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契約の神は有料です  作者: 小説家になれない人
第一章「初回契約」

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第三話「腹黒天使」

それから数日後、天使長ミカエルが再び現れた。


異界門の前に椅子を並べて世界を眺めていたヴァルとセリアの前に、音もなく降り立つ。相変わらず背筋の伸びた、静かな佇まいだった。


「どうですか。進捗は」


「ない」


ヴァルは門の向こうを見たまま即答した。


「そうですか」天使長は異界門を覗き込んだ。魔王軍の旗が城壁に翻る景色が映っている。「なかなか厳しい状況ですね」


「見れば分かる」


「ヴァルディオス様の見解は?」


「撤退」


セリアが横から「ヴァル様!」と叫んだが、ヴァルは動じなかった。


「合コンの件は諦める。割に合わない」


「……対価を、放棄なさると」


「そうだ。対価を受け取らないなら、契約は成立しない。それなら俺に働く義理もない」


ヴァルは悪びれもせずに言った。


「後任を立てろ。アレスでもオーディンでも、戦闘が得意な奴に任せればいい。俺は帰って新作のエロゲーをやる」


「エロゲーを」天使長が繰り返した。表情は変わらない。


「ああ。発売日に買ったのに積んだままだ。初回限定版だぞ。早く帰りたい」


セリアが天使長に向かって深々と頭を下げた。


「申し訳ありません天使長! 私からもよく言い聞かせますので、もう少しだけ——」


「いいえ」天使長は穏やかに遮った。「ヴァルディオス様がそうおっしゃるなら、それも一つの判断です」


「え」


「後任の件、検討しましょう。アレス様、オーディン様……」


天使長はそこで、ほんの一瞬だけ言葉を切った。


「……ええ。検討しておきます」


ヴァルが椅子から立ち上がった。


「じゃあ帰る」


「ええ」天使長が頷く。「ところで、ヴァルディオス様」


「なんだ」


「少し前に、王都の情報が入りまして」


「関係ない」


「王都の神殿近く、泉のほとりで、絶世の美女が水浴びをしているのを、偵察の天使が目撃したそうです」


ヴァルの足が止まった。


「……絶世の」


「ええ。しかも、かなりスタイルがよろしいとのことで」


「どのへんだ、詳しく教えろ」


セリアは目を瞬いた。一秒前まで「帰る」と言い切っていたヴァルが、異界門の方に向かって歩き出していた。


「確か……こちらだったかと」


天使長が門のなこの一部を指す。ヴァルが迷わず近づき、身を乗り出して覗き込んだ。




その瞬間だった。





天使長の足が、静かに、しかし確実に動いた。


ヴァルの背中に、蹴りが入った。


「っ——な、てめ——!?」


体が門をくぐる。光に飲まれる。落ちていく。


「この腹黒天使がああああああああ——!!」


叫び声が遠ざかっていく。


セリアは固まっていた。


今、何が起きたのか。整理しようとしたところで、天使長がこちらを向いた。


「セリア」


「は、はいっ」


「あなたも行くのですよ」


「え、あ、でも私は——」


「ヴァルディオス様のお力になれるよう、頑張ってくださいね」


にこり、と天使長が微笑んだ。


セリアは気づいた。この人も、大概だ、と。


そして、気づいた時には、異界門へ投げ込まれていた。


「ひいいいいいいいいい——!!」


光の中に飲まれながら、セリアは叫び続けた。






---


落ちた。


どこかに、落ちた。


セリアが目を開けると、空が見えた。青い、見知らぬ空。草の匂い。土の感触。体のあちこちが痛い。


「……いたた」


のろのろと体を起こすと、木々の間から光が差し込んでいた。どうやら森の中らしい。少し離れたところで、ヴァルが同じように地面に倒れていた。


「……生きてるか」


ヴァルが低い声で言った。セリアに言っているのか、自分に言っているのかわからなかった。


「生きています。ヴァル様は」


「生きてる」


ヴァルがゆっくりと体を起こした。外套についた土を払い、乱れた髪を掻き上げる。それから空を見上げて、静かに言った。


「あの腹黒天使め」


「……そうですね」


セリアも同意した。否定できなかった。


ヴァルが立ち上がり、周囲を見渡した。その目が、すっと細くなる。観察するときの目だ、とセリアはすでに覚えていた。


「神力は?」とセリアが聞いた。


「ほぼない。ここに来た時点でリセットされた」ヴァルが手を見た。「信者もいない。使えて精々、虫を一匹追い払う程度だな」


「……では、どうするんですか」


ヴァルは少し考えてから、森の奥を向いた。


「河を探す」


「河、ですか?」


「水があるところに人が来る。人が来るところに、信者の種がある」ヴァルが歩き出した。「ついてこい」


「あの、その前に確認なんですが」セリアが慌てて後を追いながら言った。「村を探した方が早くないですか?」


ヴァルが歩きながら、振り返りもせずに答えた。


「馬鹿か」


「なっ」


「考えろ。見知らぬ男と女が突然村に現れて、『私は神です、信仰してください』と言ったらどうなる」


「……頭がおかしいと思われる」


「そういうことだ」


セリアは黙った。確かに、そうだった。


「まず接点を作る。自然な形で信頼を得る。それから動く。順序がある」


木々の間から、遠くに川の音が聞こえた気がした。ヴァルの足取りに迷いはなかった。


「ヴァル様はこういうこと、慣れているんですか」


「いや」


「では、なぜそんなに自信があるんですか」


ヴァルは少し間を置いてから、答えた。


「十五年、見てたから」


セリアは何も言えなかった。


ヴァルは立ち止まらなかった。ただ、その背中が少しだけ——ほんの少しだけ、違って見えた気がした。


---


天界では、天使長ミカエルが高窓の前に立っていた。


異界門の向こうに、二つの小さな影が森を歩いていく。


「……行きましたね」


隣に立つ天使が、おそるおそる言った。


「天使長、本当によかったのですか。あんな強引な方法で」


「ええ」天使長は穏やかに答えた。「ヴァルディオスは、自分から動く理由がないと動かない。ならば、動かざるをえない状況を作ればいい」


「でも、あの方は——」


「あの方はね」天使長が静かに微笑んだ。「本気で生きている人間のことを、嫌いじゃないんですよ。きっと、あの世界でそういう人間に出会う。そうなれば——」


天使長は言葉を続けなかった。


ただ、窓の外を見ていた。


その目には、長い年月を知る者だけが持つ、静かな確信があった。


---


*次話「河を探せ」に続く*

本日3話、お付き合いいただきありがとうございました!

天使長の蹴りで、ついにヴァルとセリアは下界へ。

神力ゼロ、信者ゼロ。ここから有料の神様の本領発揮(?)です。


次話「河を探せ」は明日10/18の19:10に投稿します。

これからは毎日19:10に更新していきます。


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