第十一話「罰当たり」
村長の一声で、礼拝堂が動き出した。
誰も、口をきかなかった。男たちが、黙って長椅子を引きずっていく。女たちが、子供の手を引いて女神像の裏へ向かう。燭台が、一本、また一本と集められていく。
セリアは、その中で一度だけヴァルを振り返った。
ヴァルは、扉を見ていた。
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その頃、教会の外では。
「あーだりぃ」
ガスが盗賊の一人に言った。
「お前、誰も逃げないように見張っとけ」
部下を残して、ガスは不機嫌に教会から離れていった。
教会の前には、簡易的な拠点が築かれていた。
強欲な男だった。欲しいものは、人から奪った方が早い。だから、黒いマントの男が持ち込んだ仕事も、二つ返事で受けた。
前金だけで、豪邸が一つ買える額だった。仕事は二つ。村の子供を、全員生きたまま引き渡すこと。そして、駐屯騎士レインを殺すこと。
割のいい仕事のはずだった。
蓋を開けてみたら——被害は大きかった。
四十人ほどで来た盗賊団が、もう十三人になっていた。
ガスは、今晩のことを振り返った。
詰所に二十人で押し入ったが、全員やられた。レインは化け物だ。もう何人かさらった子供だけで撤退を考えた。
しかし、依頼人のマントの男が、それを良しとしなかった。
ガスがマントの男に言った。
「この人数で人をさらっても管理できねぇだろうが。それに教会には、かなりの人数がいる。こっちが殺されるだろうが」
マントの男は言った。
「子供が足りない。少なすぎる。レインの死体もない。教会を攻めろ」
ガスも、明らかに子供の数が少ないことは気づいていた。まるで、誰かが子供だけは助けていたかのようだ。
だが、現状もう十八人しかいないなら撤退だ。前金を分ければお釣りが来る。それに、こいつを今殺して、さらった奴らを別の奴らに売れば、こいつの金と売上金の両方が手に入る。そう考えていた。
ガスの横の盗賊が、マントの男に怒鳴った。
「てめぇ、自分では何もしてねぇくせに調子乗んな!」
胸ぐらを掴んだ。
マントの男が、低い声で言った。
「手を離せ。穢れる」
頭に来た盗賊が、手を振りかぶった。
他の仲間二人も近くに寄って、剣を抜いた。
ガスは(いい流れだ)と思い、戦闘に巻き込まれないように数歩下がった。
その瞬間——
マントの男の足の下に、魔法陣が展開された。
そして、男を囲んでいた盗賊たちは、一瞬で燃えた。
魔法だ。しかも、かなり上位だ。無詠唱だった。
それを見た盗賊は、二人ほど走って逃げた。
マントの男は手をかざし、魔法陣を展開し、炎の矢で貫いた。
一瞬にして、五人もやられた。
ガスは、動けなかった。
マントの男が言った。
「何度も言わせるな。早く行け」
マントの男は、ガスを完全に見下していた。ゴミを見ているようだった。
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そんなことを思い出していた。
ガスは機嫌が悪く、教会前の拠点にいた。
盗賊の仲間が聞いた。
「お頭、どうするんですか?」
「うるせぇよ」
ガスが吐き捨てた。
「こんなの、待つしかないだろう。こっちは数は少ないんだ。押し入っても勝てる保証はない。それに、レインだって中にいる可能性が高い」
ガスは続けた。
「ここ数日見てたが、あいつは村人を捨てて逃げる玉じゃない。となると、やつらが出てくるのを待つしかない。それに、扉の前に油まで撒いて、火をつけると脅したんだ——精神的に不安になるのはあっちだ」
ガスは鼻で笑った。
「まー、本当に火はつけないがな。そんなことしたら、俺らが殺される」
食料もなさそうだし、そのうち出てくるだろう。それに、ここからあの女との楽しみもある。
マントの男も、教会に向かうよう言っただけだし、約束は守っている。
それにしても、まさか魔道士だとは。教会も一枚岩ではないんだな。
「気長に待とうぜ」
盗賊の仲間に言って、盗んだパンを口にした。
結構うまいな。
二口目をかじろうとして——ガスは、手を止めた。
鼻の奥に、何かが引っかかった。
焦げた匂いだ。
