第四話「河を探せ」
森は思ったより深かった。
木々の隙間から差し込む光が斜めになってきた頃、セリアはようやく口を開いた。
「あの……ヴァル様」
「なんだ」
「やっぱり、村を探した方がよくないですか?」
ヴァルは足を止めなかった。
「河が先だと言っただろ」
「それはわかってます。いきなり村に行っても怪しまれるだけ、っていうのも」セリアは空を見上げた。木々の隙間から見える光が、もう橙色を帯び始めている。「でも、日が暮れそうなんです。夜の森で野宿するくらいなら、怪しまれても村の方が——」
「河はもうすぐだ」
「どうしてわかるんですか。河がどこにあるかも——」
「風下に歩けば湿気が増す。湿気が増せば河が近い」
セリアは口を閉じた。
確かに、ここ少しの間、空気が少し湿っぽくなってきた気がする。それに気づいていたのか、このまま歩き続ければ河に出るということも。
(……見てるんだ、ちゃんと)
黙ってついていくことにした。
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河は、三十分ほどで見つかった。
さほど大きくはないが、流れは澄んでいた。川岸には平らな石が並び、木陰が程よく影を作っている。ヴァルはひと目見て、迷わずその場に腰を下ろした。
「ここだ」
「ここで何をするんですか」
「待つ」
「……何を?」
「子供」
セリアは眉を寄せた。
「子供を、待つ?」
「こういう河には村から子供が水汲みに来る。困ってる家の子供なら、何かを差し出せば懐く。それだけだ」
セリアは複雑な顔をした。が、言い返せなかった。
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食料の確保は、ヴァルが一人でやった。
川に手を入れ、しばらく動かずにいると、魚が寄ってきた。素手で、しかも一匹も逃さずに。神力が使えなくても、その動きには一切の無駄がなかった。
「……魚の取り方、知ってたんですか」
「いろいろ見てきたからな」
この世界の十五年だけの話ではない、という口ぶりだった。最高位の神。数多の世界を救ってきた神。セリアは、天使長の言葉を思い出した。
木の実も、食べられる草も、ヴァルはひと目で見分けた。セリアには同じ森に生えているようにしか見えないものを、食べられるものとそうでないものに仕分けていく。
「あの……ヴァル様って、意外と何でもできるんですね」
「意外と、は余計だ」
ヴァルは手を止めずに言った。
「どの世界でも、人間は食って、寝て、生きてる。それを見てりゃ、このくらいは覚える」
セリアは「すみません」と呟いた。それから、少しだけ、その横顔を見た。
簡単な拠点を作るのも速かった。倒木を利用して雨風をしのげる囲いを作り、石を組んで火が起こせるようにする。神力なしで、ただの知識と手先の器用さだけで、それをやってのけた。
セリアが感心して見ていると、ヴァルが振り返って言った。
「何をぼさっとしてる。薪を集めてこい」
「は、はい!」
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火を起こして、焼いた魚を食べながら、ヴァルが口を開いた。
「状況を整理する」
「は、はい」セリアは姿勢を正した。
「まず俺たちは今、下界に落ちた。神力はほぼゼロ。信者もいない。食料がなければ死ぬ」
「し、死ぬんですか? 神なのに?」
「下界にいる間は、ここの生き物と同じルールが適用される。腹が減れば食べる必要がある。怪我をすれば治す必要がある。死ねば——」ヴァルが焼き魚を一口かじった。「まあ、天界との接続が残ってれば復活できるが、余計な手間だ」
「そ、そうですか……」
「次に目標だ」
「勇者召喚ですよね? さっさとやって——」
「違う」
ヴァルがセリアを見た。
「目標は、神力を貯めて天界に帰ることだ」
「……え? でも勇者を——」
「他の神がやればいい」
「でも、ヴァル様がここにいる間、天界は——」
「天界の連中はプライドが高い」ヴァルが川を見た。「俺がここにいる以上、他の神は絶対に手を出さない。神が担当してる世界に割り込むのは、天界じゃ御法度だからな。つまり俺が帰れば、次の担当が来る。そいつが勇者召喚でも何でもやればいい」
セリアはしばらく黙った。
「……それは、この世界を諦めるということですか」
「俺の仕事じゃないと言ってる」
「でも、人が——」
「俺は慈善家じゃない」ヴァルがぴしゃりと言った。「対価のない仕事はしない。それが俺のやり方だ」
セリアは反論できなかった。でも、どこか腑に落ちないものが残った。
「……で、天界に帰るためには神力が必要で、神力を貯めるには信者が必要、ということですか」
「そういうことだ」ヴァルが立ち上がった。「最低限の信者を集めて、帰れるだけの神力が貯まったら即撤退。それだけだ」
「……ちなみに、帰ったら何をするんですか」
「新作のエロゲーがある」
「…………」
「積んだままなんだ。早くやりたい」
セリアは盛大なため息をついた。
(この人の目標、それ?)
