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契約の神は有料です  作者: 小説家になれない人
第一章「初回契約」

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第七話「友達になりましょう」


雨の翌日、セトが走ってきた。


両手に何かを抱えて、河のほとりに駆け込んでくる。息を切らしながら、それでも笑顔で。


「ヴァルさん! セリアさん! 村のみんなが!」


セトが差し出したのは、布に包まれた小さな荷物だった。開けると、干した木の実と乾燥させた果物が入っていた。量は多くはない。でも、丁寧に選んで包んだことがわかる包み方だった。


「村長さんがね、お礼だって。みんなで少しずつ出し合ったって」


セリアは胸がじんとした。


「……ありがとうございます。セトくん、わざわざ持ってきてくれたの?」


「うん! 僕が一番早く走れるから!」


誇らしげに胸を張るセトに、セリアは思わず笑った。


ヴァルは荷物をちらりと見て、「ああ」とだけ言った。受け取ったのか受け取っていないのかわからない態度だったが、荷物はそのまま拠点の方に置かれていた。


---


セトはそのまま居着いた。


「水汲みは?」とセリアが聞くと、「もう終わったもん」と返ってきた。どうやら今日は最初からここに来るつもりで早めに済ませてきたらしい。


しばらくすると、セトとヴァルが河のそばにしゃがみ込んでいた。


何をしているのか、セリアには最初わからなかった。近づいてみると、ヴァルが何かを低い声で説明していて、セトがそれを真剣な顔で聞いていた。


「……ここに手を入れたら動かすな。魚が慣れてくるまで待つ」


「どのくらい待つの?」


「お前が動きたくなるくらいの時間より、もう少し長く」


「むずかしい……」


「じっとしてれば取れる。あとは運だ」


セリアは少し離れたところに腰を下ろして、二人を眺めた。ヴァルが子供に付き合っているのが、なんというか、不思議な光景だった。


ノアが来たのは、それから少し後だった。


---


桶を持ったノアが、いつものように草を踏み分けて現れた。河のほとりに座るセリアと、セトとヴァルの様子を見て、少し足を止めた。


「……やっぱりここにいた」


視線の先は、ヴァルの隣でしゃがみ込んでいるセトだった。


「朝からいないと思ったら」


「村のお礼を届けに来てくれたんです。それから、そのまま」


ノアがため息をついた。でも、怒っているわけではなかった。どこか、仕方ないな、という顔だった。


セリアは桶に水を汲み始めたノアの隣に座って、少し考えてから口を開いた。


「あの……ノアさん、聞いてもいいですか」


「なに」


「毎回、ノアさんとセトくんが水汲みに来るんですよね」


「そうだけど」


「大人の人が来てもいいんじゃないかなって。その方が荷物も持てるし、もし何かあっても——」


「何かって、動物とか?」


「ええ、まあ。一応こういう場所は危ないこともあるじゃないですか」


ノアは少し間を置いた。水面を見た。


「水汲みはね、もともとセトの仕事なの。でも子供一人で村の外に出すのは危ないから、私がついていく。……そういうことになってる」


「なってる、って」


「本当は逆」


ノアは桶を水に沈めたまま、言った。


「セトが水汲みを引き受けてくれるから、私は村の外に出られる。あの子の付き添いなら、誰も何も言わないから」


「……村の外に、出たいんですか?」


「村にいると、少し息が詰まるの」


ノアがゆっくりと水面に視線を落とした。


「私、村では浮いてるから」


セリアは何も言えなかった。ノアが続けた。


「捨て子なの。どこから来たのかも、よくわからない。育ての親とは血がつながってないし、本当の年齢もわからない」


淡々とした言い方だった。事実を述べるような声。でも、その静けさの中に、何度も繰り返して口にしてきたからこそ慣れてしまった、という種類の重さがあった。


「一人で村の外をうろうろしてたら、何を言われるかわからない。だから、セトが毎日水汲みに行ってくれるのは、ありがたいの。……あの子は、ただ遊びに来てるつもりなんだろうけど」


セリアはしばらく黙っていた。


河の向こうで、セトが「あ! 来た!」と叫んでいる。ヴァルが「動くな」と低い声で言っている。


「……ノアさんは、きっと誰かに話したかったんじゃないかと思います」


ノアが顔を上げた。


「違った?」とセリアが聞いた。


ノアはしばらくセリアを見てから、視線を逸らした。それが答えだった。


セリアは少し考えてから、言った。


「私もね、親は知らないんです」


「……え」


「兄みたいに慕っている人がいて——」


ミカエルの顔が浮かんだ。あの静かな目。どんなときも揺るがない背筋。蹴り落とすときも揺るがない背筋。


「……今は離れ離れになってて」


それから、もう一人の顔も浮かんだ。亜麻色の髪を一つに束ねた、まっすぐな目。落ちこぼれかけた自分に、毎晩黙って付き合ってくれた親友。今ごろ、捜索隊のどこかで剣を振るっているはずだった。


(オルレア、無事かな)