焚き火じゃない。もっと重い。木と、油が焼ける匂い。
「……おい」
ガスが顔を上げるのと、部下が血相を変えて走ってくるのは、ほぼ同時だった。
「お頭! お頭、大変です!」
「どうした、逃げたか?」
心の中で思う。ぶっちゃけ、それならそれで助かる。どうせ俺らが周りを囲っても、何人かには逃げられる。そして、子供は足が遅いし、捕まえやすい。
だが、部下は首を振った。息が上がって、言葉が出てこない。震える指で、教会のほうを指した。
「ひ、火が……!」
「あ?」
「火がつきました!」
ガスは、パンを放り捨てて立ち上がった。
「お前ら、勝手にやったのか!」
「そんなことしません! 誰も、誰も近づいてません!」
嘘を言っている顔じゃなかった。
なら——誰が。
ガスは走った。
家の角を曲がる。教会が見えた。
屋根の上に、黒い煙が立ちのぼっていた。
窓の奥が、赤い。ちらちらと揺れている。
走るうちに、煙は太くなった。窓の向こうの赤が、見る間に広がっていく。
パンッ、と乾いた音がした。熱に耐えきれず、窓のガラスが弾けた。そこから炎が舌を出し、外壁を舐め上げた。
教会のまわりを固めていた部下たちが、呆然と立ち尽くしている。
「お頭、扉は閉まったままです! 誰も出てきてません!」
ガスは扉を見た。
閉ざされたままだ。扉の前に撒いた油は、黒く濡れたまま。火の気ひとつない。
——燃えているのは、中だ。
背筋が冷えた。
外から火をつけた者はいない。中の人間は、誰も出てきていない。
つまり。
中の連中が、自分で火をつけたのだ。
「……正気か、あいつら」
声が、かすれた。
耳を澄ます。ごうごうと唸る炎の音。木の爆ぜる音。
それだけだった。
悲鳴が、聞こえない。
子供の泣き声も、女の叫び声も、助けを呼ぶ声も、何ひとつ。
四十人近くが、あの中にいるはずなのに。
(……まさか)
扉越しに聞いた、あの甘ったるい女の声が、耳によみがえった。一時間ください——あれは、何のための一時間だった。
捕まるくらいなら、全員で——
そこまで考えて、ガスはぞっとした。
商品が、燃えている。
四十人分の商品が、全部、灰になる。
そうなったら、マントの男に何と言う。あのゴミを見るような目が、今度は何をする。
ガスの喉が、ごくりと鳴った。
教会は、赤く燃えていた。
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教会の中では。
火は、思ったより早く回った。
梁を舐める炎。天井から降る火の粉。石の壁に囲まれた礼拝堂に、煙が少しずつ溜まっていく。
ヴァル、レイン、それに戦える男たち十人ほどが、燃える礼拝堂の物陰に身を潜めていた。
残りの村人は、女神像の裏に入口がある地下のクリプトに避難している。老神官は最後まで「女神様の家を焼くなど」と抵抗し、男たちに抱えられるようにして、地下へ降りていった。
盗賊団に正攻法で勝つには、心もとない。だから教会に火をつけた。これが最善だった。
ヴァルにとっても、賭けだった。
盗賊団は、人をさらうことに固執している。油まで撒いて「焼き払う」と脅しながら、奴らはまだ火をつけていなかった。本当に焼き殺すつもりなら、とっくにやっている。あれは、脅しだ。商品を焼き殺すような真似は、奴らにはできない。
なら、燃える教会を見れば、中の人間を助けに飛び込んでくる。
そこを、奇襲する。
——だが、これは憶測だ。
もし、奴らが入ってこなかったら。燃え落ちていく教会を、外から眺めているだけだったら。
そのときは、ここにいる全員が焼け死ぬ。
ヴァルは、それを誰にも言わなかった。
煙が目に染みる。誰かが咳き込んで、慌てて口を押さえた。頭上で、梁がみしりと鳴った。
まだか。
熱が、肌を焼く。手には汗がまとわりつく。熱のせいなのか、焦りなのか、もうわからない。
隣で、レインが剣を握り直した。その指が、かすかに震えていた。
ヴァルは扉から目を離さなかった。
まだか。
まだか——。
扉の向こうで、怒鳴り声がした。いくつもの足音が、駆けてくる。
それが、扉の前で止まった。
ヴァルは、賭けに勝った。
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教会のドアが、外側からぶち開けられた。
