2.出た!(世界の終わりまであと30日/その2)
☆
──その電話が来たのは、人使いの荒い上司から仰せつかった仕事をヤケクソ半分でやっつけていた午前9時だった。
始発電車で出社して早4時間近く。
昨日も終電だったし気分はもう徹夜。それも二日連続。
あやうく仕事用の白衣を着たまま電車に駆け込むところだった。
良くも悪くも、そんなとんでもないテンションだったところに、その電話はかかってきた。
「はいはいわたしですが! いえ今はあんまり大丈夫ではなくて──は?」
業務用エアコンをガンガンかけている室内で、体が一瞬で凍り付くのがわかった。
「死んだ……? って、トシヤが?」
冷や水どころか液体ヘリウム(およそマイナス269℃)でもぶっかけられた気分だった(創薬研究部の核磁気共鳴装置じゃあるまいし)。
「ちょ、お義母さんちょっと待ってくだ……ぎゃわん!」
椅子から立ち上がりかけて机の下に思いっきり太ももを打ちつけた激痛もその拍子にこの日すでに3杯目のカップコーヒーが倒れて黒々した液体がマル秘扱いの研究報告書を侵襲するのも無視、ただ目についたスマホだけを手に席を離れる。
「あれ優樹南ちゃん? 今なんかすごーい音したけど──って、どこ行くのお?」
「だから気安く名前で呼ばないでください部長! ちょっと人が死んだので早退します!」
ぼっちゃん顔のぽっちゃり上司にざくっと一礼。
そのままパーテーションで仕切られた迷路のようなオフィスを突っ切ってゆく。
「早退って、次の薬理研究発表用の論文は……え? 死んだ? 誰? 親御さん?」
「ありがたいことに健在です両方とも! ついでに弟も! 違います知り合いです!」
「知り合いって、だから誰!?」
ガラスドアの横のパネルに首から下げた社員証をかざしてロックを解除。
オフィスを出る直前にさっと振り返って、
「だから幼なじみの元ダンナです! では!」
☆
──そして現在。
『大事なことだからもう一度言うぞ。今のぼくは魔導世界ガルドアースを支配する魔王皇帝、トーヤ=メレゲ・マギナスだ!』
わたしはあいつのアパートで、そう主張する魔王姿のあいつと「対面」していた。
「とうや・メレンゲ・秋茄子?」
『なんかすっごいまずそう! ──じゃなくって! 待ったまった、待って! どこへ行くの!』
「……仕事」
わたしは、玄関前でくるりと部屋に背を向けて。
「戻らなきゃ──途中でほったらかして、すっとんできちゃったから」
場違いな白衣のポケットにつっこんだ手で、中のスマホをぎゅっと握りしめる。
「次の創薬候補を決める重要なプレゼンがあるの。なんちゃらとかいうゲームなんかに付き合ってるヒマなんかない」
『「ガルドアース・ウォーテイル」だって』
「名前なんてどうでもいい」
あなたを「死なせた」ゲームの名前なんて。
でも、
でももう一度。
もう一度だけ、後ろを振り返って。
あらゆる意味で見違えてしまったかつての「大切な人」を、それでも目に焼き付けながら。
「本気で死ぬほど忙しかったあんたほどじゃないけどね、こっちも本当に忙しいの」
勢いついでに言ってやる。
「仕事の後はお葬式もあるしね──あなたの」
『ぼくの……葬式』
魔王姿の青年が、ホコリひとつないシーリングライトを見上げるように顔を上げた。
ため息ひとつ。
『はは……それはでも、さすがにちょっと、きついなあ』
「それをやるほうもね」
『ごめん──』
わたしは意地悪そうな笑みになって、
「いっそ、その恰好を遺影にして飾ってやろうか?」
どんな羞恥プレイなんだか。
『写真には写らないと思うけどね』
「ゲームの中の魔王画像なら、どこにでも転がってるでしょ」
『確かに。それにアニメ調の魔王皇帝もめちゃくちゃ美形だし』
自分で言うかこいつは(てか今「も」って言ったか「も」って。こいつ?)。
『……まあ探すなら今のうちかもだけど』
歳矢──魔王皇帝トーヤは、フローリングの床に突き立てた魔大剣を手に、改めてわたしと向き合う。
『ぼくらの世界──魔導世界ガルドアースは、もうすぐ消えてしまうから』
