王都からの無茶な重税と、胃を痛める辺境伯
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バルカエス王国の国境防衛を担う辺境領・領都。
その中心にそびえる堅牢な城の執務室で、クレマン辺境伯は深く、ひどく重いため息を吐き出した。
「……ふざけるな。辺境の民を、ひいてはこの国を、あのアマはなんだと思っているのだ」
歴戦の将軍として恐れられるクレマンの屈強な顔が、今は苦痛と疲労で蒼白に染まっていた。
彼の大きな手の中で握り潰されそうになっているのは、王都から届いたばかりの勅書。
そこには、第三王女クレアの豪奢な紋章印がこれみよがしに押されている。
書状の内容は、正気の沙汰ではなかった。
『秋の納税および兵糧の供出を、例年の二倍とすること』
理由は『勇者たちの育成と、王都の防衛力強化のため』だという。
「二倍だと……?
ただでさえ我が領地は、奈落の森からの魔物の脅威と痩せた土地に苦しんでいるというのに。
これ以上税を絞り上げれば、領民たちは冬を越えられず、道端には餓死者が溢れかえるぞ……!」
ドンッ!とクレマンが分厚いオーク材の机を殴りつける。
王都の貴族たちは、現場を知らない。
彼らにとって辺境の農民など、自分たちの贅沢な食卓を飾るための、ただの数字でしかないのだ。
領民たちの飢えた顔が脳裏をよぎり、クレマンの奥歯がギリッと鳴った。
「うっ……!」
その瞬間、クレマンは己の腹部を強く押さえ、その場にうずくまりそうになった。
「閣下! 大丈夫でございますか!」
控えていた側近の騎士が慌てて駆け寄る。
「……構わん、いつものことだ。少し、胃が痛むだけだ」
クレマンは冷や汗を拭いながら、強がって手を振った。
領民を守るための王都との政治的駆け引き、そして終わりの見えない激務。
その極限のストレスは、屈強な辺境伯の肉体を内側から確実に蝕んでいた。
ここ数日、まともな食事すら喉を通らず、無理に食べようとすれば激しい吐き気と胃の激痛に襲われる始末だった。
「……馬車を出せ。『奈落の森』のあの村……蒼汰の元へ向かう。少し、彼らと話がしたい」
「しかし閣下、お顔色が最悪です! 今は休息を……」
「ならん。王都がこれほど無茶な要求を出してきた以上、同盟を結んだ彼らにも一刻も早く状況を伝えねばならん。ルークの様子も見ておきたいしな」
痛む胃袋を強靭な精神力でねじ伏せ、クレマン辺境伯は再び、あの要塞都市へと向かうのだった。
◇
数日後。
魔物の骨と石材で組まれた巨大な防壁の中に、クレマンの馬車が到着した。
門をくぐれば、そこには王都の喧騒とは無縁の、生命力に満ち溢れた光景が広がっていた。
「いっけえええっ、ジョー! そこ、盾の構えが遅いよ!」
「ぐおっ! ルーク様、容赦ねえっす!」
「戦場に手加減はありませんよ。次は僕が行きます、蒼汰くん!」
広場から聞こえてきたのは、活気あふれる怒号と木剣がぶつかり合う音だった。
馬車から降り立ったクレマンが目にしたのは、村の自警団に混ざり、泥だらけになって木剣を振るう長男ルークの姿だった。
王宮仕込みの洗練された騎士の剣術は鳴りを潜め、代わりに「生き残るため」の泥臭く、しかし恐ろしく実戦的な動きへと変貌している。
「……ルーク」
「ち、父上!?」
クレマンの姿に気づいたルークが、慌てて木剣を下ろして駆け寄ってくる。
その顔は泥と汗にまみれていたが、かつて城で見せていたような気負いは消え、充実感に満ちた精悍な若者の表情になっていた。
「父上、いらっしゃいませ。
……って、どうしたんですか、そのお顔の色。真っ青じゃないですか!?」
一緒に特訓していた蒼汰も、クレマンの尋常ではない様子に驚き、ルークとともにその肩を支えるように手を貸した。
クレマンの顔色は、前回会った時の歴戦の将軍のオーラが嘘のように青白く、目の下には濃いクマができている。
「……ああ、蒼汰くんか。少し、厄介なことになってな。
