結界完全復活と、里の産声
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巨大な『マーダー・ボアグリズ(凶暴熊猪)』の討伐から数時間後。
名もなき廃村の入り口にそびえ立つ朽ちた鳥居の前に、村の全住人六十名が集結していた。
「……信じられない大きさだ。初日に僕たちが倒した個体の魔石とは、純度も質量も段違いだな」
理人が、蒼汰の手の中にある特大の『赤い魔石』を見つめて呟いた。
大人の両手でようやく抱えられるほどのその結晶は、まるで生きている心臓のようにドクン、ドクンと脈打ち、内側に膨大な魔素を滾らせていた。
「よし、こいつを左の柱に埋め込めばいいんだな?」
「ああ。右の柱には初日の魔石がすでに入っている。これで、結界の魔力回路は完全にループを形成するはずだ」
蒼汰が大きく息を吸い込み、鳥居の左の柱の根元にある空洞へと、その巨大な魔石をガコンッと押し込んだ。
――ヴォンッ!!
大気が、物理的な重さを持って震えた。
左右の柱に埋め込まれた二つの赤い魔石が共鳴し、強烈な光を放つ。
そこから地脈を伝って村の地下に張り巡らされた魔力回路へと、一気にエネルギーが奔流となって流れ込んだ。
「うおおおっ……! 上を見ろ!」
ジョーが空を指差して叫ぶ。
鳥居を起点にして、赤みがかった半透明の光の壁が、村の右半分だけでなく、無防備だった左半分をも覆うようにドーム状に展開していく。
光の膜は上空でピタリと繋がり、完全な『半球』となって村全体を包み込んだ。
直後、村の中を吹き抜けていた奈落の森特有の「生臭い瘴気」が、目に見えない巨大な換気扇で吸い出されたかのようにスッと消え始めた。
乃亜が毎日撒いていた『浄化の水』の清らかな空気が、結界内に完全に閉じ込められ、循環を始めたのだ。
「……すげえ。空気が、王都の貴族街より綺麗だぞ……」
刀真が、深呼吸をして驚きの声を漏らした。
「完成だ」
理人が眼鏡を押し上げる。
「これで鳥居の結界は100パーセント復活した。奈落の森の瘴気も、野生の魔物も、もう二度とこの村の中に侵入することはできない」
「やったああああああっ!!」
「助かった! これで夜も安心して眠れるぞ!」
「もう魔物に怯えなくていいんだ!!」
村人たちが泣き崩れ、抱き合って歓喜の声を上げる。
タイキやハナたち子供も「おっきなシャボン玉だー!」とはしゃぎ回り、楓菜と乃亜も手を取ってピョンピョンと飛び跳ねた。
「いやぁ、大長編の土木工事になるかと思ったけど、これで壁作りの重労働からもおさらばだな!」
ジョーが、安堵の笑みを浮かべて泥だらけの肩を回した。
だが、その言葉を聞いた瞬間、理人の声が冷や水を浴びせるように響いた。
「馬鹿を言え。防壁作りは、むしろここからが本番だ」
「……え?」
ジョーをはじめとする村人たちが、ポカンと口を開けて理人を見る。
「ど、どういうことですか理人先生? 結界が完璧なら、もう魔物は入ってこられないんじゃ……」
「ああ、魔物はな」
理人は足元にあった手頃な石を拾い上げると、展開されたばかりの結界の壁に向かって、思い切り投げつけた。
――スッ。
石は結界の膜に何の干渉も起こさず、まるでそこに何もないかのように素通りし、森の奥へと飛んでいった。
「なっ……!?」
「結界を、通り抜けた……!?」
蒼汰も驚いて目を見開く。
「……いいか? よく聞け」
理人が、村人たち全員を見渡して論理的に語り始めた。
「この結界は、魔素(魔力)や瘴気に反応して弾く『フィルター』に過ぎない。
つまり、魔力を持たないただの石や物理的な矢、そして……『魔物ではない悪意ある人間』は、いとも簡単に素通りできてしまうんだ」
「に、人間……。それって、まさか……!」
ケントが血の気を引かせて一歩後ずさる。
「ああ。いつか王国軍が、僕たちを討伐するために本格的な軍隊を差し向けてきた時。この透明な結界は、奴らにとって紙切れ同然だ」
理人の言葉に、歓喜に沸いていた広場が水を打ったように静まり返った。
王国軍。
それは、追放された蒼汰たちや逃亡してきた刀真たちだけでなく、理不尽な税を搾取されてきた村人たちにとっても、魔物以上に恐ろしい「絶対的な権力」だった。
「それだけじゃない」
理人は鳥居の根元にある魔石を指差した。
「この結界は無敵じゃない。外から魔物が体当たりをしてくるたびに、弾き返すためのエネルギーとして『魔石の魔力』を消費している。
もし、壁がない状態で魔物の大群に毎晩突撃され続ければ、あっという間に魔石は空っぽになり、結界は割れる」
「……なるほどな」
蒼汰が、腕を組んで深く頷いた。
「人間からの物理的な攻撃を防ぐため。
そして、魔物が結界にぶつかる前に『外側で串刺し』にして、魔石の消耗をゼロに抑えるため。
……だから、分厚い物理的な『壁』が絶対にいるってことか」
「その通りだ」
理人が眼鏡の奥で鋭い光を放つ。
「だから、魔骨のスパイク防壁の建設は止めない。そしてジョー、お前のような『重装歩兵』の力が必要不可欠なんだ」
「……っ!」
ジョーがハッと息を呑む。
結界があれば自分たちは守られると、どこか他人任せにしていた心。だが理人の言葉は、「自分たちの命は、自分たちで守り抜け」という強烈なメッセージだった。
「やります……! 俺が、俺たちが壁を作ります!」
ジョーが、かつてないほど力強い声で叫んだ。
「多目さんたちだけに戦わせやしない!
