奈落の森。死地の足音と、腹ペコの英雄
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ズシン。
鬱蒼とした木々の奥から、大地を揺らす重い足音が響いた。
ただの野生動物ではない。
圧倒的な質量と、明確な『殺意』が森の空気をビリビリと震わせている。
「……っ! 隠れろ! あの倒木の陰だ!」
蒼汰の声なき指示に、4人は血の気を引かせながら、苔むした巨大な倒木の裏へと身を滑り込ませた。
乃亜が、怯えて嘶きそうになる駄馬のカヌレの鼻面を、両手で必死に押さえ込んで息を殺す。
理人も楓菜も、冷や汗を流しながら倒木の隙間から森の奥を凝視した。
ズシン。
バキィッ!
太い木の幹が飴細工のようになぎ倒され、薄暗い森の奥から『それ』が姿を現した。
四つん這いの状態でも体高が二メートルを優に超える異形の獣だった。
全身を覆うのは、鋼鉄のように黒光りする体毛。
熊と猪を掛け合わせ、さらに悪魔の意匠を施したような悍ましい姿をしている。
(後に彼らは、この絶望の権化が『凶暴熊猪』と呼ばれる恐ろしい魔物であることを知るのだが、今の4人には知る由もなかった)
(なんだよ、あれ……ゲームのバケモノじゃないか……っ)
蒼汰は息を呑み、刀真が研いでくれた鉄剣の柄を力強く握りしめた。
獣は鼻をフンフンと鳴らし、周囲を警戒するようにゆっくりと歩を進めている。
――やり過ごせる。このまま風下が続けば、匂いに気づかれない。
誰もがそう祈った、次の瞬間だった。
森に吹き込んでいた風の向きが、ふわりと変わった。
「ピタリ」と、獣の足が止まった。
そして、その巨体からは想像もつかない俊敏さで、音もなく横へ跳躍したのだ。
ドスッ! と、蒼汰たちが隠れている巨大な倒木の上に、重い質量が着地する。
「う、嘘だろ……」
ゆっくりと頭上を見上げる。六つの赤い眼球が、倒木の下に隠れ潜む獲物たちを、ハッキリと見下ろして定めていた。
「散れッ!!」
蒼汰が叫ぶと同時、獣が倒木を粉砕しながら突っ込んできた。
間一髪で左右に飛び退く4人。カヌレはパニックを起こし、手綱を振り切って森の奥へと逃げていく。
「グルルルルァァァッ!!」
生臭い風が、鼓膜を劈くような咆哮と共に叩きつけてきた。
「ひっ……!」
突き飛ばされるように転がった冨永乃亜の喉から、悲鳴ともつかない乾いた音が漏れる。
粗末な木の杖を握りしめながら、彼女は地面にへたり込んでいた。
獣は逃げた馬には目もくれず、最も隙だらけな乃亜へと標的を定め、前足を高く掲げる。
「ふざけんな……っ! なんだよあの質量! 生物学的にあり得ないだろ!」
理系の秀才である梶原理人が血の気の引いた顔で叫ぶが、恐怖で指先が痙攣し、手にした薬瓶の蓋を開けることすらできない。
「梶原くん、下がって! ……だめっ、速すぎて狙えない!」
楓菜が『鷹の目』で筋肉の動きを読み、ギリィッと猟弓を引き絞って矢を放つ。
だが、粗悪な木の矢は分厚い皮膚に弾かれ、カラカラと虚しい音を立てて地に落ちた。
その一撃が、獣の明確な怒りを買った。
六つの赤い眼球が、射手である楓菜をギロリと睨み据える。
「……っ!」
ダンプカーのような質量の獣が、凄まじい速度で楓菜へと突進した。避ける間などない。
楓菜が死を覚悟して目を閉じた、その瞬間。
「くそっ、非論理的な……! 退け、福島っ!!」
いつもは冷徹な理人が、己の身を呈して楓菜を力強く突き飛ばした。
直後、獣の巨大な前足が理人の身体を掠める。
「がはっ……!!」
まるで丸太で殴られたかのように、理人の細い身体が宙を舞い、地面を派手に転がった。
「梶原くんっ!?」
楓菜が悲鳴を上げる。理人は苦痛に顔を歪め、右腕で自身の左腕を抱え込んでいた。
獣の爪に深くえぐられた左腕からは、ドクドクと夥しい量の血が流れ出している。
「いや……っ、梶原くん! しっかりして!」
あまりの恐怖にへたり込んでいた乃亜だったが、血を流す理人の姿を見た瞬間、震える足に鞭打って駆け寄った。
