2話 閉じられた部屋での口付け
扉が閉まり、鍵が回る無機質な音が静まり返った室内に響いた。
「……ジーク、待って。話し合いましょう。少し頭が冷えるまで――」
「嫌だね」
振り向きざま、ジークの手が私の肩を掴んだ。
抗う間もなく、視界が大きく揺れる。
「逃がさないと言っただろう、エル。君がこのきっかけを作ったんだ。……君のすべてを奪ってやる」
「離して、ジーク……いつものあなたじゃないみたい……冷静になって!」
私が怯えたように瞳を震わすと、ジークの黄金色の双眸が、ほんの一瞬だけ、かすかに揺らいだ。
だが次の瞬間、彼はその手を緩めるどころか、むしろ引き寄せるように顔を近づける。
「……そうだな。俺も今の自分が自分じゃないみたいだ。君が他の男に触れられる想像をしただけで、その男も、エルを差し出そうとするこの国も、全部切り刻んでやりたい衝動に駆られてる」
「ジーク……っ」
「エル、九百九十九回戦って、君の癖も、弱点も、誰よりも俺が知っている。……なのに、どうして知らない男の所有物になるなんて言えるんだ?」
ジークの声は低く、酷く濡れた色を帯びていた。
彼はそのまま、私のあごを強引に上向かせる。
「俺だけを見てろ。俺だけを考えて、俺の名前だけを呼べ。……王太子なんて、二度と思い出せなくしてやる」
「ジーク……うんっ!?」
言い終わるより早く、熱い唇が降ってきた。
私の必死の抵抗を無視するように、腰を強く引き寄せて。
「やめ……ジー、ク……!」
「……今ここで離したら、エルはどこかに言ってしまう。そうするくらいなら、今ここで全てを奪い取ってやる」
彼の瞳には嘘などどこにもなく、そこには痛切なほどの想いが宿っている。
だからこそ、彼がこんなことする本心を聞きたかった。
「……ジーク。教えて、……私のこと、本当はどう思っているの?」
かすれた声で、私は問いかけた。
ジークはそっと視線を落とし、私の頬を愛おしげに指先でなぞった。
「伝わってなかったのかよ。……好きだ、愛してるよ、エル。初めて会ったあの時から、俺の心の中にいるのは……君だけだった」
鼓膜の底まで響く愛の言葉。
ジークは静かに私の髪をすくい上げ、熱い唇を落とした。
「ジーク……」
「……君はどうなんだ、エル。……言ってくれ。俺を、どう思ってる?」
誤魔化しや逃げ場を与えない光が、その瞳の奥で凪いでいた。
何を言っても結果は変わらないと言うように。
「……私は……」
「まあ、『はい』でも『いいえ』でも、もう離してやるつもりはないけどな」
傲慢で、けれど微かに揺れる声音に、私の胸が締め付けられる。
私はゆっくりと視線を伏せ、ジークの胸元に顔を寄せた。
「……私もジークが好き……。ずっと好きだった……。あなたのその……誰にも屈しない強さも、不器用な優しさも……全部、好き……」
「……なんだ、両思いだったのか……。なら、余計に離さない」
ジークの腕が、強く私を引き寄せた。
私の体温を確かめるように、何度も抱きしめ直す。
「エル……俺と結婚しよう。君を絶対に、世界一幸せにする」
「……っ、嬉しいわ。……でも、無理よ。ジーク……無理なのよ」
涙があふれ、ジークの胸を濡らす。
「それは、王太子殿下との婚約のことがあるからか?」
「王命に逆らうことはできないわ。ベルシュタイン家の娘として、王家への不忠は許されないわ……」
「関係ないね。国も、王太子も。俺からエルを奪えるものは、この世に何もない」
「ジーク……っ! 王家に逆らえば、あなただってただじゃ済まないわ! 国家反逆罪になれば、その首が飛ぶかもしれないのよ!? 私のために、あなたが死ぬなんて……そんなの嫌よ!」
ジークは私の額に唇を落とし、取り乱す私をなだめるように、ふっと笑った。
「何があっても、俺がそばにいる。全部ねじ伏せてやるから、エルは何も心配しなくていい」
「ジーク……!」
「君の横に立つために、俺は強くなった。……エル、聞くのはひとつだけだ。俺と、結婚してくれるか?」
不敵で、力強い言葉が、胸の奥まで真っ直ぐに届いた。
私は潤んだ瞳で彼を見つめ、震える唇を開いた。
「……あなたの隣にいられたら、きっと幸せだわ。でも、もう時間がないの。次の晩餐会で、正式に婚約が……」
「心配するな。全部片付けて、必ず迎えに行く。……それまで、俺を信じてくれるか?」
ジークの黄金色の瞳が、悲しみに震える私を包み込むように輝いた。
彼の想いを感じながら、そのたくましい首に腕を回した。
「その言葉だけで十分よ。ありがとう、ジーク……。私はあなたのその心と、言葉だけを糧に、生きていくから。お願いだから、危険なことはしないで……」
「危険なことなんてないよ。世界中を敵に回してでも、エルを迎えに行く」
「だから、ジーク……ん!」
私の言葉をさえぎるように、ジークは強引に唇を重ねる。
言葉より雄弁な、それが彼の答えだった。