煙を掻き分けて、盗賊たちがなだれ込んでくる。口元を布で覆い、目を細め、礼拝堂の奥を探している。
一人、二人……五人。
まだだ。
六人、七人——
八人目が敷居を越えた瞬間、レインが飛び出した。
一瞬で、三人を斬る。
それに反応した盗賊が二人、襲いかかる。レインが受け止める。しかし、もう一人が背後に回り込み、斬りかかる。
待っていたかのように、村人三人が抑え込んだ。
また別の三人も、一人の盗賊に襲いかかる。
その間に、レインが一人を斬り、抑えられた二人を斬る。
中に入ってきた盗賊は、全員倒れた。
完璧な奇襲だった。
こちらには人数を把握されていない、というのが最大の利点だった。
「まだ出るな」
ヴァルが低い声で言った。
「盗賊はまだいる」
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ガスと、残りの盗賊四人が入ってきた。
仲間の死体を、ガスは一瞥しただけだった。足を止めもしない。煙の中で目を細め、礼拝堂を一度だけ見渡す。それだけで、物陰の位置と、そこに潜む人数のおおよそを測ったようだった。
「あー、何なんだよテメーらは」
ガスが吐き捨てた。
「もっと楽な仕事だったのによ。こんなつえーとは聞いてねぇんだよ」
ヴァルは、物陰からその男を見ていた。
(……こいつは、違う)
さっきの八人とは、立ち方が違った。重心が低い。剣を抜く前から、いつでも踏み込める位置に足を置いている。四十人の荒くれを束ねてきたのは、口先ではない。腕だ。
レインが前に出た。
「皆さん、下がってください。あとは俺に任せてください」
ガスが、レインを上から下まで眺めた。
血の染みた騎士服。引きずっている右足。剣を握る左手に、わずかに力が入りきっていないこと。
ガスの口の端が、吊り上がった。
「……こいつだけでも殺すぞ。全員で囲め」
レインを囲むように、四人の盗賊が散った。ガスは、輪の外に残った。
レインは動じなかった。
一、二、三、四。そして、輪の外に一人。
五人。
数える。少し笑った。約束通りだな、と思った。
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一斉に、四人が襲いかかった。
頭上で、炎が唸っていた。煙が目を焼く。どこかで梁が軋む音がした。
足が限界に近いのはわかっていた。肩の傷も、腕も、もう普通なら剣を握れない状態だ。
でも、剣だけは——違った。
体が言うことを聞かなくても、剣だけが冴えていた。まるで剣に引っ張られるように、体が動いた。斬る角度が、止まる間合いが、全部自然に出てくる。
一人目。正面から来た剣を、受けずに流した。体勢を崩した相手の手首を返し、そのまま斬り上げる。
その瞬間、左肩に、焼けるような痛みが走った。
ナイフだった。
輪の外から、ガスが投げていた。レインが一人目を斬る、その一瞬——剣を振り切って、一番無防備になる瞬間を、正確に狙って。
(……こいつ、待ってたのか)
歯を食いしばった。足は止めなかった。
二人目。一人目が倒れきる前に、もう踏み込んでいた。
三人目。背後から来ていた。足音で軌道を読み、振り返らずに、斬った。
四人目。膝が落ちかけたのを、そのまま沈み込む動きに変えて、下から。
四人が、床に倒れた。
倒れる間際に振るわれた刃が、レインの右足を裂いていた。膝が、がくりと落ちる。
上から、火の粉が降ってきた。柱の一本が、音を立てて傾いた。
剣聖の加護——そういうものがあるとしたら、今がそれだと、レインは思った。自分の力ではない何かが、剣を動かしている。
だが、その剣を動かす体が、もう追いつかなかった。
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ガスが、ゆっくりと輪の中に入ってきた。
仲間の死体を、踏み越えながら。
「よくやったよ、お前ら」
笑っていた。
「俺のために。あー、もう聞こえないか」
ガスが、腰の剣を抜いた。
幅の広い、分厚い刃だった。斬るというより、叩き割るための剣。それを、片手で軽々と構えている。
