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契約の神は有料です  作者: 小説家になれない人
第一章「初回契約」

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第十二話「最悪の推測」


「罰当たりが!」


しわがれた怒声が、夜気を裂いた。


「女神様の家に火を放ち、御像まで倒すとは! なんという——なんという罰当たりな真似を!」


老神官ハロルドだった。


地下から上がってくるとき、倒れた女神像を見たのだろう。煤にまみれた祭服のまま、燃える教会を背に、ヴァルへ指を突きつけていた。


「女神様は見ておられるぞ! 必ず、必ず報いが——」


「ハロルド殿」


村長が、その腕を押さえた。


「今は、おやめなされ」


「しかし村長!」


「生きております。皆」


村長はそれだけ言った。ハロルドの口が、ぱくぱくと動いた。言葉が続かない。それでも、その目はヴァルを睨みつけたままだった。


ヴァルは、見向きもしなかった。


---


教会は、まだ燃えていた。


梁が焼け落ちるたびに、火の粉が夜空へ舞い上がる。その赤い光に照らされて、村人たちが思い思いに座り込んでいた。


抱き合って泣いている家族がいた。泣いている理由が、助かったからなのか、失ったからなのか、本人たちにもわからないようだった。


黙って炎を見つめている男がいた。その腕には、もう誰も抱かれていなかった。


セトが、母親の膝で眠っていた。泣き疲れたのだろう。頬に、乾いた涙の跡が残っていた。


セリアは、ヴァルの隣に立っていた。何か言おうとして、言葉が見つからなかった。


盗賊は倒した。ガスも死んだ。外に残っていた者も、もういない。


ノア、セト、村長、レイン。教会に逃げ込んだ四十人。助かった。


だが、教会に辿り着けなかった者もいる。完勝とは、とても言えない。


(神力さえあれば——)


ヴァルはそう思いかけて、すぐに切り捨てた。


過去を考えても、しょうがない。


---


村長とレインが、ヴァルのもとへ来た。


村長は、何か言おうとして口を開いた。それから、閉じた。もう一度開いて、また閉じた。


「……この老いぼれ、礼の言葉を探しましたが」


しわだらけの手が、震えていた。


「見つかりませんでした」


村長は、深く、深く頭を下げた。そのまま、しばらく上げなかった。


レインも、無言で一礼した。


ヴァルは、炎を見たまま答えた。


「まだ、助かってはいない」


「……え?」


「命が助かっただけだ。命があるだけでは、人は幸せにはならない。ここからだ」


少しだけ間を置いて、ヴァルは続けた。


「失ったものも、多い」


セリアは、その横顔を見ていた。


(この人はもう、次を考えている)


死者は蘇らない。だからこそ、生きている者のことを考えている。


---


ノアは、少し離れたところからそれを見ていた。


燃えている。


十年前、自分が置いていかれた場所が。石壁の前でうずくまって泣いていた、あの場所が。


いつか誰かが迎えに来るなら、ここだと思っていた。あの大きな手の誰かが、本当の親が、もし戻ってくるなら——ここしかないと。


それが、燃えている。


ノアは胸元に手を当てた。服の下に、細い鎖がある。


親へと繋がるものは、もう、これしか残っていなかった。


(……私は、何もできなかった)


こんなに簡単に、人は死ぬ。家はなくなる。祈っても、誰も来ない。


何もできなかった、という重さが、胸の底に沈んでいた。


---


「……ヴァル様、帰りましょう」


セリアが言った。ただ、そう言うことしかできなかった。


ヴァルは少しの間、黙っていた。


「そうだな。できることは、やった——と、思う」


そのときだった。


森の方で、枝の折れる音がした。


レインが振り返った。ヴァルも、同時に。


風ではない。獣でもない。もっと重い、何かの足音。


「セリア、村長」


ヴァルの声が、低くなった。


「すぐに村人を逃がせ。村の外まで」


「え、でも——」


「今すぐだ」


---


森の影から、マントの男が現れた。


ゆっくりと歩いてくる。急ぐ様子がまるでない。燃える教会も、座り込む村人たちも、目に入っていないようだった。


男の手が、前に出された。


魔法陣が、音もなく展開された。


次の瞬間——炎の矢が飛んできた。


「伏せろ!」


ヴァルがレインに体当たりした。二人まとめて地面に転がる。炎の矢が、さっきまでレインの頭があった場所を貫いて、背後の地面に突き刺さり、爆ぜた。


「……魔法だと?」


レインが呆然と呟いた。


盗賊が、魔法を使えるはずがない。ならば——


ヴァルは、その答えをもう知っていた。


普通、盗賊は騎士との戦いを避ける。それでも奴らは詰所を襲い、レインに二十人も斬られた。それでも退かず、足りない数で教会を囲み続けた。


レインを殺せる算段が、あったからだ。


(最悪の推測が、当たった)