お前たちに、急ぎ知らせておこうと思って来たのだ」
クレマンは広場の切り株に腰を下ろそうとしたが、それすらも覚束ない。
「刀真、椅子を持ってきてくれ!」
「了解だ、蒼汰!」
蒼汰の声に反応して、近くの作業小屋から刀真がガッシリとした木製の椅子を抱えて走ってきた。
「辺境伯のおっさ……失礼、辺境伯様。これに座ってください。萌音、水を持ってきてくれ!」
「うん、わかった! 乃亜ちゃん、楓菜ちゃん、急いで!」
刀真が椅子を差し出し、萌音が乃亜と楓菜を連れて駆け寄ってくる。
「水を持ってきました! 辺境伯様、どうぞ」
萌音が丁寧にコップを差し出すが、クレマンの手は微かに震えていた。
「……すまんな、手間をかける」
クレマンは一口だけ水を飲み、重い口を開いて王都から届いた勅書の内容――税の二倍要求について語って聞かせた。
「二倍……ですか。
それはもはや、納税ではなく略奪ですね」
理人が眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら、冷徹な声で呟いた。
「理人くんの言う通りだよ。そんなの、領民の人たちが生きていけないじゃない!」
楓菜が憤慨して拳を握る。
「……ああ。王女クレアは完全に正気を失っている。
だが、これを突っぱねれば、王国は反逆とみなして我が領地に討伐軍を差し向ける口実にするだろう。
どう動くべきか……うぐっ……!」
クレマンの言葉が途切れ、彼は腹部を抱え込むようにして激しく咳き込んだ。
「父上! しっかりしてください!」
ルークが慌てて父の背中をさする。クレマンの額からは脂汗が浮かび、呼吸すら浅くなっていた。
「……これは、酷い状態ですね」
理人が一歩前に出て、クレマンの様子をじっと観察した。
彼のスキル『解析』の視界には、クレマンの胃粘膜が真っ赤に炎症を起こしている状態が、構造式と色彩で明確に浮かび上がっていた。
「理人くん、どうなの?」
乃亜が心配そうに理人の顔を覗き込む。
「極度のストレスと過労による急性胃炎……いや、慢性的な胃潰瘍の一歩手前です。
辺境伯様、ここ数日間、まともに食事をされていないのではないですか?」
「な……なぜそれが分かる」
「僕の視界には、あなたの体内の不調がデータとして現れていますから。
そんな状態で無理に頭を動かせば、討伐軍が来る前にあなたの体が先に壊れますよ」
理人の指摘に、クレマンは苦笑して自嘲気味に呟いた。
「……情けない話だ。我が民を飢えさせまいと頭を悩ませていた結果、自分が飢えて倒れそうになるとはな。
だが、食べたくとも胃が何も受け付けんのだ。魔物の肉など見たくもない……」
「……辺境伯様」
その時、透き通るような優しい声と共に、ふわりと温かい匂いが漂ってきた。
割烹着姿の乃亜が、心配そうな瞳でクレマンを見つめていた。
「難しいお話は、一度横に置いておきませんか?
お腹が空いていては、良い考えも浮かびませんよ」
「しかし、私は……」
「大丈夫です。弱り切ったお腹でも、するすると入っていく『特別なお薬』のようなご飯を今から作りますから」
乃亜は女神のように優しく微笑むと、蒼汰と理人、そして仲間たちに向かって力強く頷いた。
「理人くん、一番優しい『お出汁』の準備をお願いできるかな?
蒼汰くんは、火加減の管理を。みんなも、手伝って!」
「おう、任せとけ! 辺境伯様、乃亜のご飯を食べれば、絶対に元気になりますから」
蒼汰が頼もしく笑い、クレマンの背中を優しく支えた。
「わかった、乃亜ちゃん! 僕は何をすればいい?」
「刀真くんは薪の準備! 楓菜ちゃんは、お野菜の準備をお願い!」
「了解! 最高の状態に仕上げるよ、乃亜ちゃん!」
国を背負う重圧に押し潰されそうになっていた辺境伯。
彼を救うため、名も無き廃村の若者たちが一丸となって「極上の癒やしメシ」の調理を開始した。
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