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ページ55 私の王子様

 急に真剣な面持ちとなったノエルの視線の先、影山が開け放ったドアの外から、ペタ、ペタ、と、何かの足音が聞こえる。


 それは徐々に近づいて来てるようで。

 廊下側から入り込んでくる冷気に、ゴクリと息を呑む。


「ぇ……?」


「キョウコ下がるの!」


「響恋ちゃん下がって!!」


 私の口から声が漏れ、同時に二人が()の前に立ちはだかった。


「え? なに? どういうこと!?」


 あまりの出来事に脳がついていかない。

 姿を現したのはただの女子高生だった。

 艶のある長い黒髪にすらりと伸びたスレンダーな美脚。

 赤いリボンを身に付けた制服姿の美少女。


 おかしな点があるとすれば、それは私そっくりという点ぐらいだろう。

 そう。私がもう一人、そこに立っていた。


「あれはドッペルゲンガーなの」


 目が合った。

 その瞬間彼女はまるで私のことをようやく見つけたとでも言いたげに、ニタッとその頬を大きく歪めたのである。


 背筋に冷たいものが駆け抜ける。

 ヤバイ。何故かわからないけど咄嗟にそう感じたのは気のせいではないだろう。


 彼女は──ドッペルゲンガーは、そのままたった一つの出入り口を塞ぐようにゆっくりと中に入ってきた。


 ──ドッペルゲンガー。

 前に本で読んだ都市伝説にこんな話があった。

 自己像幻視として本人から生まれ出たドッペルゲンガーは、誰にも気づかれずにその本人を殺して入れ替わる、化け物と──


 本人。つまりは……。


「二人とも落ち着いて、アレは私のドッペルゲンガーじゃないわ。だって、私はあんなに胸が小さくないもの」


「……響恋ちゃん」


 愛生がこちらに残念な目を向けるが無理だ。

 違う。あれは私じゃない。


「だから二人とも、乙女の着替えを覗きに来た不埒者(ふらちもの)を早く懲らしめて頂戴!」


 この時私は、まだ冒険者がどういう存在なのかよくわかっていなかった。

 ただ、あんな大きな大樹を影山が一撃で仕留めたことや愛生の奇跡のような魔法を見てしまったこともあり、今さら何の不安も感じては居なかった。


「簡単に言ってくれるの」


 最初に動いたのはノエルだった。

 彼女は横飛びで床の上を転がりながら、立て掛けてあった自分の矢筒を背負うと着地と同時に弓を構えた。


 その素早い動きにちょっと驚いたのは内緒だ。

 すぐにノエルの手から弾丸のような速度の矢が射られる。

 私達とドッペルゲンガーとの距離は精々四、五メートル。


 弓道部でもこんな至近距離から矢を射るなど普通はあり得ないが、さすがにこの距離から外すことはなかった。


 矢は狙い違わずドッペルゲンガーの胸元に直撃し、金属のようなキンッというような音を立てて呆気なく弾かれただった。


「やっぱり硬いの……」


 悔しそうにノエルが顔を歪める。


「ちょっとノエル! 誰の胸がまな板みたいに平らで硬いって!? あんた後で覚えておきなさいよ」


「むぅ……。あれはキョウコとは違うんじゃなかったの……」


「響恋ちゃん、元々ドッペルゲンガーは全身が金属のように硬くて、物理攻撃は効かないんだよ」


「え? そんなのどうやって倒すのよ」


 物理攻撃が効かないってやばくない?

 そんなこと言われると急に心配になってくるんだけど。


「「……」」


 ちょっとなんで急に黙るの。


「ね、ねぇ二人とも、大丈夫なのよね……?」


「……普通は攻撃魔法で倒すんだけど」


「魔法は使えないの」


 そうこうしているうちに、ドッペルゲンガーが右腕をノエルに向けた。

 すぐに何かを悟ったノエルがその場を飛び──直後。


「なっ」


「腕が伸びたっ!?」


 私と愛生が同時に声を上げる。

 たった今までノエルが居た場所は、ドッペルゲンガーが放った金属の杭(パイルパンカー)のように右腕が一瞬にして伸び、フローリングの床を貫いた。


「え、ちょ、なんで愛生まで驚いてるのよ」


「だって響恋ちゃん! あんなのゲームにはなかったもん」


 もんってあなた……。

 ちょっと、本当に大丈夫なの?


