極上の卵雑炊と、辺境伯の震える魂
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胃に激痛を抱え、切り株の椅子でうずくまるクレマン辺境伯。
彼を救うため、豊穣の街の若者たちは、すぐさま広場の隅にある野外キッチンへと集結した。
「理人、火加減はこれくらいでいいかな?」
蒼汰が、かまどの前にしゃがみ込み、自らの『代謝熱』を指先から放出して薪の火を微調整する。
「ああ、完璧だ蒼汰。水温を八十度で一定に保ってくれ。
それ以上温度を上げると、出汁の雑味が出てしまう」
理人は真剣な眼差しで鍋の中を見つめながら、森で採取した『旨味の塊』である乾燥キノコと、川で採れた特殊な水草を沈めていた。
「理人くんの言う通り、いい香りが出てるね。楓菜ちゃん、水草を細かく刻んで、薬味にしてもらえる?」
割烹着姿の乃亜が、鍋の様子を見ながら優しく声をかける。
「任せて、乃亜ちゃん! 胃に負担がかからないように、すっごく細かく切るね!」
楓菜は愛用の小刀を使い、目にも留まらぬ速さで水草をみじん切りにしていく。
「蒼汰、理人、盛り付け用のお椀はこれを使ってくれ。
保温性が高くなるように、魔物の骨を削って木材と組み合わせておいた」
刀真が、丁寧に磨き上げられた美しいお椀を三つ、テーブルに並べる。
「刀真、お盆の準備もできたよ! いつでも運べるからね!」
「ああ、助かるぜ萌音。乃亜ちゃん、楓菜ちゃん、熱いから運ぶ時は気をつけてくれよ」
刀真の言葉に、萌音と乃亜、楓菜が元気に頷く。
彼らが作ろうとしているのは、分厚い魔物のステーキでも、香辛料の効いた串焼きでもない。
王都からの重圧で極限まで胃壁が荒れ果てたクレマン辺境伯のための、最も消化に良く、そして最も栄養価の高い『極上の卵雑炊』であった。
「……よし。グアニル酸とグルタミン酸の相乗効果、完璧に抽出できた。乃亜、ご飯を」
「はい、理人くん。……『浄化』」
乃亜が手をかざすと、鍋の出汁がさらに透き通り、黄金色に輝き始める。
そこへ、彼女が丹精込めて炊き上げた、純白の『銀シャリ』が投入された。
「仕上げは僕がやろう。萌音ちゃん、卵を貸してくれるかな」
「うん、理人くん! 森のコッコ鳥の新鮮な卵だよ!」
理人が萌音から受け取った卵を片手で割り、溶き卵にしていく。
「お米が出汁を吸い込んだ絶好のタイミングだ。……蒼汰、一気に強火にしてくれ!」
「おう! 燃えろっ!」
蒼汰が火力を一瞬だけ全開にする。
グツグツと煮え立つ鍋の中に、理人が細く糸を引くように溶き卵を回し入れた。
ふわり、と卵が花開くように膨れ上がり、黄金色の出汁とお米を優しく包み込んでいく。
半熟のトロトロ状態で火から下ろし、楓菜が切った青ネギを散らせば、完成だ。
「よし、できた! 冷めないうちに辺境伯様のところへ持っていこう!」
◇
クレマン辺境伯は、案内された村の長屋の一室で、横たわることもできずに浅い呼吸を繰り返していた。
傍らでは、ルークが心配そうに父の顔を覗き込んでいる。
「失礼いたします、辺境伯様。お体の具合はいかがですか」
蒼汰が、静かに、そしてひどく丁寧な口調で部屋に入ってきた。
「……すまん、蒼汰。見苦しいところを見せたな」
「とんでもありません。辺境伯様のお腹に優しい、特別なお食事をご用意いたしました。
乃亜、お願い」
「はい。……辺境伯様、少しだけ起き上がれますか?」
乃亜が、萌音から受け取ったお盆を机に置く。
その上に乗っていたお椀の蓋を開けた瞬間――部屋の中に、言葉を失うほどに優しく、そして芳醇な香りが充満した。
「……なんだ、この香りは。肉の脂の匂いではない……だが、胃の奥底から強烈に食欲を刺激してくる……っ」
クレマンが、驚きに目を見開く。
これまでの数日間、どんな豪奢な料理の匂いを嗅いでも吐き気しか催さなかった彼の胃袋が、この香りだけは「早く入れてくれ」と悲鳴を上げて求めていた。
「『極上の卵雑炊』です。お米を出汁で柔らかく煮込み、卵でとじたものです。
噛まなくてもするすると喉を通りますよ。さあ、冷めないうちにどうぞ」
乃亜が木製の匙を添えて差し出す。
クレマンは震える手でお椀を受け取り、匙で黄金色の雑炊をすくい上げた。
トロトロの半熟卵が、出汁をたっぷりと吸い込んだふっくらとした米に絡みついている。
彼はゆっくりと、それを口へ運んだ。
――瞬間。
クレマンの全身を、雷に打たれたような衝撃が駆け抜けた。
(……美味い。なんだ、この果てしなく優しい味は……!)