それが、この男だ。


「立て」


ヴァルが言った。レインが反応しない。肩を掴んで、もう一度言った。


「皆を守れ」


「——っ」


レインがはっとして、跳ね起きた。背後で、村人たちが悲鳴を上げて散っていく。


---


マントの男が、フードを取った。


「本当に、人間は低俗だな」


低く、嗄れた声だった。


「なぜこんな簡単なこともできない。たかが騎士一人殺して、子供をさらうだけだ。最初から私が出ていれば、とっくに終わっていた」


炎に照らされたその顔は——白目が黒く、瞳が赤い。額から、二本の角が伸びていた。


魔族だった。


「さっさと死ね」


再び、炎の矢。今度は数が多い。


レインが剣で弾き、かわす。ヴァルもかわす。だが、次から次へと飛んでくる矢を、神力のない体では捌ききれない。


一本が、ヴァルの脇腹を掠めた。


「——くっ」


焼けるような痛みに、膝が折れかけた。


「ヴァル様!」


セリアが駆け寄ってきた。


「……来るな、離れてろ」


それでも、セリアは来た。ヴァルの肩を支えようとする。


「離れろって言ってるだろ」


「嫌です」


---


レインは矢をかわしながら、距離を詰めた。


剣を振るう。魔族は腰の剣を抜いて、受けた。弾き返す。距離ができると、すかさず炎の矢を撃ってくる。


(……こいつ、戦い慣れている)


近づけば剣、離れれば魔法。しかも、こちらの足が鈍っていることに、もう気づいている。決して深追いしてこない。一定の距離を保ったまま、じわじわと削ってくる。


ガスと同じ戦い方だ。いや——ガスより、ずっと精密だった。


かわす。かわす。踏み込もうとした、その瞬間——炎の矢が、レインではなく、ヴァルとセリアへ飛んだ。


「——っ!」


レインが間に飛び込む。剣で矢を叩き落とした。


足元が、光った。


設置型の魔法陣。最初から、ここに誘い込むつもりだった。


爆発が、三人を呑み込んだ。


---


土煙が、晴れていく。


セリアは、動けなかった。体が、言うことを聞かない。耳鳴りがして、何も聞こえない。


ヴァルは、燃え落ちた教会の残骸のそばまで吹き飛ばされ、地面に伏していた。


レインは木の幹に叩きつけられ、動かなかった。その手の剣は、根元から折れていた。


魔族が、鼻で笑った。


「雑魚じゃないか。剣聖の加護も、大したことはない」


倒れたレインのもとへ、ゆっくりと歩いていく。急ぐ必要もないと言わんばかりに。


---


ヴァルは、地面に頬をつけたまま、目だけで状況を見ていた。


(……情けない)


神が、このざまだ。


アレスなら。オーディンなら。今この状況でも、何かを持っている。積み上げてきたものが、ある。


(俺には、何もない)


神力は、お告げで使い切った。残っているのは、この体だけだ。


思い返せば、今夜はずっとそうだった。


お告げで村人を教会へ集めた。だが、扉を開けておいてくれたのは村長だ。お告げを信じて駆けつけたのはレインだ。一時間を稼いだのはセリアだ。火を放ったのは、俺の言葉を信じた村人たちだ。ガスを斬り、像を押し倒したのも、全部。


結局、全部、他人の力だ。俺を信じて動いてくれた人間がいたから、ここまで来られた。


(だから、ここで詰まる)


魔族がレインのそばに立った。倒れたままのレインを見下ろし、意識がないのを確かめるように顔を覗き込む。それから、その首へと手を伸ばした。


ヴァルは立ち上がろうとした。


膝が、震える。腕が、体を支えない。地面に爪を立てる。指先に、力が入らない。


立てない。


(また、失うのか)


視界の端が、滲んだ。頭の芯が、遠くなっていく。


(——考えろ)


