第五話「接点」
翌日、セトが来た。
一人で。麻袋を背負って、河のほとりに現れた男の子は、ヴァルとセリアの姿を見つけると、ぱっと顔を輝かせた。
「いた! また来ちゃった!」
「ああ」ヴァルが川を見たまま答えた。「来るとは思ってた」
「昨日の魚、すごくおいしかった! お姉ちゃんも食べてたよ!」
「そうか」
「お姉ちゃん、最初は食べないって言ってたけど、夜中にこっそり食べてた」
セリアが思わず笑った。ヴァルは表情を変えなかったが、少しだけ目が細くなった。
「今日は一人か」
「うん。お姉ちゃんは畑の手伝いしてるから。僕だけ水汲みに来た」セトが袋を持ち上げた。「あと、木の実も持ってきた。昨日のお礼の続き!」
「いらない」
「え?」
「昨日ので十分だ。何度もいらない」
セトが少し困った顔をした。ヴァルがため息をついた。
「……置いていきたいなら勝手にしろ」
「うん!」
セトが嬉しそうに木の実を地面に並べ始めた。セリアがその横にしゃがみ込む。
「お名前、教えてもらえますか?」
「セト! 八歳! お名前は?」
「ヴァルディオスだ」
「ヴァルディオスさん! なんか強そうな名前だね!」
「神だからな」
セトの目がまんまるになった。
「かみさまっ!?」
「ああ」
「すごーい!!」
セリアが横で(こんなにあっさり信じるんだ……)と思った。子供の純粋さとはこういうものか。
それから、自分がまだ名乗っていないことに気づいた。
「あ、私はセリアです。ヴァル様の……ええと、付き人みたいなものです」
「つきびと?」
「お手伝いをする人、ですね」
「セリアお姉ちゃん!」
セトがにこっと笑った。お姉ちゃん、と呼ばれたのは初めてだった。セリアは少しだけ、くすぐったい気持ちになった。
「セトくん、えらいね。水汲み、毎日やってるの?」
「うん。村のみんな大変だから。僕でもできることはやらないと」
セリアがヴァルを見た。ヴァルは川の方を向いたままだったが、ちゃんと聞いていた。
「村、大変なの?」とセリアが続けた。
「うん。雨が全然降らなくて、畑がかれちゃってて」セトが少し暗い顔をした。「ごはんも少なくて。だから僕が魚とか木の実とか持って帰ると、みんな喜んでくれる」
「そっか。大変だったんだね」
「でも大丈夫! 女神様にお祈りしてるから、きっといつか雨が降るって、村長さんが言ってた」
ヴァルが鼻で笑った。小さく、でも確かに。
セトが首を傾けた。
「どうかした?」
「なんでもない」ヴァルが立ち上がった。「水汲み、終わったら帰れ。日が暮れる前に」
「うん! あ、また来てもいい?」
「来たければ来い」
それだけ言って、ヴァルは拠点の方へ歩いていった。
セトがセリアに小声で聞いた。
「あの人、怖い?」
「……怖くはないと思います」
「しゃべり方はちょっとこわいけど、なんか、やさしい感じがする」
セリアはセトを見た。八歳の子供が、大人でも見抜けないことを、あっさり言った。
「……そうかもしれませんね」
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三日後、ノアが来た。
セトと一緒に、水汲みの桶を持って。河のほとりに立ったノアは、ヴァルとセリアを見ると足を止めた。警戒の色が、まだ目にある。
「……まだいたんだ」
「いると言っただろ」ヴァルが答えた。
セトがノアの袖を引っ張った。
「ねえねえノア姉ちゃん! この人たちすごいんだよ!」
「すごい?」
「うん! ヴァルさんってね——」セトが得意げに胸を張った。「神様なんだって!」
ノアがヴァルを見た。三秒ほど、無言で。
「……なに教?」
「ヴァルディオス教だ」
ノアの目が少し引いた。ヴァル本人の名前をそのまま教団名にしているのが、あからさまに伝わったらしい。
「……やば」
セリアも横で(それはさすがに……)と思っていたが、口には出さなかった。出せなかった。
「やばとはなんだ」ヴァルが眉を上げた。
「だってヴァルディオス教って、自分の名前じゃん」
「神の名を冠するのは普通だろ」
「普通の宗教って、もうちょっと、こう……ありがたい感じの名前にしない?」
「面倒くさい。わかりやすい方がいい」
セトが「ヴァルさんって本当に神様なの?」と純粋な目で聞いた。
「ああ」
「すごーい! どんな神様なの?」
「契約の神だ。対価を払う者には相応の力を貸す」
「たいかって?」
「等価交換だ。俺が何かをしてやる代わりに、お前が何かを俺に払う。それだけの話だ」
セトがうんうんと頷いた。理解しているかどうかはわからないが、真剣な顔だった。
ノアがため息をついた。
「……で、その神様がなんでこんな河のほとりで魚焼いてるの」
「信者集め中だ」
