桜の下の劣等感と、開かない扉
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舞い散る淡いピンクの花びらが、紙コップの水面にふわりと舞い落ちた。
春の陽気が心地よい、昼下がりの懐かしいような、そうでもないような校庭。
高校卒業という節目を祝うため、母校の中学校が粋な計らいで貸し出してくれた古い木製の机と椅子が、満開の桜の木の下にいくつか並べられている。
あちこちで弾ける笑い声の渦から逃れるように、多目蒼汰は少し離れた木陰の席に背中を預けていた。
「……あー、早く帰りたい」
「同感だ。そもそも、屋外での飲食なんて不衛生の極みだよ。
花粉や砂埃の飛散量もさることながら、上空から落下してくる虫の混入リスクを考えれば、あのオードブルはすでに危険地帯だ」
蒼汰の隣で、神経質そうに眼鏡の位置を直しながら吐き捨てたのは、唯一の友人である梶原理人だ。
理系の秀才であり、重度の潔癖症。
彼は先ほどから、持参した除菌シートで自分のペットボトルを執拗に拭き続けている。
「じゃあ、なんで来たんだよ理人」
「君が来るって言ったからだよ、蒼汰。
僕一人で欠席して、陰で『付き合いの悪いオタク』というレッテルを貼られるのは不本意だからね。
それにしても……三年間という時間は、人間を成長させるには短すぎるらしい」
理人の冷ややかな視線につられて、蒼汰も中心の机へと目を向けた。
制服を脱ぎ捨て、少し背伸びをした私服やメイクに身を包んでいても、そこにある『空気』は中学時代と一ミリも変わっていなかった。
「おっしゃ! 桜も最高だし、やっぱ地元はいいな!」
ひときわ大きな声を上げている男。
元サッカー部の絶対的エースであり、クラスの中心だった神宮寺勇輝だ。
端正な顔立ちと陽気さは健在で、彼の周りには自然と人が集まっている。
「ねえ勇輝くぅん、ちょっと日差し強いからこっち来て? 一緒に写真撮ろ?」
甘ったるい声を出しながら、神宮寺の隣をキープしているのは西園寺美海だ。
高校に入ってからティーン誌の読者モデルとしてデビューした彼女は、あからさまな『勝者のオーラ』を纏い、マウントを取るように周囲の女子たちを見下ろしている。
だが、そんな西園寺の必死なアピールすら霞んでしまうほど、誰もが目を奪われる存在が、その輪の中心にいた。
「ふふっ、美海ちゃん、そのワンピースとっても似合ってる。春らしくて素敵だね」
冨永乃亜だ。
今春から聖ティアラ大学の看護学部に進学するという声が、ちらっと聞こえた。
艶やかな黒髪のロングヘアに、派手さはないが品の良さが際立つ春物のブラウス。
誰に対しても分け隔てなく接する優しい笑顔は、中学時代から変わらない。
いや、高校生活を経て、彼女の美しさはさらに洗練されていた。
西園寺がどれだけライバル心を燃やして着飾ろうと、冨永の天性の魅力と優しさの前では、不思議とすべてが空回りして見えた。まさに『高嶺の花』だ。
(……やっぱり、住む世界が違うな)
蒼汰が自嘲気味に息を吐いた、その時だった。
神宮寺と、その親友である山城翔也が、木陰にいる蒼汰たちに気づいて足を止めた。
「お、なんだ。多米と梶原じゃないか。お前ら、そんな隅っこで何ひっそり飲んでるんだよ」
神宮寺が、悪気のない無神経な笑顔で声をかけてくる。
その後ろから、元生徒会長の山城が知的な笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
他人を値踏みするような、計算高い双眸は相変わらずだ。
「まあいいじゃないか勇輝。人にはそれぞれ居心地の良い場所がある。
……そういえば梶原、お前は昔から成績だけは良かったよな。進路はどうしたんだ?」
山城の言葉の端々には、明確な優越感が滲んでいた。理人が眼鏡を指で押し上げ、淡々と答える。
「私立の京王大学の理工学部だ。あそこの化学ラボは国内トップクラスの設備だからね」
「ほう、京王か。悪くない。俺は東阪大の法学部だ。ゆくゆくは官僚か、親父の跡を継いで政界に出るつもりだからな」
訊かれてもいない自分の進路を堂々と告げる山城。
周囲の女子たちから「えー、山城くん凄ーい!」「超エリートじゃん!」という黄色い声が上がる。
西園寺も「さすがだねぇ」と媚びるような視線を送っていた。
山城は満足げに頷くと、ふと、その視線を蒼汰へと向けた。
「で? 多目はどこ行くんだ。お前、これといって目立つ成績でもなかったし、確か剣道部の万年補欠だっただろ。どこか引っかかったのか?」
空気が、ピタリと止まった。
神宮寺も、西園寺も、そして会話に気づいて振り返った冨永も、一斉に蒼汰に注目する。