自分に叩きつけるように思った。


何もない俺だ。頭を使うしかなかった。ずっと、そうやって生きてきた。


考えろ。考えろ。考えろ。


何も、浮かばなかった。


魔族の手が、レインの首にかかった。


ヴァルは、目を閉じた。


---


——立て、ルディ。


どこか遠くで、声がした気がした。


——力がないなら、頭を使え。頭も尽きたなら——


懐かしい声だった。もう何百年も聞いていない、穏やかで、揺るがない声。


(……今さら、何だ)


空耳だ。この世界に、その名を知る者はいない。


そのはずだった。


声の続きは、聞こえなかった。


代わりに、小さな足音が聞こえた。


駆けてくる。土を蹴る、軽い足音。


ヴァルは、目を開けた。


ノアだった。


---


「……お前、なぜ逃げていない」


思わず、声が出た。


ノアがヴァルの前で膝をついた。息が荒い。村の外まで逃げていたはずだ。それでも、戻ってきた。


「わからない」


震える声だった。


「ただ——ここに戻らなかったら、ずっと後悔すると思った」


「……逃げろ。お前がいても、何もできない」


本心だった。この状況で、ノアにできることなど何もない。ここにいれば、死ぬだけだ。


ノアが、ヴァルの目を見た。


「嫌だ」


はっきりと、そう言った。


「あなたを、失いたくない」


声が震えていた。それでも、視線は逸れなかった。


「気持ちはわかった。だが、どうすることもできない」


「できる」


その目に、迷いはなかった。


---


川のほとりで、ヴァルに聞いたことがある。


「……じゃあ、もし本当に困ったら、助けてくれるの」


「一番大切なものをよこせ。そしたら助けてやる」


「……それって、なに」


「お前が決めることだ。俺が指定するもんじゃない」


あのとき、ノアは首元に触れていた。


触れていたくせに、わからないふりをした。


今なら、わかる。


---


魔族は、こちらに気づいていた。


だが、子供だとわかると、一瞥しただけで興味を失った。レインの首を掴み、片手で持ち上げる。


「まず、お前から死ね」


魔族の手のひらに、真っ黒な魔力が渦を巻きはじめた。


ノアは、首元に手を伸ばした。


細い鎖を引き出す。羽と剣のペンダントが、炎の光を受けて鈍く光った。


石壁の前で泣いていたあの日、首から下げていたもの。誰がくれたのかも、なぜ持っていたのかもわからない。それでも、十年間、毎日触ってきた。ところどころに小さな光沢ができるほど。


あの夜、赤ん坊を抱きしめて泣いていた母親たちの顔が浮かんだ。


親にとって、子供はかけがえのないものだ。あのときノアは、それを知った。


なら——このペンダントを子供の首にかけた誰かも、きっと。


どれほどの思いで、これを残したのか。


ノアは、鎖に指をかけた。


止まった。


ほんの一瞬。ただそれだけの間、止まった。


教会は燃えた。あの石壁も、もうない。親が戻ってくるかもしれない場所は、なくなった。


残っているのは、これだけだ。これを手放したら、もし本当の親に会えたとしても、自分がその子供だと証明するものは何もない。


本当に、一人になる。


(それでも)


ノアは、静かに鎖を外した。


両手で、ペンダントを差し出した。


「契約の神ヴァルディオス様」


声が、細く震えていた。


「私たちを、助けてください」


---


ヴァルは、動けなかった。


差し出された小さな手のひらを、ただ見ていた。


親がいない。手がかりを失えば、天涯孤独になる。それをわかっていて、なお差し出してきた。


打算ではない。計算でもない。


ただ、失いたくないと思ったから。それだけの理由で。


(こんな、ものを)


胸の奥で、何かが音を立てた。


神力がなかろうと。何もできなかろうと。


俺は、神だ。


対価を払った者を、見捨てる理由がない。


(……答えさせてくれ)


