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契約の神は有料です  作者: 小説家になれない人
第一章「初回契約」

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第二話「世界を救え(やだ)」

天使長ミカエルの執務室は、天界の中でも最も高い場所にある。


白い石造りの広い部屋。高窓から差し込む光が床に長く伸びて、その奥に執務机が置かれていた。壁には各下界への異界門が並び、それぞれに異なる世界の景色が薄く映し出されている。


セリアはヴァルの三歩後ろを歩きながら、内心で緊張していた。


ミカエルのことは、天使学校の頃から知っている。天使長は時折学校を訪れては、講義の合間に生徒たちへ気さくに声をかけていた。誰に対しても分け隔てなく、穏やかで、優しい。生徒の間で一番人気があったのは、間違いなくミカエルだった。


落ちこぼれかけて中庭の隅でうつむいていたセリアにも、ミカエルは足を止めて話しかけてくれた。


『焦らなくていい。君は、ちゃんと前に進んでいますよ』


その一言を、セリアは今でも覚えている。あの日から、ミカエルはセリアにとって、ずっと憧れの人だった。


だからこそ、緊張する。


学校で話しかけてもらうのと、上司と部下として正式に呼び出されるのとでは、まるで違う。しかも今日は、あのヴァルの付き人として、だ。


(変なことを言わないように。ヴァル様が変なことを言っても、私は絶対に、変なことを言わないように……)


扉が開く。


天使長が振り返り、静かに微笑んだ。その目が一瞬セリアに向けられ、ほんの少しだけ柔らかくなった。セリアの背筋が、勝手に伸びた。


「ヴァルディオス様。お久しぶりですね。お変わりなく」


「久しぶり。で、用件は?」


セリアは固まった。


タメ口だった。天界最高位の天使長に向かって、ヴァルは当然のようにタメ口を使っていた。


(ちょ……っ、ヴァル様! 天使長に対してその言葉遣いは——)


