お兄様」
弟のアンドレアも加わった。
「僕はお兄様の、1万倍お姉様を愛しています。だから僕は【溺愛十段】、スーパーウルトラ溺愛マスターなんだ!!」
「フッ、フッ、フッ」
ノックス大賢者が、3人分まとめて失笑した。
「愛はお金に勝てないと、何度教えたらわかるのです? あなた方の愛など、国民にとってはどうでもいいのです。そんなことより、自分たちが1ナーロでも多く儲けたほうがいい。そうした国民の尊い声を、決して無視してはなりませんよ」
「貴様あ! 馬鹿野郎、死ね!」
父上が逆上して、公爵らしからぬ汚い言葉を吐いた。
するとそれが向こうの山に谺し、
〈馬鹿野郎ー、死ねー〉
と返ってきた。
「あなた、よしてよ」
パトリシアお母様がたしなめた。
「あなたたち、国民をもっと信用なさらないと。平民の方々は決して愚かではありません。民主主義社会において、人権がもっとも大事なことは、よーくわかっています。一時の金儲けに目が眩んで、人権無視につながるような決定を支持するはずはありませんわ」
「フフフ、やはり女性は愚かだ」
ノックス大賢者が、【失笑】の上位技である【嘲笑】を繰り出した。
「失礼ですが、物事の決定は、賢い男子に任せていただきたいと思います。女性、それも貴族の女性は、どうぞご家庭でパンでも召し上がっていて下さい。もしパンがないようでしたらお菓子をね」
「大賢者様」
母上の声には、静かな怒りが込められていた。
「わたくしも、失礼を承知で言わせてもらいます。例え世間があなたを賢者と呼んでも、女性を蔑視し、あまつさえ溺愛を否定なさるようでは、真の賢さはありません。なぜなら母の愛ほど偉大なものは、この世にないからでございます!」
「笑止、笑止」
大賢者の【嘲笑】は止まらない。
「愛を信じて泣いた女性を、私は腐るほど見てきました。そのたびに、女性の愚かさは死ななきゃ治らないのだと実感させられたものです。どうかあなたも、私の知恵を聞いて賢くなって下さい」
「うるさい! 黙れ、馬鹿! この糞野郎!」
母上の口から、ついに衝撃的なワードが飛び出した。
〈黙れー、馬鹿ー、この糞野郎ー〉
谺が響いたときだった。
丘を登ってくる人々の集団が見えた。
先ほどノックス大賢者の演説を聴きに集まった、約3千人の平民の集団だ。
「さてと。いよいよ結論が出るときが来たようですね」
私を抱きすくめる大賢者の腕に、力がこもった。
父上とお兄様と弟の顔が、緊張にこわばる。
母上は、うかつにも汚い言葉を発してしまったことに、すっかり放心していた。
(どうしよう……やっぱり私は自由でいたい。だって、本当に好きな人が別にいるんですもの。だけど、もし何千人もの人に、大賢者のパートナーになれと圧力をかけられたら? 嗚呼、神様、どうかこの状況から救い出して!)
どうしていいかわからず、思わず必死に神頼みをしたとき、奇跡が起こった。
私から見て右手のほうの地面に、突然ニョキッとサボテンが生えたのだ。
(あれは!)
間違いない。
エドモンド・アラベスターーーエディがサボテンの術を使ったのだ!
(エディは、「大賢者とバトルだ」と言っていた。だから、大賢者の先回りをしてアボニーの丘まで来て、地面に潜んでいたのね。ひどく雑な作戦だけど、とにかく冒険者に憧れているからこそできる技だわ)
地面から生えたサボテンは、勝利を確信したかのように、腕のように見える部分でガッツポーズをつくった。
ノックス大賢者は、まだそれに気づいていない。
「心の準備はよろしいですか? くれぐれも民意に逆らってはなりませんよ」
「救けて!!」
サボテンを見て勇気づけられた私は、ようやく声を出すことができた。
次の瞬間ーー
サボテンの口のように見える部分から、鋭く光るトゲが発射された。