「あなたが滅ぼすの?」
『形の上──物語の中ではね。でも実際は違う。このゲーム自体のサービスが終了するんだ』
「サービス終了……って、あ、このメール」
わたしはずっと握っていたスマホをポケットから出して、先に見た招待状を開いた。
「世界の終わりを賭けた最終決戦──これのこと?」
それはゲームの存続を断念した──諦めてしまった運営側と、それでもなおその続行を望み求めるプレイヤーたちとの、文字通りのガチンコ勝負。
『そうそう。ちゃんと届いてよかった。こんな状況だからね、うまく行くか心配だったけど』
「あんたの仕業か」
『リアルでは死んじゃったけど、自分が関わってるゲームの中で、しかもラスボスの魔王皇帝として転生できたんだ。できたらもう一度、ここできみと会えたらいいなと思って』
「でもゲームの中でしょ」
『今のぼくにとっては紛れもなく現実だよ』
被ってるだけで疲れそうな仰々しいヘルメットの下で、そこだけリアルな顔の彼が笑う。
「けどその世界も、そのゲームも、もうすぐ終わってしまう……?」
『正確にはあと30日。八月最後の日に』
「わたしにどうしろっての? その世界を救えとでも?」
いやいや、と首を振る魔王皇帝(今さらだけど、魔王で皇帝って、どういう意味?)。
『作った側の自分が言うのもなんだけど、この最終章──最期のイベントは、本当に厳しいんだ』
なんだかとっても自慢げに語り出す魔王皇帝(やっぱり言い慣れない)。
『事前に申し込んだ中から選ばれて招待されるプレイヤーは限定1500人。ほぼ全員がパーティーレベル☆☆☆+199、仲間キャラも全員カンストレベルまで育てきったガチ勢だ。それでもクリアは難しいってのが、ぼくたちも含めた事前の大方の予想』
とてもじゃないが、昨日今日から始めた初心者が挑めるレベルじゃない。
なにせこの最終章でプレイヤー側が「勝利」すれば、会社側はサービス終了を撤回、ゲームはこのまま続くことになるのだから。
『一度は撤退を決めた運営の決定をひっくり返そうっていうんだ。リアルな話、サービスを続けるには、それだけで億単位のお金がかかる。文字通りゲーム会社自身の存続がかかってるんだ。そう簡単には勝たせてやれないさ』
「じゃあ、わたしなんかが参加したって無駄じゃない」
『別に世界を救ってくれとまでは言わないよ。できるだけ協力するから、なんとか会いに来てくれないか。ぼくのところまで』
「あんたはどこにいるの?」
『魔帝城。最終決戦の場。この世界の──ゲームの命運が決まる場所』
ただしそこへ行くには、このクエストで取得できる最後の超々レアアイテム、真の意味でこのゲーム世界の行く末を左右する運命の秘石「アーニーストーン」を手に入れる必要がある──らしい。
「それって結局、この最難関クエストをクリアしないとたどり着けないってことじゃないの?」
『そこはだから、きみ自身にもちょっと頑張ってもらって──』
「無理」
無理。絶対無理。
「さっきも言ったでしょ。いま手を離せない仕事を抱えてるの。この世界で。現実で!」
我知らず、声が強くなる。
「いまのわたしに30日間もゲームに付き合ってるヒマなんてないの!」
それも、ゲームの中の魔王だか皇帝だがになって喜んでる誰かさんに会いに行くとか。
どんな夢だ。妄想だ。
これは現実か?
『その仕事って、本当にやりたこと?』
「……何が言いたいの?」
『きみが本当に今のその仕事を頑張りたいならいいさ。それが一番だ。でも、きみは本当は──』
「うっさいうっさい、黙れもう死んじゃってるくせに!」
はっと思ったときには、もう口に出た後だった。
だめだ。もう耐えられない。
二度と振り返らない決意で体を回す。背中を向ける。
「さよなら、歳矢……お別れの言葉が言えてよかった」
……本当に?
『ユキナ……』
わたしは聞こえない振りをして、後ろ手に開けっ放しだったドアを閉じた。
そのまま歩き出す。
あいつが作っていたゲームとは正反対の世界へ。
クソ暑くて、くそリアルで、
何もかもが取り返しのつかない現実の世界へ──