ここは俺たちの村だ。王国軍が来ようが魔物の大群が来ようが、俺たちが盾になって、絶対にこの村を守り抜いてみせる!」
「おう! その意気だぜ、自警団長!」
蒼汰がニッと笑ってジョーの背中を力強く叩く。
村の男たちも「壁を作るぞ!」「俺たちの村を守るんだ!」と、先ほどまでの歓喜とは違う、戦う覚悟に満ちた熱い雄叫びを上げた。
「へへっ、いい面構えになってきたじゃねえか」
刀真が、腕まくりをして前に出た。
「お前らが戦うってんなら、俺の出番だな。
……ジョー! お前には、王国軍の矢の雨だろうが突進だろうがビクともしない、特大の『魔骨鋼のタワーシールド』を打ってやる!
壁作り用の鍬やスコップも、すぐに全部最高級のものに打ち直してやるよ!」
「と、刀真さん! ありがとうございます!」
「萌音も、私の権限でみんなの適材適所のサポートをするからね!
ケントさん、明日からの資材の管理、一緒に頑張ろう!」
「はい、北条マネージャー! 俺の計算スキル、限界まで回しますよ!」
六人の異世界人と、六十人の村人たち。
彼らの心が、本当の意味で一つに結びついた瞬間だった。
「……蒼汰様、乃亜様、理人様、楓菜様。そして、刀真様、萌音様」
群衆の中から、村長であるゲンが静かに歩み出て、六人の前で深く、深く頭を下げた。
「ゲンさん、頭を上げてくれ。俺たちはそんな偉い立場じゃ……」
「いいえ。言わせてください」
ゲンは顔を上げると、その皺くちゃな顔を涙で濡らしていた。
「わしらは、王国から見捨てられ、ただ魔物に怯えて飢え死にを待つだけの、名もなき廃村の幽霊のような存在でした。
……ですが、あなた方が来てから、すべてが変わった」
ゲンは村を見渡した。
青々と茂る農地、命を繋ぐ泥かまど、希望の象徴である鳥居の結界、そして、力強く生きる覚悟を決めた村人たちの顔。
「ここはもう、死を待つだけの廃村ではありません。
あなた方が血と汗で切り拓き、息を吹き返させてくれた……わしらの『新しい故郷』です。
どうか、わしらを導いてくだされ。
あなた方六人を、この里の『主』として、わしらは一生お仕えいたします」
「……主、か」
蒼汰は少し照れくさそうに頭を掻き、隣に立つ仲間たちの顔を見渡した。
理人が「悪くない」と肩をすくめ、楓菜がニシシと笑い、乃亜が優しく微笑み返す。
刀真と萌音も、深く頷いていた。
「……わかった。その責任、俺たち六人でしっかり背負わせてもらう」
蒼汰がゲンに向き直り、力強く宣言した。
「俺たちは王国の勇者みたいな、立派な肩書きや魔法は何一つ持ってない。持ってるのは、泥臭く足掻く力と、美味い飯を食うための執念だけだ」
蒼汰は空を指差し、村人全員に向かって叫んだ。
「ここは今日から、俺たち全員の『国』だ!! 壁を高く積み上げろ! 畑を耕せ!
そして、腹いっぱい美味いメシを食って、誰にも脅かされない最高の居場所を作ろうぜ!!」
「うおおおおおおおっ!!!」
村人たちの雄叫びが、結界の中で一つになり、天高く響き渡った。
それは紛れもなく、王国という巨大な理不尽に対する反逆の狼煙であり、この死の森の奥深くに生まれた『新たな国』の、力強い産声だった。
◇
「さあさあ、みんな! 難しいお話はここまでにしましょう!」
熱狂が少し落ち着いた頃、広場の中央で乃亜がパンパンと手を叩いた。
その後ろには、楓菜が仕留めた巨大な熊猪の新鮮な肉が山のように積まれている。
「今日は結界の完成と、刀真くんたちの合流、そして私たちの村の誕生のお祝い!
かまどの火を全開にして、最高のご馳走を作るからね!」
「おおっ! 乃亜のおにぎり! 肉の丸焼き!!」
「ケントさん、ニルスさん! 備蓄のお野菜と香草も全部出して!
今日は無礼講の大宴会だよー!」
萌音も袖をまくり上げ、料理班の指揮を執り始める。
その夜。
奈落の森の暗闇の中で、結界に守られたその村だけが、温かいオレンジ色の火を灯していた。
かまどで炊き上げられた極上の塩おにぎりと、滴る肉汁の香ばしい匂い。
そして、絶えることのない人々の笑い声。
王国の冷たい床で震えていた見習いたちも、死を待つだけだった村人たちも。
極上のメシを腹いっぱい食い、誰もが希望に満ちた明日を夢見ていた。
一方、その頃。
遠く離れたバルカエス王国の王城では、勇者たちが思考を奪われ、得体の知れない粉がまぶされた残飯のような肉を、虚ろな目で貪り食っていることなど、この村の誰も知る由はなかった。
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