懇願するように、そう思った。


誰に向けてかは、わからなかった。ガイアか。運命か。あるいは、自分自身か。


ただ——この子の覚悟に、答えたかった。


---


ヴァルの手が、ノアの手を包み込んだ。


その瞬間——光が溢れた。


重なった手のあいだから、まばゆい白が滲み出す。温かく、静かで、それでいて圧倒的な何か。魔力ではない。


神力だった。


ペンダントに込められていた思いが——誰かが子を想って残した願いが、十年間、ノアが毎日握りしめてきた祈りが——光に変わっていく。


ノアは、悟った。


今ここで、生みの親との別れが完成する。


胸が、痛かった。


それでも、手を離さなかった。


ペンダントが光を吸い込んでいく。羽の意匠が輝き、形がほどけ、伸びていく。


---


魔族が、振り返った。


「何だ……?」


魔力ではない。魔術でもない。もっと根源的な——神域の気配。


「——待て。まさか」


レインを掴んでいない方の手を、ノアへ向けた。大量の魔力を一気に練り上げる。


「させるか——」


その瞬間、レインが動いた。


首を掴まれたまま、折れた剣の切っ先を、自分を掴む魔族の腕に突き立てた。


「——がぁっ!」


魔族が思わず手を離した。レインが地面に落ちる。練り上げていた魔法が、霧散した。


意識を失っていたのではなかった。ずっと、この一瞬を待っていた。


---


光が収まった。


ノアの手の中に、剣があった。


羽を模した鍔。白い光を纏う刀身。神力が形になった。奇跡が、形になった。


魔族が、一歩退いた。その目に、初めて警戒が宿った。


(——まずい)