小声で注意しようと口を開いたセリアに、天使長が穏やかに首を振った。


「構いませんよ、セリア。この方はずっとこういう方です」


「で、も——」


「昔からですので。……それより、あなたこそ肩の力を抜きなさい。顔が真っ白ですよ」


「は、はいっ」


声が裏返った。天使長が小さく笑う。セリアは耳まで熱くなった。


天使長は特に気にした様子もなく、執務机の前に立った。ヴァルはというと、すでに部屋の隅にある椅子を引き寄せて、足を組んで腰かけていた。


「要件を言えよ。時間の無駄だ」


「そうですね」と天使長は静かに言って、一枚の書類を手に取った。「まず、いくつか確認させてください」


「なんだ」


「先月、女神ヴィーナス様より覗き見のクレームが入っています」


セリアはヴァルを見た。ヴァルは視線を逸らした。


「……風が強かった」


「女神様の私室の窓に、外側から張り付いていたと報告がありますが」


「風で飛ばされた」


「次に」天使長は書類をめくった。「天界第三競技場にて、人間界のスポーツを模した遊戯を行い、施設を破損した件。被害総額は——」


「野球は楽しいぞ。ルールが合理的だ」


「ホームランと称して、競技場の壁を三枚ぶち抜いています」


「力加減を間違えた」


「続いて」また書類がめくられる。「神域図書館にて所蔵の漫画を参照し、記載の技を神域で試みた結果、柱を七本と床を二フロア分破壊した件」


「あれは理論上は再現できると思った」


「理論と実践は違いますね」


「あと」天使長の声のトーンは変わらなかった。淡々と、しかし確実に、「本来の職務をここ三百年ほど一切こなしていない件」


「……若手に譲ってだったんだ」


沈黙が落ちた。


セリアは目眩がしそうだった。三百年。三百年も働いていなかったのか、この神は。セリアが生まれるより、ずっと前からだ。


「以上の件について、今回すべて不問といたします」


「は?」


ヴァルが初めて眉を動かした。


「条件があります」天使長は書類を机に置いた。「ある下界の世界を、救っていただきたい」


「対価は?」


即答だった。セリアは耳を疑った。


天使長は表情ひとつ変えなかった。


「ですから、今申し上げた件をすべて不問にいたします」


「それは対価じゃない」


ヴァルは椅子の背にもたれたまま言った。


「マイナスがゼロに戻るだけだ。俺が得るものは何もない」


「下界を救うのは、神の務めです。本来、対価を求めるものではありません」


「なら、その務めとやらが大好きな神にやらせろ。無償で働く趣味はない」


「ヴァル様!」


セリアは思わず声を上げていた。


「せ、世界を救うんですよ!? 困っている人たちがいるんですよ!? それに対価って……!」


「困ってるのは向こうの都合だ」


ヴァルは立ち上がり、外套を肩に引っかけた。


「タダ働きはしない。帰る」


扉へ向かうヴァルの背に、天使長の声が追いかけた。


「女神ヴィーナス様との合コンをセッティングしましょう」


ヴァルの足が止まった。


「……参加人数は」


「ヴィーナス様のご友人も含め、五名ほど」


「全員美人か」


「神格ですので」


ヴァルはゆっくりと振り返った。その顔には、さっきまでとは別の光が宿っていた。


「……それが、対価か」


「はい」


「契約の神の前で、二言はないな」


「ございません」


天使長が静かに微笑んだ。


「……お主も悪やのう」


「お褒めにあずかり光栄です」


ヴァルは椅子に戻り、どかりと腰を下ろした。


「契約成立だ。話を聞こう」


セリアは呆然とした。


世界の命運が、合コンで売れた。


(あーこいつ、ほんとうにクズだ……)


頭を抱えるセリアの横で、天使長だけが、どこか満足そうに目を細めていた。




---


異界門へ向かう廊下を歩きながら、天使長はセリアに向かって静かに説明を始めた。ヴァルが「知ってる」「知ってる」と手を振り続けたが、天使長は意に介さなかった。


「セリア。付き人になった以上、神の仕事についても知っておきなさい」


「はい」


「神の務めは、大きく分けて三つあります」


天使長は歩きながら、指を一本立てた。


「一つ目は、天界そのものの維持。下界の創造や、天界の理の管理です。たとえば、あらゆる下界を生み出しておられる創造神ガイア様。こうした務めは特別なもので、関わる神はごく僅かです」


二本目の指が立つ。


「二つ目は、邪神の討伐。天界を追放された神々を討つ務めです。もっとも、邪神は滅多に姿を現しません。行方を追うのは、主に天使の仕事になっています」


セリアの脳裏に、オルレアの背中がよぎった。


「そして三つ目が、下界の救済」


三本目の指が立った。


「滅びに瀕した世界を救い、その世界の人々から信仰を得る。集まった信仰は神力となり、神々と天界を支える糧になります。神の務めのほとんどは、実質これです」


「三つの務めで、どれだけのことを成し遂げたか。それで神の階級が決まります」


「階級……」


「下位(C)、中位(B)、上位(A)。そしてその上に、最高位(S)。……もっとも、天界の維持に携われる神は限られ、邪神はそうそう現れません。結局のところ、上の階級にいる神のほとんどは、下界を数多く救ってきた神々です」


