追放から一ヶ月。決死の逃避行と、森からの逃亡者
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深夜のバルカエス王城。
分厚い雲が月明かりを隠す、漆黒の夜だった。
「……萌音、行くぞ。足音を立てるなよ」
「うん……っ」
王城の裏手にある搬入口の影で、遠山刀真と北条萌音は息を潜めていた。
刀真の腰には、ガラクタから打ち直した小さな鉄の小刀。
萌音は、王宮の宝物庫から命がけで盗み出した『米』と『種籾』が入った重いボストンバッグを、震える両手でしっかりと抱きしめていた。
見回りの兵士たちが酒盛りをして油断している隙を突き、二人は王宮の外壁を抜け、王都の裏路地へと駆け出した。
目指すのはただ一つ、かつて蒼汰たちが追放された死の森、『奈落の森』の方角だった。
だが、二人の逃亡劇が明るみに出るまでに、そう時間はかからなかった。
◇
翌朝、王宮の地下工房。
「おい! 見習い! 俺の剣の刃こぼれは直ったんだろうな!」
扉を蹴り開けて入ってきたのは、勇者パーティの一員であり、クラスの元生徒会長・山城だった。
だが、薄暗い工房の中に、いつも煤だらけになって鉄を打っているはずの刀真の姿はなかった。
炉の火は完全に消え、冷たくなっている。
「……あいつ、どこへ行きやがった? サボりか?」
山城が苛立ちに任せて舌打ちをした直後、上の階の厨房の方から、王国兵の慌ただしい怒声が響いてきた。
「なんだ、騒々しい」
山城が厨房へ向かうと、料理長が顔を真っ青にして床にへたり込んでいた。
「た、大変です! 給仕係の異世界人の小娘が消えました! それだけではありません……王族専用の備蓄庫から、貴重な『白米』と『種籾』が大量に盗まれております!」
「なんだと?」
山城の顔色が変わった。鍛冶師と給仕係が、同時に姿を消した。
「あのゴミ共……俺たち『勇者』に仕えるという最高の名誉を捨てて逃げた上に、泥棒まで働きやがったのか!? ふざけるな、俺たちへの当てつけか!」
山城が激怒して壁を殴りつけた、その時だった。
「騒々しいですわね。朝から何事ですか?」
玉座の間へ続く廊下から、第三王女クレアが護衛を引き連れて優雅に歩み寄ってきた。
「クレア様! あの無能な見習い二人が、王国の食料を盗んで逃げやがったんです!
俺たち勇者への侮辱です、絶対に許せません!」
山城の報告を聞き、クレアは扇の裏で微かに眉をひそめた。
(ただの逃亡……? いいえ、あの給仕の女、もしかして勇者たちの食事に混ぜている『思考抑制剤』の存在に気づいたのでは……?
もしあの薬の秘密が他国に漏れれば、厄介なことになりますわね)
クレアの瞳の奥に、氷のような冷たい殺意がよぎる。
だが、山城に向ける笑顔はあくまでも慈愛に満ちたものだった。
「まあ……なんて恩知らずで浅ましい方々でしょう。
勇者様方を差し置いて王国の備蓄を盗むなど、万死に値する大罪ですわ」
「俺が今すぐ追いかけて、あいつらの首を刎ねてきますよ!」
山城が息巻いて剣の柄に手をかける。だが、クレアは優しく彼の腕に触れて制止した。
「いいえ、山城様。あなた方には魔王討伐という尊い使命があるのです
。あのような泥棒のゴミ虫のために、勇者様方の剣を汚す必要はありませんわ。
……さあ、食堂へ。今朝は特別に、お肉を美味しく味付け・・・してありますから」
「肉……!」
クレアの言葉を聞いた瞬間、山城の様子が劇的に変化した。
怒りで血走っていた目がトロンと濁り、異常に開いた瞳孔が宙を泳ぐ。
そして、自分の意志が薬物に支配されていることなど微塵も疑うことなく、ヨダレを垂らしながら食堂へとフラフラ歩いていった。
「そうだな……飯だ。飯の方が大事だ。
あんな奴ら、放っておいても魔物に食われて死ぬさ……あははっ」
完全に薬物依存に陥った元生徒会長の無様な背中を見送り、クレアは冷ややかな声で傍らの騎士団長に命じた。
「……すぐに討伐隊を編成しなさい。猟犬を放ち、あのゴミ共を追い詰めるのです。
生け捕りには及ばない。確実に『殺し』なさい」
「はっ! ただちに!!」
かくして、完全武装の王国兵二十名と、魔物狩り用の巨大な猟犬数頭からなる討伐隊が、二人の足跡を追って王都を出撃したのだった。
◇ ◇ ◇
「はぁっ……はぁっ……!」
「刀真くん、もう、足が……っ」
鬱蒼と生い茂る『奈落の森』の浅い領域。
獣道すら定かではない細いけもの道を、刀真と萌音は泥だらけになって歩いていた。
王都を抜け出してから、一睡もせずに走り続けてきた。
ろくな食料も水も持たず、擦り切れた服は森の茨で裂け、刀真の靴は底が抜けかけている。
限界はとうに超えていた。
――ウォォォォンッ!!