本能が警告していた。だが、魔族は冷静に考えた。


あの距離だ。子供の足では、ここまで五秒はかかる。ならば、先に剣聖を始末してからでも間に合う——


魔族が、レインへと手を向けた。


その一瞬を、ノアは見ていた。


考えなかった。剣を握り、振りかぶり、そのまま投げた。


全力で。腕が千切れそうなほどの力で。


光を纏った剣が、回転しながら闇を裂いて飛ぶ。


魔族が身をよじる。間に合わない。


剣は、魔族の腕を肘から先ごと斬り飛ばした。


「——っ!」


魔族がよろめいた。驚愕と苦痛の入り混じった声が漏れた。それが、すぐに怒りへと変わった。


「小娘が——!」


ノアは、動じなかった。


その顔には、泣き出しそうな表情と、それを押し殺した覚悟が、両方あった。


残った腕で、魔族がノアへ炎の矢を向けた。


---


地を蹴る音がした。


魔族が気づいたときには、レインはもう跳んでいた。回転しながら落ちてくる白い剣を、空中で掴む。そのまま、踏み込む。


魔族が振り返る。遅い。


一閃。


剣から、光が溢れた。羽を模した白い光が、無数の羽根のように夜空に舞い散る。夜明け前の暗闇の中で、それはまるで——奇跡そのものだった。


刃は、魔族の胴を袈裟懸けに斬り裂いていた。


「——がっ」


魔族が膝をついた。自分の体を見下ろす。信じられない、という顔で。


「……人間、風情が……」


そのまま、前のめりに倒れた。


動かなくなった。


---


静寂が、戻ってきた。


レインが、剣を杖にして立っていた。全身から汗が滴り落ちる。息が荒い。足が、ひどく震えていた。


それでも——立っていた。


ノアに向けられていた炎の矢は、主を失って、ふっと消えた。


教会の残骸だけが、静かに燃え続けていた。


ヴァルは、そこまで見届けて——ゆっくりと、目を閉じた。


悪くない、と思った。


---


頬に、温かいものが落ちてきた。


目を開けると、セリアの顔があった。ぐしゃぐしゃに泣いていた。


「ヴァル様……!」


「……重い」


「重くないです!」


セリアがしがみついてくる。ヴァルは、ゆっくりと体を起こした。体中が痛い。


空が、白みはじめていた。


村人たちが、疲れ果てた顔で座り込んでいた。レインは木にもたれて目を閉じている。今度こそ、本当に眠っているようだった。


ノアは——少し離れたところに、一人で立っていた。


ヴァルが、そちらを見た。ノアが気づいて、振り返った。


目が合った。


ヴァルは、少しだけ笑った。


「……できたじゃないか」


ノアが、首を傾げた。


「何が?」


「お前が、俺に対価を払った」


ノアが、はっとした顔をした。


「それって——」


「立派な信者だ」


ヴァルは言った。


「ありがとな」


ノアは、何も言えなかった。


ただ、涙が溢れた。悲しいのか嬉しいのか、自分でもわからなかった。


東の山の端から、光が差してきた。


朝日が、焼け跡を、座り込む村人たちを、泣いているノアを、順に照らしていく。


——夜は、必ず明ける。


あの礼拝堂で、この人はそう言った。


本当に、明けた。


---


陽が昇りきる頃には、教会の炎は消えていた。


残ったのは、黒く焼けた骨組みだけだった。


村長が、改めてヴァルのもとへ来た。


「ヴァル様。このご恩は——」


「礼はいらない。契約だ」


ヴァルは、ノアの方へ顎をしゃくった。


「対価は、もうもらった」


村長は、ノアを見た。それから、何かを察したように、目を伏せた。


「ただし——」


「はい」


「次は、お前らだけでやれ」


村長が、目を見開いた。


「俺がいつもいるわけじゃない。次は、自分たちで何とかしろ。そのための力をつけろ」


村長は、しばらくヴァルを見つめていた。それから、深く頭を下げた。


「……肝に銘じます」


---


ヴァルは、ノアのもとへ歩いていった。


ノアが、顔を上げた。


「……私、親の手がかり、なくしちゃった」


「そうだな」


「もう、本当の親には会えないかもしれない」


「かもしれない」


ヴァルは否定しなかった。


「でも、それでいいんだろ」


「え……?」


「お前が選んだんだ。後悔するな」


ノアが、少しだけ笑った。


「……うん」


それから、ノアは聞いた。


「ねえ。契約の神様って——本当に、対価がないと動かないの?」


ヴァルは、少し黙った。


「そうだ」


「じゃあ——」


ノアが言いかけた瞬間、ヴァルは背を向けた。


「帰るぞ、セリア」


「は、はい!」


セリアが慌てて立ち上がる。


ヴァルは、振り返らずに歩き出した。


ノアは、その背中を見ていた。


鍵のこと。赤ん坊のこと。燃える礼拝堂で、最後まで誰より冷静だったこと。対価をもらう前から、この人はずっと動いていた。


(……嘘つき)


そう思った。


でも、なぜか——嬉しかった。


---


## 数日後——王都


レインからの報告は、女神教上層部に大きな波紋を呼んでいた。


魔王領から遠く離れた辺境の村に、魔族が現れた。


事実なら、人類にとって看過できない脅威だった。民に知れれば、動揺が広がるのは必至だ。


教皇サルゴンは箝口令を敷き、枢機卿アリアに現地確認を命じた。


辺境の村まで、枢機卿が自ら赴く。異例のことだった。


確認事項は、二つ。


魔族出現の真偽。そして、剣聖レインの生死。


---


## 天界


創造神ガイアの執務室は、天界の中でもごく限られた者しか立ち入れない領域にあった。


ミカエルは、その机の前に立っていた。


ガイアは手元の書類に目を落としたまま、顔も上げなかった。


「例の世界は、ヴァルディオス様にお任せしております。どうにか、やっておられるようです」


「そう。Bランクぐらいの世界なら、問題ないんじゃないかしら」


「先日ご報告した通り、何柱もの神が失敗しておりますので、今はSに上がっております」


「そうでしたわね」


ガイアは書類をめくった。


「あの方なら、成し遂げてくださいます。私との約束もありますので」


「そう。自称・契約の神でしたものね」


それから、ほんの少しだけ視線を上げた。


「成功しても失敗しても、私には関係ないけれど」


ミカエルの表情が、わずかに曇った。


「……はい」


「責任は、あなたが取るんでしょう?」


「承知しております」


ガイアは、また書類に目を戻した。


扉が叩かれた。


「失礼いたします」


若い天使が、一礼して入ってきた。手に、報告書を抱えている。


「邪神捜索隊、第七隊が帰還いたしました。隊長オルレアの指揮のもと、隊員全員無事。邪神の痕跡は、確認できず。以上です」


「そう」


ガイアは、それだけ言った。報告書を受け取りもしなかった。


天使が下がっていく。


ミカエルは、閉じた扉を見ていた。


「……全員無事、ですか。さすがは首席ですね」


ガイアは答えなかった。


しばらく、ペンの走る音だけが続いた。


それから、ガイアがぽつりと言った。


「ルディは昔から、損な役回りばかり引き受けるのよね」


ミカエルは、何も言えなかった。


「まあ、頑張りなさい」


それ以上、ガイアは何も言わなかった。


ミカエルは、深く頭を下げた。


---


*第十二話 終*


*第一巻「契約の神、降臨する」 完*

第1章、最後までお読みいただきありがとうございました!

ヴァル、セリア、ノア、セト、レインの物語はまだまだ続きます。


明日からは第2章が始まります。

ここまで楽しんでいただけたら、ブックマークや下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると、とても励みになります。


次話「アノとアーサー」は明日10/27の19:10に投稿します。

15話以降は、毎週水曜・土曜の19:10に更新します。

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