ページ31 野生のお婆さんが現れた
東の空に日が昇っていく。
朝日が眩しい。
日の出を見るのは中学の時に行った登山ぶりだ。
あの時は道に迷って三日ほど山を彷徨ったっけ……。
あれからもう二年半。考え深い。
オレは今人生の迷子になっている気がする。
現実逃避の時間はあっという間に過ぎていき、お日様が完全に顔を出していた。
崩落現場を片付け、逃げるようにやって来た病院の屋上。
オレはおもむろに何もない空間を手刀で切った。
「あれ……」
だがオレが思い描いた物は現れなかった。
それはゲームでのUI、つまりメニュー画面を表示させる所作。
メニュー画面。
それはゲーム内で、プレイヤーが自身の装備やスキル、能力を見たり、アイテムを出し入れするための便利なツールみたいなもの。
異世界転生モノの物語では、そのチート過ぎる便利さで主人公を助けてくれる頼もしい存在、なのだが……。
「いやいや、まさか……」
もう一度繰り返してみるが、やはり結果は変わらない。
次第に胸の内で不安の色が見え始める。
「あ、もしかしてやり方が変わったのか」
マナダウンや精霊石のように仕様変更があったのかもしれない。
そう考えたオレは別の方向からアプローチを試みることにした。
「ステイタス! メニュー! オープン! 開け、ゴマ…………」
様々なポージングの下、掛け声という奇声を上げるオレは、かなり痛い奴だったかもしれない。
やっぱりやり方が違うのだろうか。
結局いくら試しても、メニュー画面がオレの前に現れることはなかった。
ゲームだったらこんなこと、考える必要もなかったのに……。
現実は、なんてマゾゲーなんだ。
「はあ、そろそろ戻ろう……」
諦めてトントントンと、当然のように屋上から飛び降りてベランダからベランダに着地していく。随分化け物じみてしまった。
カチ、カチ、カチ、カチ……。
地上に着地すると、ふと、何かの音が聞こえた。
リズミカルに何かを打ち付けるような音。
なんだろう。
またモンスターが現れでもしたら大変だ。
一応様子だけでも見てみるか。
そうして音を追いかけて向かった先。
野生のお婆ちゃんが現れた。
当然オレは物陰から覗く位置取り。
佐伯さんぐらいの身の丈で色白。
痩せ型でアメ色のカーディガンを羽織った老婆だ。
その身なりからは、『婆さん』というよりは『お婆さん』といった感じに、少し上品さを感じさせる。
オレは一目見て、そのお婆さんに声を掛けるべく近づいた。
「おはようございます。どちらまで行かれますか? ご案内しますよ」
「まあ、それは助かりますわ。娘を起こすのも気が引けてしまい、一人で出て来てしまったのよ」
声を掛けると、お婆さんは花開いたように微笑んでくれた。
オレが声を掛けた理由。
それはお婆さんが手に持つ、白杖にあった。
白杖とは、言わば目の不自由な人が歩く時に前方を確認する白い杖のこと。
これを使って自分ではわからない危険などを回避したりする。
「昨夜の騒ぎで避難して来た人達も皆、疑心暗鬼になっていると思うの。あなたみたいな方がいてくれると、とても心強いわ。うふふ」
「いえいえ、このぐらい当然ですよ。では失礼して……」
お婆さんの手を取りエスコート。
日が昇ったとは言ってもまだ六時前だ。
一人で出歩くには少し危ないだろうに。
「娘も早くこんな良い方と一緒になってくれれば良いのだけれど……」
大きくため息をつくお婆さん。
何故か二人の少女の顔が思い浮かび、苦笑いしてしまった。
「どうかしら、あなたさえよけ──」
「すみませんっ。オレにはまだまだ荷が重いようです!」
最後まで言わせて堪るか。こっちはまだ十五だぞ。
結婚すら許される年齢じゃないつーの。
「あらあら、私ったら。娘を紹介してもないのに先走っちゃったわ」
そういう問題じゃないから!
お願いだから娘さんを押売りしないであげてっ。
顔も知らないのに可哀そ過ぎる。
「そ、そうですね。機会があればまたお願いします」
「ええ、うふふ」
よし、どうにか切り抜けたぞ。
「私も亡くなった主人とはお見合いだったのよ」
切り抜けられていなかった!?
「へ、へぇ~。そうなんですか……」
「ええ。でもね、生まれつき目が見えなかった私は中々お相手が見つからなくて、半ば諦めていたわ。そんな時に主人とのお見合いが決まったの」
いつこちらに矛先が向くのか、ヒヤヒヤしながら聞いていた。
「そのお見合いの場で彼は言ったわ。『僕は昔から引っ込み思案で中々覚悟が決まらず、随分と婚期を逃してしまった。だが、今日キミを一目見て覚悟が決まったよ。心から守りたいと思う人のためなら何だってできる。僕がキミの目になろう。だから僕と同じ墓に入ってほしい』とね」
お婆さんは優しく微笑みながら惚気てくれた。
「とても、情熱的な旦那さんだったんですね」
「ええ、とても……」
そう言って立ち止まったお婆さんからは、慈愛のようなものが溢れていた。
今でも旦那さんへの愛が伝わってくるような、そんな微笑みだった。
「あなたはどこか主人と似ている気がするの。だからお節介かもしれないけど、聞いてもらえないかしら」
オレは黙って頷く。
瞼の閉じているお婆さんがそれを見て、にっこり微笑んだ。
「人生、無駄なものは何もないわ。主人もたくさん後悔をしたからこそ、一歩踏み出せたの。たくさん悩みなさい。今必死になって悩んでいるからこそ、未来がかけがえのないモノとなるのよ。昨夜は怪物からここを守って下さり、本当にありがとう御座いました。あなたのおかげで多くの命が救われました」
「あ、あれっ!?」
オレは二つの意味で驚いた。
話してもないのにモンスターと戦ったことを知っていたこと。
そして自分の瞳から零れ落ちる、一筋の雫に──
「うふふ」
お婆さんは悪戯が成功したとばかりに微笑み、すぐ傍に合ったテントに入っていった。