突如、背後から血の凍るような猟犬の遠吠えが響いた。
「……ッ! 嘘だろ、もう追いついてきやがったのか!?」
刀真が振り返ると、遥か後方の木々の隙間に、王国軍が掲げる松明の炎がチラチラと見え隠れしていた。
「見つけたぞ! 王国の盗人どもだ!」
「逃がすな! 王女殿下の命により、その場で斬り捨てろ!!」
兵士たちの無慈悲な怒声が、風に乗って耳に届く。
「走れ、萌音!!」
刀真が萌音の手を強く引き、枯れ枝を薙ぎ倒しながら無我夢中で駆け出した。
だが、疲労困憊の非戦闘職の二人が、訓練された兵士と猟犬から逃げ切れるはずがない。
足音と犬の息遣いが、背後へ刻一刻と迫ってくる。
「ひぃっ、ああっ……!」
萌音が木の根に足を取られ、派手に転倒した。抱えていたボストンバッグが泥の中に転がる。
「萌音!」
刀真が引き起こそうとしたその時、背後の茂みを突き破り、ヨダレを撒き散らす巨大な猟犬が飛び出してきた。
「ガァルルルッ!!」
猟犬が、倒れた萌音の喉笛に向かって牙を剥く。
「ふざけんなっ!!」
刀真は考えるより先に、持っていた小さな鉄の小刀を両手で握りしめ、飛びかかってきた猟犬の眉間に全力で突き立てた。
キャンッ!という短い悲鳴を上げ、猟犬が横に転がって絶命する。
「ハァッ……ハァッ……! 立てるか、萌音!」
「う、うん……! バッグ、お米が……っ」
「俺が持つ! 走れ! 立ち止まったら殺されるぞ!!」
猟犬の死体に怯んだ討伐隊を尻目に、二人は森のさらに奥深く――真の『奈落の森』と呼ばれる、陽の光すら届かない死の領域へと飛び込んでいった。
「ちぃっ! あのガキども、狂ったか! この先は上位の魔物が巣食う『絶対死地』だぞ!!」
討伐隊の隊長が、森の境界線で忌々しそうに舌打ちをする。
「隊長、どうしますか!?」
「追うな! 我々まで魔物の餌食になる。……弓兵、威嚇で構わん、射掛けろ!
深手を負わせれば、あとは勝手に魔物に喰われて死ぬ!」
ヒュンッ!