「今、洗うから! お願い、止まって……っ!」
乃亜は両手を理人の傷口にかざし、必死に『清掃婦』のスキルで清らかな水をあふれ出させた。
彼女にはまだ傷を塞ぐような治癒の力は発現していない。
それでも、泥と細菌を防ぐために必死に傷口を洗い流し、自分の服の裾を破ってきつく縛り上げた。
「……すまない、冨永。だが、逃げろ……次が、来る……っ」
顔面蒼白になった理人が、苦しげに息を吐く。
獣はすでに体勢を立て直し、手負いの理人たちへと狙いを定めていた。
(死ぬ)
直感でそれを悟った乃亜が恐怖に目を閉じた、その瞬間。
「――後ろに下がってて、冨永さん!」
静かな声と共に、彼女たちの前にふらりと歩み出た影があった。
蒼汰だった。
彼の両膝は、恐怖でガタガタと無様に震えている。
それでも彼は、刀真の研いだ『なまくら刀』を正眼に構え、巨大な獣を真っ向から睨みつけていた。
彼の視界の右下には、赤い警告のように『満腹度:38%』という文字が点滅している。
(この二週間、俺たちを散々ゴミみたいに扱って、笑って見捨てたあいつらに……)
(理人が血を流して、冨永さんが泣いてるのに、こんな所で死んで、喜ばれてたまるかよ!)
「ガアァァァッ!!」
獣が咆哮と共に突進してくる。
蒼汰は逃げなかった。
恐怖を怒りで塗り潰し、真正面からなまくら刀を振り下ろす。
「おおおおぉぉぉッ!!」
ガキィッ!! という鈍い音が響き、蒼汰の手首に激痛が走る。
刃は皮膚を裂くどころか、鋼鉄のような毛皮に弾き返された。
すぐさま横凪ぎに剣を振るう。
ガギンッ!
弾かれる。
踏み込んで突きを放つ。
だが、それすらも分厚い筋肉の鎧に阻まれた。
「ハァッ、ハァッ……!!」
剣を振るうたびに、尋常ではない疲労と飢餓感が蒼汰の身体を襲う。
獣が煩わしそうに前足を振り上げ、巨大な顎が、蒼汰の頭部を丸呑みにしようと開かれた――その刹那。
蒼汰の脳内に『声』が響いた。
《条件を満たしました。奥義『陽炎』が発動可能です》
《※警告:当スキルは魔力の代わりに、術者の『摂取カロリー(満腹度)』を極大消費します》
(陽炎?なんだ今の声は?でもこれに賭けるしかないっ!)
「燃えろ……ッ!!」
蒼汰が、最後の一撃を振り抜く。
全身の毛細血管から熱が噴き出し、体内の残された『熱量』のすべてが限界まで抽出され、刀身へと集束していく。
黒く錆びついていた刃が、突如として太陽のように眩い赤熱の光を放った。
「――シィッ!」
下から上への、渾身の斬り上げ。
絶対的な超高温を帯びた一撃は、鋼鉄の体毛も分厚い皮膚も一切の抵抗を許さず、巨大な獣の顎から脳天までを、音もなく両断した。
ドズゥンッ……!!
致命の一撃を受けた獣は、左右に真っ二つに割れて地面に崩れ落ちた。
「嘘だろ……あんな化物を、一撃で……?」
理人たちが信じられないものを見る目で息を呑む中、蒼汰の視界では残酷な赤い警告文が点滅していた。
【満腹度:0%】
【警告:極度のカロリー欠乏。生命維持モードへ移行します】
「……っ、あ……」
極度の飢餓感と目眩が意識を刈り取り、前のめりに倒れ込む蒼汰。
「多目くん!」
間一髪でその身体を抱きとめた乃亜の腕の中で、蒼汰はうわ言のように、か細い声で呟いた。
「お腹、すいた……」
「満腹度、ゼロになっちゃった……。ハンバーグ食べ……」
無残な死闘の結末とは思えないその一言を残し、そのままカクンと首の力が抜け、蒼汰の意識は完全に途切れてしまった。
「多目くん! 多目くん、しっかりして!」
乃亜が青ざめた顔で蒼汰の頬を叩くが、反応はない。
彼の身体は氷のように冷たくなり、呼吸も弱々しくなっていた。
深い森の中。
血を流す理人と、飢餓で意識を失った蒼汰。
残されたのは、ただ震えるだけのハズレ職の少女二人。彼らは、真の絶望の淵に立たされていた。
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