「文句あるか」
「……ございません」
「じゃあ寝ろ。明日から動く」
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翌朝から、ヴァルは河のほとりで待った。
特に何をするわけでもなく、ただ座って水の流れを見ていた。セリアが「本当に子供が来るんですか」と聞くと、「来る」とだけ答えた。
二日目も、来なかった。
三日目の朝、セリアがそろそろ村を探しに行きましょうと言いかけたとき、ヴァルが静かに言った。
「来た」
草むらの向こうから、声が聞こえた。子供の声だった。二人分。
ヴァルがセリアを見た。
「いいか、セリア」
「な、なんですか」
「お前、これからそこの罠に引っかかれ」
セリアは目を瞬いた。
「……え?」
「俺が昨日仕掛けておいた罠がある。木の根元、少し右だ。そこに足を踏み入れて、助けを呼べ。大げさに」
「ちょ、ちょっと待ってください、なんで私が——」
「お前が困ってれば、子供は助けに来る。そこで自然に接触できる」
「全然自然じゃないですよね!? ただの自作自演じゃないですか!」
「喧しい」
ヴァルがセリアの背中に手を当て、軽く押した。
「ちょ、ちょっ、ヴァル様——」
ぐいっと押された勢いで、セリアが一歩踏み出した。
ぱちん、と音がして、足首に何かが絡まった。
「きゃっ——!」
派手に転んだ。草の上に両手をついて、足首に縄が絡まったまま、セリアはヴァルを振り返った。
「ヴァル様のせいですよね!? 今絶対押しましたよね!?」
「気のせいだ」
ヴァルはすでに近くの茂みに消えていた。
セリアは深呼吸した。こんな状況で、こんな人の言う通りにしなければいけないのか。
でも、子供の声は近づいてきていた。
(……しょうがない)
「た、助けてください——!!」
できる限り大げさに叫んだ。
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草むらをかき分けて最初に現れたのは、小さな男の子だった。
八歳くらいだろうか。丸い目をして、麻袋を背負っていた。その子が駆け寄ってくるのを、少し遅れて、もう一人が追いかけてくる。
少女だった。
十代の半ばほど。短く結んだ髪に、日焼けした肌。目が鋭い。でもその目には、迷いなく人を見る強さがあった。首元で、何か小さなものが陽を受けて、少しだけ光った。
「セト、待って——」
少女が男の子——セトを呼び止めようとしたが、セトはすでにセリアの前にしゃがみ込んでいた。
「大丈夫? 足、はさまってる!」
「あ、ありがとう。助かります——」
セトが縄を外そうと格闘し始めた。少女がセリアを見る。警戒した目だった。
「……誰? こんなとこで何してたの」
「あの、その、通りかかったら罠に——」
「こんな場所に罠は仕掛けないよ」
少女はまっすぐな目でセリアを見た。嘘を見抜こうとしているような、真剣な目だった。
セリアが返答に詰まったところで、茂みから声がした。
「大丈夫か」
ヴァルが出てきた。ゆっくりと、何事もなかったように。
「一緒に来てたのか?」と少女が言った。
「ああ。こいつが迂闊だった」
「ヴァル様の——!」
「腹が減ってるだろ」
ヴァルがセリアの言葉を遮って、袋から取り出した焼き魚を差し出した。セトの目が輝く。少女の目は、まだ警戒したままだ。
「……なんで食べ物を持ってるの」
「たまたまだ」ヴァルが肩を竦めた。「何かの縁だろ。ついでにやる」
少女は受け取らなかった。セトが「お姉ちゃん! もらおうよ!」と引っ張ったが、少女は動かなかった。
ヴァルはしばらくその様子を見てから、焼き魚を地面に置いた。
「急がなくていい。腹が減ったら食え」
それだけ言って、河の方へ歩き出した。
「お前たちが飯に困ったら、また来い。ここにいる」
少女が、その背中を見ていた。
警戒は消えていなかった。でも何か、一つだけ引っかかりが生まれたような目をしていた。
セトが袋から木の実を取り出して、地面に置いた焼き魚と交換するように並べた。
「お礼!」
セリアは思わず笑った。
ヴァルは振り返らなかった。でも、その背中が少しだけ——ほんの少しだけ、緩んだ気がした。
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夜、拠点に戻ってから、セリアはヴァルに聞いた。
「あの子たちの名前、聞かなかったんですね」
「向こうから言うまで聞かない」
「なぜですか」
「名前を聞くのは、次に会うためだ。次があると決まってないのに聞いても意味がない」
セリアは火の前に座りながら、今日のことを考えた。警戒した目の少女。真っ先に飛び出してきた男の子。
「……また来ると思いますか」
「来る」ヴァルが即答した。
「根拠は?」
「セトとかいう子供が、木の実を置いていった」
セリアは頷いた。確かにそうだった。あれは、また来ると言っているようなものだ。
「あの女の子は」
「来る」ヴァルがまた即答した。「あいつは目が良かった。俺を信用はしてないが、判断を保留にした。保留にする奴は、答えを出しに来る」
セリアは少し沈黙してから、言った。
「……ヴァル様って、人を見るのが得意なんですね」
「長く見てきたからな」
それだけ答えて、ヴァルは目を閉じた。
火の音だけが、しばらく続いた。
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*次話「最初の接触」に続く*
お読みいただきありがとうございます!
神力ゼロでも、魚は素手で獲れる。罠も仕掛ける。ただし仕掛けた罠に落とすのは付き人。
そして天界に帰りたい理由がエロゲー。ブレない神様です。
ようやく出会ったノアとセト。
次話「接点」は明日10/19の19:10に投稿します。