「正直すぎる」
「嘘をついても意味がない」
ノアがまた少し引いた目をした。でも今度は、さっきとは少し違う引き方だった。嫌悪ではなく——なんというか、想定外のものを見たときの顔だった。
ヴァルが焼き魚を差し出した。今日は多めに焼いてあった。
「食え。この前は夜中にこっそり食べたんだろ。夜に食うと太るぞ」
ノアの頬がかすかに赤くなった。
「……太らないし。てか、セトが喋った?」
「喋った」
「セトっ——!」
「だって本当のことだもん!」
ノアがため息をついて、魚を受け取った。一口かじる。それから、ぼそりと言った。
「……おいしい」
「だろうな」
「自分で言うんだ」
「事実だからな。謙遜しても仕方ない」
ノアがまた少し黙った。川の流れを見ながら、魚を食べた。警戒は消えていなかった。でもさっきより、少しだけ距離が縮んだ気がした。
「村のこと、セトから聞いた」とヴァルが言った。「雨が降らないのか」
「……うん。もう二ヶ月近く」
「畑は」
「半分くらい、もうだめかも」ノアが川を見た。「川の水でなんとか持たせてるけど、限界がある。みんな女神様にお祈りしてるけど」
「効いてるか」
「……効いてない」
ヴァルが何も言わなかった。
ノアが横目でヴァルを見た。
「なんで聞くの」
「暇だからだ」
「嘘くさい」
「そう思うなら好きにしろ」
ノアは少しの間ヴァルを見てから、川に視線を戻した。その横顔に、何かを考えている影があった。
セトが二人の間で木の実を食べながら、のんきに言った。
「ヴァルさん、何か困ったことあったら助けてくれそうだよね」
「買いかぶりだ」ヴァルが即答した。
「でも助けてくれそう」
「対価が必要だ」
「対価?」
「タダで動く気はないってことだ」
セトが首を傾けた。ノアが静かにヴァルを見た。
「……正直な人だね」
「当たり前のことを言っただけだ」
「普通、タダでやってあげますって言うよ」
「俺は普通じゃない」
ノアが少しの間、ヴァルの目を見た。逸らさない目だった。ヴァルも逸らさなかった。
「……じゃあ、もし本当に困ったら、助けてくれるの」
セトが「あ! それ聞いていいの!?」と口を挟もうとした。ノアが「黙ってて」と即座に制した。
ヴァルは少し間を置いた。
「一番大切なものをよこせ。そしたら助けてやる」
ノアが、ヴァルを見た。
「一番大切なもの」
「そうだ」
「……それって、なに」
「お前が決めることだ。俺が指定するもんじゃない」
ノアはしばらく黙った。その目が、川の流れに落ちた。何かを考えている顔だった。
その手が、無意識に首元へ触れていた。
「……わかった」
それだけ言った。
ノアが立ち上がった。桶に水を汲み始める。作業しながら、さりげなく言った。
「また来るかもしれない」
「来たければ来い」
ヴァルはそれだけ答えた。
セトが「やったー!」と叫んで、ノアに怒られた。
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二人が帰った後、セリアがヴァルに言った。
「……あの子、ノアって名前なんですね。セトが呼んでいました」
「聞こえてた」
「ヴァル様は最初から来ると思ってたんですか? ノアが」
「思ってた」ヴァルが拠点に戻りながら言った。「この前、こっそり魚を食べた。食べたということは、俺たちを完全には拒絶していない。拒絶していない奴は、必ず確かめに来る」
「確かめに?」
「自分の判断が正しいかどうかを。あいつは頭がいい。感情より先に判断する」
セリアは歩きながら、さっきのノアの目を思い出した。まっすぐで、鋭くて、でも——何かを探しているような目。
「いい子ですね」
「使える」ヴァルが言った。
「……もう少し別の言い方はできないんですか」
「事実だろ」
「事実でも——」
「あいつは芯がある。芯があるやつは、信仰も本物になる」ヴァルが振り返った。「本物の信仰は、偽物の何十倍もの神力になる。それだけのことだ」
セリアは何も言えなかった。
ただ、ヴァルの言葉の中に「使える」以外の何かが混じっていた気がして、それが何なのか、うまく言えなかった。
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*次話「雨乞いの神」に続く*
お読みいただきありがとうございます!
宗教名が自分の名前そのまま。ノアの「やば」に全力で同意したい回でした。
そして、ヴァルの「一番大切なものをよこせ」。
この言葉の意味は、もう少し先で明らかになります。
次話「雨乞いの神」は明日10/20の19:10に投稿します。
神力ゼロの神様が、どうやって雨を降らせるのか。お楽しみに!