「……俺は」
蒼汰は、紙コップを虚しく握りしめた。
嘘をつくこともできた。
だが、この圧倒的なカーストの強者たちを前に、見栄を張る気力すら湧かなかった。
「……浪人、だよ。どこも受からなかったから、予備校に通う予定だ」
正直に告げた瞬間、西園寺が「ぷっ」と小さく吹き出す音が聞こえた。
山城は可哀想なものを見るような目で、大げさに肩をすくめた。
「そうか。まあ、人にはペースというものがある。来年は受かるといいな、多目」
「ああ……」
居たたまれなさに、蒼汰が俯きかけた時だった。
ふわりと、フローラルな良い香りが近づいてきた。
「多目くん」
顔を上げると、冨永乃亜が目の前に立っていた。
彼女は西園寺たちの嘲笑うような空気を全く気にする素振りもなく、蒼汰の目を真っ直ぐに見つめて微笑んだ。
「浪人するってことは、妥協せずに高い目標を持ってるってことだよね。
多目くん、昔から芯が強いところあったから。
……私、そういうのすごいと思う。来年、頑張ってね」
その言葉には、一片の嫌味も同情も混じっていなかった。
彼女は本当に、心から蒼汰を応援してくれていた。
「あ、ありがとう……冨永さん」
蒼汰は顔が熱くなるのを感じながら、蚊の鳴くような声で礼を言うのが精一杯だった。
冨永乃亜。優しくて、美しくて、誰にでも平等な彼女。
だが、その『平等な優しさ』こそが、蒼汰には残酷だった。
彼女の手の届かない眩しさと、己のちっぽけな惨めさが、より一層浮き彫りになるからだ。
「よし! そろそろ日も傾いてきたな!」
神宮寺が、パンパンと手を叩いて会場の注目を再び集めた。
「せっかく学校の許可も取ってあるんだし、オードブルも食べ終わったことだ。
二次会のカラオケに行く前に、みんなで『3年A組』の教室に行ってみようぜ!」
「えー! 教室入れるの? 超エモい!」
「先生が鍵開けてくれてるんだよ。最後に、あそこで全員で黒板の前で写真撮ろうぜ!」
神宮寺の提案に、クラスメイトたちは「行く行く!」と歓声を上げて校舎へと歩き出した。
ため息をつく理人と共に、蒼汰も重い足取りで群れの最後尾に続いた。
◇ ◇ ◇
「うわー、懐かしい! 私の席ここだった!」
「おい、窓枠にまだあの時の落書き残ってんぞ!」
夕日に染まる3年A組の教室は、三年前の記憶を鮮明に蘇らせるノスタルジーに満ちていた。
窓際の席で神宮寺や西園寺たちが盛り上がる中、蒼汰と理人は廊下側のスライドドアのすぐ近くに立ち、早くこの茶番が終わらないかとうんざりしていた。
「さぁて、写真も撮ったし、次は駅前でカラオケだ!」
神宮寺が声を張り上げ、クラスメイトたちが一斉に帰り支度を始める。
(やっと帰れる)と安堵した蒼汰は、誰よりも早く教室を出ようと、背後にあるスライドドアの取っ手に手を掛けた。
ガタッ。
扉が、動かない。
蒼汰は眉をひそめ、もう一度力を込めて引いた。
ガタガタッ。やはり数ミリも動かない。
鍵でもかかっているかのように、完全に固定されている。
「……おい多目、何やってるんだ」
もたつく蒼汰を見て、山城が呆れたような声を出した。
「ドアが、開かないんだ」
「はっ、お前は本当に昔から不器用というか、何をやらせてもダメだな」
「高校を出ても、『ダメそうだ』なのは相変わらずだな」
山城は鼻で笑うと、蒼汰をどかして自らドアの取っ手を握った。
「貸してみろ。こうやって少し上に持ち上げながら引けば――」
ガタッ! ガンッ!
山城が力任せに引いても、扉はびくともしなかった。
山城の余裕のあった表情から、すっと笑みが消える。
「……どういうことだ。何かが引っかかっているのか?」
「ねえ、後ろのドアも開かないよ!?」
後方のドアに向かった女子生徒が、ガチャガチャと取っ手を揺らしながら叫んだ。
理人が弾かれたように窓際へ向かい、鍵を開けて窓枠を押し開けようとする。
「……駄目だ。窓も開かない。まるで、溶接でもされているみたいに完全にロックされている」
「えっ、嘘でしょ? 誰か外からイタズラしてるんじゃないの!?」
西園寺が甲高い声を上げるが、廊下には誰もいない。
夕焼けの赤色が教室を不気味に染め上げる中、20人の間に、じわじわと『異常事態』への理解が浸透し始めていた。
「おい、冗談だろ……? 開けよ、おいッ!!」
神宮寺が蹴り飛ばしても、山城が体当たりをしても、教室の扉は一切の音を立てなかった。
生ぬるかった同窓会の空気が、急速に冷え込んでいく。
正体不明のパニックが、静かに、確実に、元3年A組の教室を侵食し始めていた。
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