放たれた一本の矢が、闇雲に走る刀真の肩を浅く掠め、鮮血が舞った。
「ぐっ……!」
「刀真くん! 血が……っ!」
「気にするな! 追手が止まった! とにかく走るんだ!!」
兵士たちの気配は消えた。
しかし、それと引き換えに、二人は「王国の兵士すら寄り付かない本物の絶望」の中へと足を踏み入れてしまったのだ。
血の匂いは、すぐに森の捕食者を惹きつけた。
――ガサッ。
背後の茂みが大きく揺れ、木陰からギラリと光る赤い双眸が覗いた。
体長三メートルを超える巨大な黒狼。
猟犬など比較にならない、純粋な殺意の塊だった。
「グルゥゥゥ……ッ!」
「……っ、今度こそ、終わりかよ」
刀真は絶望に顔を歪めながらも、萌音を庇うように前に出た。
手にあるのは、猟犬に突き立てて刃こぼれした短い小刀だけ。
黒狼が、獲物を屠るために強靭な後ろ脚で地面を蹴った。
――もう、ダメだ。
二人が強く目を閉じた、その時だった。
ピタリ、と。
襲いかかってくるはずの魔物の気配が、不自然に止まったのだ。
「え……?」
萌音が恐る恐る目を開けると、黒狼はそれ以上二人を追おうとせず、目に見えない「何か恐ろしいものの縄張り」を察知したように低く唸り声を上げ、尻尾を巻いて森の奥へと逃げ帰っていった。
「た、助かった……? あいつ、なんで急に……」
刀真が膝から崩れ落ち、荒い息を吐き出す。
魔物が追跡を諦める理由。
それは『さらに上位の捕食者の縄張りに入ったから』だということなど、王都育ちの二人に分かるはずもなかった。
「よかった……っ。刀真くん、私たち、生き延びたよ……」
萌音が涙ぐみながら、安堵の笑みを浮かべて刀真へ歩み寄る。
だが、彼らの本当の地獄はここからだった。
王都からの討伐隊は撒けたものの、ここは陽の光すら満足に届かない奈落の森の深部。
方向も分からず、二人はあてもなく森を彷徨い歩くことになった。
一日、また一日と時間が過ぎていく。
食べられそうな木の実すらほとんど見つからず、泥水をすすって命を繋ぐ。
萌音が死守しているボストンバッグの中には『米』があったが、「これは多目くんたちに渡すものだから」と、二人は決してそれに手をつけることはなかった。
そして、逃亡から四日目の昼。
極限の飢餓と疲労により、二人の意識は幻覚が見えるほどに混濁していた。
「……萌音。まだ、歩け、るか……?」
「うん……多目くんたち……きっと、この先に……」
足を引きずるようにして歩く二人。
萌音の王宮の制服は茨に引き裂かれてボロボロになり、刀真の肩の矢傷は化膿してひどい熱を出していた。
次の一歩を踏み出した、その瞬間。
――バキンッ!!
萌音の足元で、不吉な木の折れる音が響いた。
「えっ?」
「萌音!!」
地面だと思っていた枯れ葉の絨毯が、突如としてすり鉢状に崩落した。
それは、獲物を生け捕りにするために精巧にカモフラージュされた『落とし穴』だった。
「きゃあああっ!!」
「萌音! くそっ、俺の手を——うわぁっ!」
萌音の手を掴もうと身を乗り出した刀真もろとも、二人は深く掘られた暗い穴の底へと滑り落ちた。
ドスンッ、という鈍い音。
幸いにも底には大量の柔らかい枯れ草が敷き詰められており、骨折は免れた。
だが、矢傷からの出血と数日間の飢えが引き金となり、二人の意識は急速に暗闇へと沈んでいった。
「……だめだ、もう、力、が……」
薄れゆく意識の中で、刀真は天にポッカリと空いた穴の入り口を見上げた。
(……ごめんな、多目、福島。せっかく逃げてきたのに……俺たち、ここまでみたいだ……)
◇ ◇ ◇
「おっしゃー! 蒼汰、こっちこっち! 仕掛けが作動してるよ!」
その日の午後。
森の中で、楓菜の弾けるような明るい声が響き渡っていた。
ここは村から数百メートルほど離れた、楓菜が管理している罠の設置エリアだ。
この一ヶ月のサバイバル生活により、蒼汰たちは森を歩くことにかなり慣れてきていた。
「よし、じゃあ覗いてみるよー! うさぎかなー、鹿さんかなー♪」
楓菜がウキウキとした足取りで落とし穴の縁に立ち、ひょいっと下を覗き込んだ。
「…………えっ?」
楓菜の動きが、ピタリと止まった。
「どうした楓菜。鹿じゃなかったか?……って、おい」
蒼汰は自分の目を疑った。
深い穴の底。
枯れ草の上に折り重なるようにして倒れていたのは、魔物ではなく『人間』だったからだ。
全身泥だらけで、肩からは血を流し、服はボロボロに引き裂かれている。
だが、その泥の下にある見覚えのある顔立ちと、王都で支給された服の名残は、見間違えるはずもなかった。
「……ウソだろ。なんで、こんなところに」
「遠山くん!? それに萌音まで!!」
楓菜が悲痛な叫び声を上げた。
追放から一ヶ月。
まさかこんな死の森の真ん中で、王国の討伐隊を振り切り、何日も森を彷徨い抜いた恩人たちと再会することになるとは、誰も想像していなかった。
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