25話 勝利の余韻
白龍が去った後の空間には、もはや『白の間』としての原型は留めていなかった。
「……う……っ」
瓦礫の隙間に膝を突いた私の身体が、頼りなげに揺れる。
魔力を根こそぎ使い果たし、精神も肉体も限界を超えていた。
意識が混濁し、崩れ落ちそうになった私の肩を、熱い体温が力強く支えた。
「エル!」
ジークは私の身体を、優しく腕の中で抱きとめる。
返り血と埃に汚れ、呼吸を乱しながらも、彼の黄金の瞳には確かな光が戻っていた。
「ジーク……終わった……のかしら……」
私は疲れでかすれた声で問いかけ、ジークの胸板に体を預けた。
服越しに伝わってくる、早鐘のような鼓動。
それが、彼が今ここに存在している何よりの証拠だった。
「ああ、終わったよ。……無事で良かった。本当に、無事で……」
ジークの大きな手が私の背に回され、抱きしめる力が強くなる。
彼の声は、これまでのどんな戦場でも見せたことがないほどに震えていた。
「エル、あんな無茶はもうしないでくれ。君が白龍に立ち向かったとき、心臓が止まるかと思った。……もしあのまま君が消えていたら、俺は……」
その先の言葉を、ジークは紡げなかった。
ジークの怯えを感じ取り、私は弱々しく笑い、彼の首筋に腕を回した。
「ふふ、ごめん。……でも、もしまた同じことがおきたら、私はまだ同じことをすると思うわ」
「おい……」
「だって、そうでしょ? あなたの無茶は、私が止めなきゃ」
呆れたように、けれど万感の思いを込めて、ジークは深く溜め息を吐いた。
「……ったく。君にはもう勝てそうにないな。君は、本当に……最高に強い女だ。……愛してるよ、エル」
「私も……世界で一番愛してるわ、ジーク」
二人の間に、穏やかな時間が流れる。
瓦礫に囲まれた廃墟の中で、そこだけが陽だまりのように温かかった。
「兄さん!!」
その平穏を破ったのは、快活な叫び声だった。
赤い髪を振り乱し、大剣を肩に担いだイグニスが、瓦礫の山を文字通り飛び越えて現れる。
その後ろからは、乱れた衣服を整えつつも、どこか安堵した表情を浮かべたオーウェン殿下が続いていた。
「ジーク! エルレイン公爵令嬢……二人とも無事か!」
「オーウェン殿下……。ええ、何とか無事のようです……。ただ、申し訳ありません。大切な場所を、こんな風に壊してしまって……」
「建物などいくらでも再建できる。それより、お前達が無事でいてくれたことの方が、龍帝国にとっては……いや、私個人にとって、何物にも代えがたい。今すぐに治療できる場所を整えよう」
「ああ、悪いな兄上。助かるよ」
ジークは私を横抱きにしたまま立ち上がった。
その時、ふとイグニスが不思議そうに周囲を見渡し、顎に手を当てて首を傾げた。
「……あれ。そういえばさ、さっき普通に赤龍呼べたけど、何でだろ? ここって、皇族であっても龍は呼べないはずだよね?」
「白の間は、かつて白龍が最初に降臨した場所と言い伝えられている。龍と断絶する結界も、白龍由来のものだったのだろう」
オーウェン殿下が、崩れた祭壇の台座を見つめながら推測を述べる。
「白龍が再臨し、その圧倒的な力があふれ出したことで、その場を維持していた古い結界そのものが上書きされ、消滅したのかもしれないな」
「白龍の結界だから、白龍本人が出てきたら関係なくぶち破れたってわけか。……俺の契約龍が、とんだ迷惑をかけたな」
ジークが苦笑いしながら肩をすくめる。
弟の謝罪を受け、オーウェン殿下は再び表情を曇らせ、深く頭を下げた。
「いや、違う。私の浅慮な行動が、お前たちを死の淵まで追い詰め、この事態を招いたのだ。深く謝罪する、ジーク、エルレイン公爵令嬢」
「兄上、もういいよ。終わったことだ。……今まで龍帝国を守ってくれて……ありがとう」
ジークの感謝の言葉に、オーウェン殿下は目元を僅かに潤ませた。
そんなしんみりした空気を耐えかねたのか、イグニスが二人の間に割って入る。
「まあいいじゃん、全部丸く収まったんだからさ! にしてもお義姉さん、すっごい強いね! あの白龍をあんな風に殴っちゃうなんて! 俺、やっぱり今度お義姉さんと手合わせしたいなあ!」
目を輝かせて私に詰め寄るイグニス。
その脳天気な戦闘狂ぶりに、オーウェン殿下の額に青筋が浮かんだ。
「イグニス! 病み上がりの女性に対して何を言っている! 身内に無茶な挑み方をしたら、私自身が青龍とともに全力でお前を叩き伏せるぞ!」
「え! 兄さん、青龍とマジで戦ってくれるの!? やった、望むところだよ!」
「……そこで喜ぶんじゃない。お前という奴は……」
オーウェン殿下は深く息を吐き、こめかみを押さえた。
帝国の未来を担う第一皇子も、この弟達を相手にすると、威厳を保つのも一苦労のようだった。
その様子を眺めていたジークが、可笑しそうに口角を上げる。
「イグニスにも世話になったからな。色々落ち着いたら、今度俺が手合わせしてやるよ。……もちろん、あんなヤバい白龍は抜きで、純粋な剣術の相手としてな」
「ほんと!? ジーク兄さんとガチでやれるなんて、最高だ!」
少年のように無邪気に喜ぶイグニスの声が、瓦礫の山に響き渡る。
その喧騒は、少し前まで世界を滅ぼそうとしていた絶望の音とは正反対の、あまりにも日常的で、賑やかな家族の音だった。
(ああ……やっと、平穏が戻ってきたんだわ)
ジークの腕の中で、私は心地よい眠気に身を任せていた。
聞こえてくるのは、愛する人の心音と、大切な人たちの笑い声。
張り詰めていた緊張の糸が、温かな幸福感とともに緩んでいく。
私は、世界で一番安心できるその場所で、疲れ切った心身を癒やすように、静かに、深く目を閉じた。





