第十四話「神の引っ越し」
「セリア、早くしろ。早くしないと日が暮れるぞ」
——マジ、きつい。
セリアは、心の底からそう思った。
両腕に抱えた食料の袋が、ずしりと重い。額には汗が伝い、息は上がりきっている。それなのに、目の前の神は、せかせかと動き回りながら、平然とそんなことを言うのだ。
(ヴァル様、人使い荒すぎでしょ……)
引っ越しは、会議のあと、すぐに行われた。
ヴァルは、いったん元の拠点へ戻ると、要らない物を選り分け、そのうえで今まで使っていた拠点そのものを分解しはじめた。そして、ばらした材を、せっせと教会跡地まで運び込んだ。今は、それを地面に組み直している最中だ。
セリアは、その間ずっと、食料やら荷物やらを運ばされていた。もう、二度三度と往復している。へとへとだ。
ヴァルは、相変わらず手際よく動く。一方のセリアは、もう限界が近かった。
それでも、なんとか引っ越しは済んだ。
骨組みをある程度まで組み上げ、どうにか寝る場所を確保した頃には——空はとっくに、暗くなっていた。
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セリアは、地面に大の字でダウンしていた。
指一本、動かしたくない。このまま土に還ってしまいたい。
——けれど。
ふわり、と。
香ばしい匂いが、鼻先をかすめた。
脂の乗った魚を、火で炙る匂い。
セリアの体が、勝手に起き上がった。ふらふらと、匂いのする方へと引き寄せられていく。
焚き火の前で、ヴァルが魚を焼いていた。
「食う元気は、あるんだな」
ヴァルが、にやりとして言う。
「……うるさいです」
セリアは、ぼそりと返して、差し出された魚にかぶりついた。
熱い。香ばしい。じわりと染みる塩気。
一口食べるごとに、奪われていた力が、少しずつ戻ってくるようだった。
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腹が満ちて、ようやく人心地がつくと、セリアは口を開いた。
「……まさか、今日のうちに引っ越しするなんて」
恨めしげに、ヴァルを見る。
「別に、明日でも良かったじゃないですか」
「こういうのは、早い方がいい」
ヴァルは、魚の骨をしゃぶりながら、淡々と答えた。
「目の前の仕事が終われば、次にやることが見えてくる。どうせやるなら、早いうちに済ませるべきだ」
その口ぶりは、セリアに言い聞かせているようでもあり——どこか、自分自身に言い聞かせているようでもあった。
セリアは、言い返せなかった。
なんとなく、釈然としないまま、話題を変える。
「それにしても。よく思いつきましたね、雨乞いの報酬が教会跡地、なんて。しかも、あんなタイミングで言い出すんだから」
「食いもんは、自分で獲れる」
ヴァルは、焚き火を見つめたまま言った。
「だから、要らん。それに——この地は、ずっと狙っていた」
「狙っていた?」
「教会が建つ場所ってのは、たいてい神聖とされた地だ。地の力が強い。そのうえ、ここには長いこと、人が祈りに通ってきた。その思いが、土に染みついている」
ヴァルは、ぱちぱちと爆ぜる火を、目で追った。
「ここにいれば、神力の回復が早い」
——ああ、なるほど。
セリアは、得心した。だから、この男は教会跡地にこだわったのだ。
そして、思い出す。
そもそもの、目的を。
ヴァルの狙いは、神力を取り戻すこと。そして、力が戻ったあかつきには——この世界から離脱し、別の神に、この世界のことを託す。それが、当初からの目的だったはずだ。
「いつから、ここまで考えていたんですか?」
セリアが、ふと尋ねた。
「村に入ったとき。教会へ祈りに通う連中が、目に入った。たぶん、その頃からだな」
ヴァルは、少し肩をすくめた。
「ただ——ここまで上手くいくとは、思っていなかったがな」
セリアは、その横顔を見た。
(……今日は、ずいぶん饒舌だな)
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セリアは、はあ、と大きく息を吐いた。
「……もう、いっそのこと」
「ん?」
「『契約の神』なんてやめて、『詐欺の神』とか『腹黒の神』とかに、名前を変えたらどうですか」
ヴァルが、鼻で笑った。
「なら、お前は『文句の天使』にでも改名するんだな」
「は?」
セリアが、むっとした顔を上げる。
だが、ヴァルはそれを無視して、続けた。
「だいたい、腹黒いってんなら——あの村長の方だろう」
「村長が、ですか?」
「跡地を譲ったのには、打算がある」
ヴァルは、焚き火に枝を一本くべた。
「まず、女神教絡みの厄介事を、まるごと俺に押しつけた。跡地が俺のものになれば、ハロルドの不満も、本部との悶着も、ぜんぶこっちの問題だ」
「あ……」
「次に、最後の念押しだ。何もない跡地ひとつで、雨乞いの対価を払い終えた。村の畑は、一坪も減っていない」
セリアは、はっとした。
あのとき、村長は「跡地をお渡しすれば、一割はこれで済んだということで」と、さらりと言った。あの場では聞き流していたが、あれで、この先の取り立ての芽を、きれいに摘んでいたのだ。
「それに、神を村に住まわせた。何かあれば、すぐそこに神がいる。——なかなかの、やり手だよ」
セリアは、あの夜のことも思い出した。
教会の鍵を閉めないでくれ、とヴァルが頼んだとき。村長は、理由も聞かずに頷いた。
得体の知れない自称神を信じる、という賭けに出たのは、あの人なのだ。
(もしかして……すごい人なのでは?)