レインは、肩に刺さったナイフを引き抜いた。血が噴いた。構わず、剣を両手で握り直す。
「……卑怯だな」
「戦場で、卑怯もクソもあるかよ」
ガスが踏み込んだ。
速い。
あの体格からは、想像もできない速さだった。真上から、叩きつけるような一撃が来る。
レインは受けた。
重い。
腕が痺れた。足が、床を滑った。受けきれない。刃が、じりじりと押し込まれてくる。
「その足」
ガスが、刃越しに笑った。
「もう、踏ん張れねえだろ」
次の瞬間、ガスの膝が、レインの右足——裂かれたばかりの傷を、正確に蹴り抜いた。
「——っ、ぁ……!」
声にならない声が漏れた。視界が白く弾けた。
崩れたところへ、二撃目。横薙ぎ。かろうじて剣で受けた。受けたはずなのに、体ごと吹き飛ばされた。
床を転がる。燃える長椅子の残骸に、肩から突っ込んだ。火の粉が舞い上がる。熱い。息ができない。
立ち上がる。
三撃目が、もう目の前にあった。
受ける。弾く。いや、弾ききれない。剣が、手の中で悲鳴を上げた。押される。押される。一歩、また一歩と、後ろへ下がらされていく。
ガスは、急がなかった。
大振りはしない。レインが反撃に出られる隙を、一つも作らない。ただ、一撃ごとに確実に、レインの足を、腕を、体力を削っていく。獲物が自分から倒れるのを、待っている戦い方だった。
(……強い)
レインは、認めざるを得なかった。
万全なら、負けない。だが今の自分では、この男の剣を、もう受けきれない。
物陰で、ヴァルはその攻防を見ていた。
レインが下がる。また下がる。煙の向こう、礼拝堂の奥へ。
その先にあるものを、ヴァルは見ていた。
(……あと、少し)
四撃目。
レインの剣が、弾き飛ばされかけた。かろうじて握り直した、その腹に、ガスの蹴りが入った。
体が、浮いた。
背中から、何か硬いものに叩きつけられた。
石の感触だった。
女神像だった。
息が詰まった。肺の中の空気が、全部押し出された。ずるずると、像の台座にもたれて、崩れ落ちる。
天井の一部が、音を立てて落ちた。火の粉が舞い上がった。熱かった。
もう、限界だった。
実際、よくやったと思う。今日だけで二十人以上倒した。教会に来た者も、これなら助かる。
「ちっ、さんざん手こずらせやがって」
ガスが近づいてきた。肩で息をしていた。それでも、剣先は少しもぶれていない。レインの喉元に、ぴたりと向けられていた。
「まー、でもこれで金は独り占めだ。お前も災難だな。こんなとこで死ぬなんて」
ガスが、剣を振りかぶった。
「生きてたら英雄だったのにな」
英雄か。
レインは思った。
昔、憧れたな。
そうなりたくて騎士になった。女神教自体には興味はなかった。
だが、皮肉にも女神像の下で死ぬなんてな。結局、最後まで助けてはくれなかったな。
背後の女神像の影を見て思った。
もう、顔を上げる気力もなかった。
燃える天井が、視界の端に映っていた。梁がまた一本、軋んだ。
床に映る影が、ゆっくりと傾いていた。
ガスが、剣を振り下ろす。
「蹴り飛ばせ!」
ヴァルの声が、炎を裂いた。
考えるより先に、体が動いた。最後に残った力の全部を、足に込める。ガスの腹を、蹴り上げた。
たいしたダメージにはならなかった。それでも、振り下ろしかけた剣の勢いごと、ガスが数歩、後ろへよろめいた。
「だりぃな——」
ガスが、舌打ちをした。
その言葉が、一瞬で悲鳴に変わった。
頭上から、影が落ちてきた。
両手を広げ、穏やかに微笑んだまま——女神像が、ガスに向かって倒れた。
石が床を砕く音と、野太い悲鳴とともに——勝負の決着がついた。
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レインが振り返った。
「……罰当たりめ」
女神像が消えた場所に、村人たちと——自称神が立っていた。
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*次話「最悪の推測」に続く*
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次話は明日の19:10に投稿します。