「アキはキョウコを!」


「うんっ」


 ノエルが愛生に指示を飛ばし、すぐさま駆け出した。

 次から次へと矢を放っていくノエル。


 それを躱す素振りすら見せずにドッペルゲンガーが右腕、左腕の順で追撃を仕掛けていき、それらを危なげに躱しながらノエルがドッペルゲンガーに迫る。


「やあっ!!」


 駆けた勢いのまま放った飛び蹴りが、私と瓜二つの怪物に直撃した。


 恐らく外に蹴り飛ばすつもりだったのだろう。

 けれど、それをやるには些かノエルの体格は分が悪かったみたい。


 横腹辺りに入った飛び蹴りを、ドッペルゲンガーはピクリともよろけずに受け止めて。


「しま──っ!?」


 横腹からにょきにょきと新たに生えてきた腕に足首を掴まれ、そのまま投げ飛ばされてしまったのである。


「ノエルッ!」


 ノエルが積み上げられていた、カゴの山に突っ込む。

 けれど、そこで攻撃の手は止まらなかった。



 後方に飛ばされたノエルに意識を向けた私目掛け、ドッペルゲンガーの腕を伸ばしたのである。


「だめ──ッ!!」


「愛生っ!!」


 咄嗟に私と怪物(ドッペルゲンガー)の間に入った愛生。


「かはっ──」


 そのまま弾き飛ばされ、後ろの棚にぶつかって動かなくなった。


「う、うそでしょ」


 怪物ってこんなに強かったの!?

 影山はあんなにあっさり倒したじゃない。


「愛生、愛生、しっかりしてよっ」


 すぐ隣を見ると、カゴの下敷きになったノエルも動いていなかった。


 もう一人の私の顔が醜悪に歪み、ゆっくりと近づいてくる。

 先程まで感じなかったはずの恐怖という感情が、独りになったことで急に膨れ上がってくるようだった。


「嫌……」


 怖い。

 いま思えば私の前に立ちはだかった二人は、どうしてそんな恐ろしい真似ができたのだろう。


 腕が、脚が、震える。

 腰から力が抜けていった。


 私、ここで死ぬの……?

 ようやく助かったのに。


 ここで殺されて、ドッペルゲンガーと入れ替わって。

 死んだことすら気づいてもらえずにこのまま居なくなるの?


 もう手を伸ばせば届く距離だった。

 見上げたその顔は、まるで自分の奥底に眠る己自身の醜悪さを映し出した鏡でも見ているようで。


 涙が頬を伝って太腿に流れ落ちた。


 この三日間、男達に捕まり体育館に閉じ込められ──

 何度も何度も理不尽を呪った。


 勉強に、本に、まだまだやりたいことはたくさんあったのに。

 どうして私ばっかりこんな目に合わなきゃいけないの。


 死にたくない。死にたくない……。

 こんな時にどうしてアイツの横顔が想い浮かぶのだろう。


『冥府より蘇りし我に、この程度造作もない』


 本当はわかっていた。

 なりふり構わず脱衣所(ここ)に飛び込んできたことぐらい。

 下着一枚なのがその証拠。


 彼は私を助けるためにここにやって来たのだ。

 ああ、なんて私はバカなんだ。


 ドッペルゲンガーの無機質のような腕が、ゆっくりとでも確実に、私に向けられる。


 ──死にたくない。

 死にたくないよ。


 お婆ちゃん……。

 お願い。これで最後にするから──


「かげ、やま……たすけて……」


 消え入るような声音だった。

 けれどその瞬間、視界のすべてが白い煙によって覆われた。

 風船の空気が勢いよく抜けていくような音が室内を木霊する。

 すぐに音は収まり、コ、コンッと何かが落ちる音がした。


「ゴホッ、ゴホッ……」


 な、なに?

 何が起きたの!?


 やがて空調が煙を吸い上げていき、視界が徐々にクリアになっていく。

 そこにはもうドッペルゲンガーの姿はなく──

愛生「ドッペルゲンガーって、こちらの世界じゃソレを見た者は殺されて、本人とこっそり入れ替わるって噂があるんです。ここに居る響子ちゃんは本当に本物なのかなぁ?」


響子「あ、影山が居るわ。どうしよう。何を話せば……(赤面)」

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