暴力的なまでの旨味が凝縮されているのに、決して胃を攻撃してこない。
理人の計算し尽くされた出汁の旨味が舌の上で爆発し、乃亜の浄化の力がこもった米が、荒れ果てた胃壁にそっと包帯を巻くように優しく溶けていく。
半熟卵の濃厚な甘みと、青ネギの爽やかなアクセントが、食欲のブレーキを完全に破壊していた。
「あ……ああ……」
クレマンは無我夢中で、二口、三口と雑炊を胃に流し込んでいく。
食べるたびに、冷え切っていた内臓の中心から、ポカポカとした熱と活力が全身の血管へと広がっていくのが分かった。
王都の貴族たちとの腹の探り合い。
領民が餓死するかもしれないという絶望感。
眠れない夜の孤独。
そうした『歴戦の将軍』の肩に重くのしかかっていた鎧が、この温かい一杯の雑炊によって、ボロボロと崩れ落ちていく。
ガチャン、と。
空になったお椀を机に置いたクレマンは、両手で顔を覆い、深く、長く息を吐き出した。
その屈強な広い背中が、小刻みに震えている。
歴戦の将軍としての矜持が、決して涙をこぼすことだけは許さなかった。
しかし、その瞳の奥には、確かな熱いものが込み上げ、彼の魂そのものが激しく打ち震えていた。
「……見事だ。見事としか、言いようがない」
顔を上げたクレマンの表情は、先ほどの死人のような青白さが嘘のように血色が戻り、鷹のような鋭くも力強い眼光を取り戻していた。
「お口に合いましたか、辺境伯様」
蒼汰が、柔らかく微笑みかける。
「ああ。五十年生きてきて、これほど五臓六腑に染み渡る美食を口にしたのは初めてだ。
……痛みが、消えた。それどころか、腹の底から力が湧いてくる」
クレマンは立ち上がり、背筋を真っ直ぐに伸ばして蒼汰と乃亜、そして後ろに控える理人たちを見据えた。
「お前たちは……ただ己が生き残るためだけに力を使っているのではないのだな。
人を癒やし、人を活かし、命を育む術を知っている。それこそが、真の『為政者』たる器だ」
クレマンの声には、もはや一介の少年たちに向けるものではない、同格の……いや、自分以上の指導者に対する深い敬意が込められていた。
「蒼汰。いや、蒼汰殿。そして豊穣の街の諸君」
クレマンが、深く頭を下げる。
「私は決めた。王都の狂った要求など、もはや知ったことか。
私は辺境伯として、お前たちが創り上げるこの『新たな国』の土台を、全力で守り抜く。
王国全軍を敵に回そうとも、我が領地はお前たちと共に歩むことを、ここに誓おう」
それは、単なる取引相手から、真の「同盟」へと昇華された瞬間だった。
「辺境伯様……ありがとうございます。
俺たちも、あなたの領地の民を見捨てたりはしません。
絶対に、誰も飢えさせない国を作ってみせます」
蒼汰が、クレマンの分厚い手をしっかりと握り返した。
その光景を横で見ていたルークは、胸の奥から湧き上がる熱い感情を抑えきれずにいた。
(すごい……。王国の重鎮である父上を、力や脅しではなく、たった一杯の温かい食事で、ここまで心服させてしまうなんて……)
ルークの視線は、蒼汰、理人、乃亜、刀真、楓菜、萌音の六人に向けられていた。
彼らは王宮から「無能」と見捨てられた者たちだ。
しかし、彼らこそが真の英雄なのだと、ルークは確信した。
「蒼汰」
ルークが一歩前に出て、真っ直ぐに蒼汰の目を見つめた。
「僕は改めて、君たちを尊敬する。剣の腕だけじゃない、その底知れぬ優しさと強さに。
……どうかこれからも、僕に君たちの国造りを手伝わせてほしい。
僕の剣は、君たちのためにある」
「ルーク……。やめろよ、親友同士で堅苦しい挨拶は」
蒼汰が照れくさそうに笑い、ルークの肩を軽く小突いた。
「ああ、そうだったな!」
ルークもまた、少年のように爽やかな笑顔を弾けさせる。
王都からの理不尽な重税という絶望的な知らせ。
しかし、それは皮肉にも、辺境の将軍と無能とされた少年たちとの絆を、決して砕けることのない鋼鉄の結束へと変える引き金となったのである。
極上の卵雑炊がもたらした熱を胸に抱き、名も無き廃村の村と辺境伯軍は、いよいよ王国への反逆と、大いなる国家建設への道を力強く歩み始めるのだった。
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