天使長は、前を歩くヴァルの背中にちらりと目をやった。


「どれだけの世界を救ってきたか。それが、そのまま神の格になるのです」


セリアも、その背中を見た。


最高位。つまり、この神はそれだけの世界を救ってきたということになる。部屋に積まれた「初回限定版」の箱の山が頭に浮かび、どうにも結びつかなかった。


「下界にも格付けがあります。滅びまでの猶予、敵の強さ、文明の状態。それらを踏まえて、救済の難易度が定められています。難しい世界ほど、救ったときの評価も大きい」


「今回の世界は……」


「高難度です」


天使長はあっさりと言った。


「要するにハズレってことだろ」


前を歩くヴァルが、振り返りもせずに言った。


「評価が大きい、と申し上げたのです」


「同じ意味だ」


天使長は否定しなかった。


「では、下界での基本ルールを説明します。まず第一に、直接手を出すことは推奨されません。特に、知性ある生物の命を奪うことは禁じられています」


「はい」


「第二に、世界を救うとは、その世界固有のルールを達成することを指します。戦争の終結、植民地の独立、そういったものも含まれます。今回の場合は、魔王の討伐ですね」


「魔王を、ですか」


「ただし」と天使長は一拍置いた。「魔王は勇者が倒さなければなりません。それがこの世界のルールです」


「勇者……」


「第三に、神の力を行使するには信仰を集め、神力に変換する必要があります。信者なき神は、ほぼ無力です」


セリアが頷きながらメモを取っていると、前を歩くヴァルがぼそりと言った。


「ざっとそんなもんだ。あとは現地で考える」


担当世界の異界門の前に着いた。壁一面に広がる光の揺らめき。その向こうに、見知らぬ世界の空が映っていた。青い空。白い雲。遠くに城壁を持つ都市と、広大な農地。絵に描いたような、RPGの世界だった。


「では」と天使長が言った。「よろしくお願いします」


天使長は一礼して、廊下を戻っていった。


セリアは門の向こうの景色を見つめ、小さく息を吸った。いよいよ下界だ。


ところが、ヴァルは門の前から動かなかった。


「……降りないんですか?」


「降りたら最後、文句言って帰れなくなる」


ヴァルは異界門の前に椅子を持ってきて、腰かけた。腕を組み、門の向こうの世界をただ眺める。


「ここから見てればいい。どうせ勇者が育つまで時間がかかる」


「勇者召喚、するんですか?」


「もうした」


「え、いつ——」


「さっき。門の前で」


セリアが異界門を覗き込んだが、何も起きている様子はなかった。


「……何も変わっていませんけど」


「即効性がないだけだ。しばらく待てば育つ」


「信仰がないと神力が——」


「細かいことを言うな」


どうにかならなかった。


---


一年が過ぎた。


魔王軍が北の小村を制圧したという景色が、異界門に映し出された。


五年が過ぎた。


王国軍が各地で敗北し、難民が街道に溢れていた。


十年が過ぎた。


状況はどんどん悪くなる。


十五年が過ぎた。


魔王軍の旗が、いくつかの街の城壁に翻った。


---


「大丈夫なんですか?」


セリアが聞いた。ヴァルは異界門の向こうを眺めながら、しばらく黙っていた。


「帰る」


「えっ」


「やめた。帰る」


「せ、世界が滅びますよ!?」


「滅びはしない」ヴァルは椅子の背に体を預けた。「ただ、魔王軍に支配される。まあ、そういう世界になるってだけだ」


「そういう世界って——!」


「聞けよ」ヴァルが門の向こうを見たまま言った。「そもそも、なんで俺に頼んだと思う?」


セリアは口を閉じた。


「……十五年、ずっと見てた。この世界にはすでにいくつか宗教がある。それが全部、俺の前に担当して失敗した神のものだってことも、今はわかる。要は厄介事を押し付けられたんだよ、俺は」


ヴァルが異界門から目を離し、セリアを見た。


「しかもここまで魔王軍が強いなら、正攻法じゃ勝てない。いっそ世界が一度滅んで、最後の希望として神が勇者に転生して戦った方が早い場合もある」


セリアが即座に言った。


「じゃあヴァル様がそれをやれば——」


「はー」ヴァルが盛大にため息をついた。「お前ほんとに頭悪いな」


「な——っ」


「俺は戦闘向きじゃない。そういう役は戦闘特化の神にやらせろ。アレスとかオーディンとかいるだろ。あいつらの方がよっぽど向いてる」


セリアは言い返せなかった。


ヴァルが立ち上がり、異界門を見た。その横顔は、いつもと違って少しだけ遠い目をしていた。


「……まあ、もう少しだけ待ってみるか」


「え?」


「何でもない。帰るぞ」


---


*次話「腹黒天使」に続く*

お読みいただきありがとうございます!

世界の危機より合コン。それがヴァルディオスという神です。

次話「腹黒天使」は本日19:10に投稿します。

ついに、あの方が本性を見せます。

続きが気になったら、ブックマークで追いかけていただけると嬉しいです。

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