胸の奥が、少しだけ痛んだ。


セリアは苦笑した。


「でも、こっちにいる間は、あのクズじゃなかった——ヴァル様しかいないんです。最悪でしょ?」


ノアが少し目を丸くした。


「神様のこと、クズって言っていいの」


「言っていいかはわからないんですけど、実際クズなので……」


ノアが小さく笑った。初めて見る、力の抜けた笑い方だった。


「だから」とセリアは続けた。「友達になりましょう。私、こっちには友達がいないので」


ノアがきょとんとした顔でセリアを見た。


「友達……」


「変ですか?」


「……変じゃないけど、急だな」とノアが言った。それから少し間を置いて、「うん」と答えた。


小さな声だったが、ちゃんと聞こえた。


---


そのとき、河の方から声が上がった。


「うおーっ! とれた! とれたとれた!!」


セトが走ってきた。両手に魚を持って、全力で。


ノアが立ち上がった。


「えっ、セト、魚——自分でとったの?」


「そうだよ! すごいでしょ! ヴァルさんが教えてくれた!」


セトが得意げに魚を掲げる。ヴァルがゆっくりと後ろから歩いてくる。


セリアはヴァルを見た。


「……ヴァル様、子供を働かせて何をしてるんですか」


「ガキはそうやって大人になるんだよ」


「子供に魚の取り方を教えて——」


「なんだ、文句あるか」


セリアが言い返そうとしたとき、ノアが横から口を挟んだ。


「取り方、教えてもらったの?」


ヴァルがノアを見た。


「まあな」


「……良かったの? タダで」


「タダじゃない」


ヴァルがそこで初めて、少しだけ口の端を上げた。


「こいつは最初の信者だからな」


二人して「は?」という顔をした。


セトが「あ、そうそう!」と元気よく口を開いた。


「これ! もらったんだ!」


セトが首からペンダントを取り出した。木を削って作った、素朴な形のペンダントだった。中央に、大きな木が彫り込まれている。


セリアはそれを見て、ヴァルを振り返った。


「……ヴァル様、あれって」


「俺が作った」


「いつ作ったんですか」


「暇なときに」


ノアがペンダントをまじまじと見た。それからヴァルを見た。


「私も信者になれば、魚の取り方も教えてもらえるし、ペンダントももらえるってこと?」


「ペンダントだけだ」


「なんで! セトは魚の取り方もペンダントも両方もらえたのに!」


「ガキのくせに可愛くないからだ」


ノアの眉が吊り上がった。


「ガキって……私の方が絶対年上でしょ!」


「態度の話をしてる」


「態度って——!」


セリアがまあまあ、と二人の間に入ろうとした。


「ヴァル様も、あんまり意地悪しちゃいけませんよ」


ヴァルがセリアを見た。それから、ゆっくりと目線を下げた。


「お前も変わらんガキだがな」


一拍の間があった。セリアはヴァルの視線の方向に気づいた。


「……気づいてないとでも思いましたか」


「思ってない」


「今の、胸を見ましたよね」


「見てない」


「見ましたよね!?」


「記憶にない」


セリアの何かが、ぷつりと切れた。


「——殺します」


「殺せるもんなら」


「追いかけます!」


「追いかけてみろ」


セリアがヴァルを追いかけ始めた。ヴァルは歩いたまま逃げた。歩きながら追いかけられるのを待っている、という余裕の逃げ方だった。


ノアとセトが並んで、それを見ていた。


「……ほんとに変な人たちだね」とセトが言った。


「変だね」とノアが答えた。


---


結局、ヴァルはノアに魚の取り方を教えた。


ペンダントは「欲しくなったら取りに来い」と言って、拠点の軒先に吊るしておいた。中央に大きな木が彫り込まれた、素朴な作りのもの。受け取るかどうかは向こうが決めることだ、という態度だった。


帰り際、ノアとセトは並んで歩いていった。二人とも、手に魚を持っていた。


セトが嬉しそうに何か言っていた。ノアが「うるさい」と言いながら、でも笑っていた。


セリアはその後ろ姿を見ていた。しばらく見ていた。


---


夜、拠点の火を囲みながら、セリアは口を開いた。


「……ヴァル様って、子供に魚の取り方を教えるより、魚をあげ続けた方が早く信仰が集まったんじゃないですか?」


「そうだな」


「てか、村人全員に食料を配り続ければ、もっと早く帰れるんじゃないですか。みんな信仰してくれますよ」


ヴァルが少し黙った。


「……お前、本当に頭悪いな」


「そういう言い方はどうかと思いますけど」


「そんなことをしたら、あいつらは一生自立できない」


セリアは反論しようとして、口を閉じた。


「俺が帰った後、どうするんだ」


ヴァルが火を見たまま言った。


「食料をもらい続けてきた村人が、俺がいなくなった途端に食えなくなる。それでどうする。ノアはあの村で浮いてる。この世界では雨一つで飢饉になる。自分で食料を取る方法を知らなかったら、次の飢饉のとき、あいつは誰かに頼ることしかできない。そしてそのとき、誰かが助けてくれるかどうかはわからない」


セリアは火の前で、黙って聞いていた。


「俺が今できることは、俺がいなくなった後でも生きていける奴を育てることだ。そうじゃなければ信仰を集める意味がない」


ヴァルはそれだけ言って、魚をかじった。


(……この人は)


セリアは心の中で言葉を探した。見直す、というのとも違う。ただ、知らなかった何かが、少しずつ見えてきているような気がした。


早く帰りたいと言っていた。エロゲーをやりたいと言っていた。でも今、帰ることより、ノアたちの先のことを先に考えていた。


そういう人だ、と思った。


「……そうですね」とセリアは言った。「私が浅かったです」


ヴァルが横目でセリアを見た。


「まあ」


「まあ、じゃなくて、ちゃんと謝ってます」


「聞こえてる」


少しの沈黙があった。


「……ちなみに」とヴァルが言った。「胸にも頭にも、栄養が足りてないな」


セリアは三秒かけて理解した。


「——絶対殺します」


「さっきも言った」


「二回目はより本気です」


ヴァルが鼻で笑った。


セリアは心の中で固く誓った。


(こいつ、絶対いつか殺す)


ただし——それがさっきまでと、少しだけ違う温度を帯びていることに、セリアはまだ気づいていなかった。


---


*次話「静かな村」に続く*

お読みいただきありがとうございます。次話は明日19:10に投稿します。

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