「あの村長なら」
ヴァルが、ぽつりと言った。
「この村は、安心だろう」
——それは。
セリアには、なぜだか、いつもより少しだけ、寂しそうな声に聞こえた。
けれど。
(……気のせい、か)
疲れていたせいだろう。そう思うことにして、セリアは目を閉じた。
火の温もりと、満ちた腹に誘われるように、意識が遠のいていく。
ほどなく、セリアは眠りに落ちた。
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焚き火が、静かに爆ぜる。
ヴァルは、寝息を立てはじめたセリアに、自分の上着をひとつ放ってやった。
そして、立ち上がる。
組みかけの拠点を背に、夜空を見上げた。
星が、よく見える。教会跡地のこの場所は、空が広い。
ヴァルは、しばらくのあいだ、何をするでもなく、ただ星を見ていた。
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同じ夜。
村へと続く街道を、一台の馬車が、ゆっくりと進んでいた。
車輪が石を踏むたびに、揺れる。その揺れの中で、枢機卿アリアは、膝の上に広げた書類に、もう何度目になるかわからない視線を落としていた。
窓の外は、墨を流したような闇だ。月明かりだけが、痩せた木々の影を、ぼんやりと浮かび上がらせている。
馬車の両脇を、護衛の騎士たちが騎馬で固めていた。前線から呼び戻された部隊だ。魔族を相手に、幾度も戦果を挙げてきたと聞いている。窓のすぐ外を並走する若い騎士が、闇の中で一度だけ、こちらに小さく会釈した。
辺境の村まで、枢機卿が自ら足を運ぶ。
——異例の、ことだった。
魔族が出たとはいえ、本来であれば、現地の聖騎士の報告を待ち、書面で処理すれば済む話だ。それを、わざわざ。
アリアは、手元の報告書に、もう一度目を通した。
レインの、報告書だった。
盗賊による村の襲撃。駐屯の騎士たちの殉職。そして、魔族の出現と、その討伐。淡々と、過不足なく記された、優秀な聖騎士らしい仕事だ。文面に、非の打ちどころはない。
——非の、打ちどころがなさすぎる。
あの夜、辺境の空に、まばゆい光が立ちのぼった。遠く離れた地からも見えたという。各地の神官が天を仰ぎ、「女神の顕現か」と色めき立つほどの、尋常ならざる光だった。
なのに、レインの報告書には、そのことが一行も書かれていない。
(レインともあろう者が、あの光に、気づかなかった?)
ありえない、とアリアは思う。あの男は、女神教でも指折りの聖騎士だ。剣聖の加護を継ぐ者。あの夜、村にいたのなら、空を焼くようなあの光を、見ていないはずがない。
書けなかったのか。それとも、書かなかったのか。
それが、一つめの違和感だった。
「枢機卿様。お顔の色が、すぐれないようですが」
向かいの席から、声がかかった。
随行の一人だ。
アリアは、書類から顔を上げ、穏やかに微笑んでみせた。
「いいえ。少し、考え事を」
「あのレイン殿が、あれほどの光を見落とすとは。解せませんね」
それとなく、だった。咎めるでもなく、世間話のように。
今回の随行の人選は、教皇サルゴン猊下じきじきの推薦——いや、ほとんど指名だった。物腰は柔らかく、礼儀も正しい。咎めるところは、何ひとつない。
ただ、道中、彼らの口からレインの名が出るのは、これが初めてではなかった。
それが、なぜか気にかかる。
二つめの違和感は、その程度のものだった。はっきりと、こうだ、とは言えない。
アリアは、それ以上は考えまいとして、視線を窓の外へ逃がした。
——考えても、仕方がない。
自分は、ただの使者だ。本部の命を受け、現地を確かめ、報告する。たとえ何か引っかかるものがあっても、勝手に動ける立場ではない。
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「枢機卿様。お届け物です」
随行員が、一通の封書を差し出した。
「先ほどの宿場に、村から早馬で届いていたそうです。差出人は——その村の、神官だとか」
「神官?」
アリアは、封を検めた。
女神教の、正式な書式。差出人の名は、ハロルド。村に駐在する、年老いた神官の名だった。
封を切る。
ランプの、頼りない灯りにかざして、文面を追いはじめた。
——そして。
読み進めるうちに、アリアの整った眉が、わずかに寄った。
手紙は、訴えだった。
いわく——女神様が降臨されたと伝わる、神聖なる教会の跡地。その地が、得体の知れぬ者に、奪われようとしている。
いわく——その者は、自らを「神」と名乗っている。契約だの、対価だのと口にし、女神への信仰を、あろうことか公然と否定している。
いわく——村長は、その者に取り込まれ、聖地の譲渡を、独断で決めてしまった。これは女神教への、許しがたい冒涜である。一刻も早く、本部のご裁断を。
アリアは、手紙を膝に下ろした。
ランプの灯が、揺れる。
——神を、名乗る者。
あの夜、観測された、まばゆい光。報告書から消えた、一行。
レインの、沈黙。
ばらばらだったはずの欠片が、この一通の手紙を要にして、すっと一つの形に近づいていく。
(……いる、のね)
あの村に。
女神ならぬ「神」を名乗る、何者かが。
レインが、報告書に書かなかった存在が。
アリアは、もう一度、窓の外へ目をやった。
闇の向こう、まだ見えぬ村の方角を、じっと見つめる。
胸の奥で、何かが、静かに身じろぎした。
好奇心とも、警戒ともつかない。職務とも、私情ともつかない。ただ——確かめずにはいられない、という、抗いがたい衝動。
その者は、何者なのか。
なぜ、レインは口を閉ざしたのか。
馬車は、揺れながら、闇の奥へと進んでいく。
村は、もう、遠くなかった。
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*第二話 終*
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次話は10/31 (土)の19:10に投稿します。




