44.喪失
――放課後の武錬場、武錬クラブ。
基本の型のおさらいをしているゲルダを眺めながら、一勝負を済ませたフィルとフレドが並んで壁際に腰を下ろし、ゲルダを眺めていた。
フレドは特に表情を変えずに話を聞いていた。
「――それで、俺にも王宮に滞在しろと?」
フィルが意外そうな顔でフレドの顔を見る。
「その通りだが、驚かないのか?」
「……この国の状況が異常なのはとっくに分かっていた。聞こえてくる話でも、攻めてくるメリットが敵国にない。ならば狙いは絞られる。予想の範囲だから驚かない。それだけだ」
「それでどうだ? 応じられるか?」
「ああ、構わん。明日から共に帰ってやる。ナディアも来るんだろう? ならば馬車はもう少し大きいものでやって来い。六人乗りじゃ定員オーバーだー」
フィルが眉をひそめた。
余りにも素直過ぎると感じたのだ。
「クラインが心配ではないのか?」
フレドは肩をすくめた。
「一度攫われてるからな。父上も姉さんの警護は厳重にしている。例え手を出されてもすぐに分かる程度にはな。侯爵家が全力で当たれば、襲われても姉さんを逃がす事ぐらいはできるだろう。その代わり、万が一攫われた時にはお前らも全力で協力してくれ」
フィルが頷いた。
「それは当然だ。では明日からお前も合流ということだな。客間の準備は済ませておこう。これでゲルダの周りの戦力が常に行動を共にする事になる。学院の時間帯はナディアさんが居ないが、それは仕方がないな」
「俺とトビアスが居る。ナディアが居ない穴くらいは塞いで見せるさ」
頷いたフィルが立ち上がり、他のクラブメンバーに誘われて組手を始めた。
フレドはただ静かに、稽古を続けるゲルダを見つめていた。
****
――夜のモフィス侯爵邸、クラインの部屋。
ノックをしても気づかない程、執筆に熱中になっているクラインの背中にフレドが声をかける。
「姉さん、明日から俺は王宮に滞在する事になった。戻ってくるのはいつになるか分からない」
クラインが執筆の手を止め、振り返る事なく応える。
「――そう、アデラガルト王女を守る為かしら? くれぐれも”しっかり”ね。失敗しないように気を付けるのよ? 私の事は心配しなくて大丈夫よ」
フレドが静かに頷いた。
再びクラインは鼻歌を歌い、楽しそうに執筆を再開した。
フレドはその背中をしばらく見守った後、静かに部屋から出ていった。
****
――夜の王宮、ゲルダの客間。
そこにはフィルを含め、全員が揃ってコーヒーを飲む姿があった。
週に一度くらいの頻度で、私たちは食後に集まってコーヒーを飲むようにしていた。
フィルが私に向かって告げる。
「明日からフレドが王宮に滞在します。夕食もトビアスを含め、全員で取る方が良いでしょう。僕もなるだけゲルダさんと共に食事を取りましょう」
私は目をぱちくりと瞬かせ、小首を傾げて尋ねる。
「フレドも滞在するの? でもフレドには自分の家があるじゃない」
「貴方は深く考えなくても大丈夫ですよ。ですがお知らせだけはしておこうかと思いまして」
フィルの優しい青空の瞳をじーっと見る。
このパターン……何も教えてくれない目だな。
トビアスやナディア、ティナやアーネも同じ目をして私を見守ってる。
深く考えるなと言われてしまったけれど、ならば浅く考えればいいのだ!
私は”なんとなく”思いついたことを口にする。
「私を守る為、なのかな?」
フィルの微笑みが苦笑に変わった。
――だって、よく考えなくてもそれ以外に理由なんてなさそうだし。
「その通りです。王宮内は警護が厳重ですが、学院との往復が心許ない。軍隊を連れて行くわけにもいきませんが、多少の随行騎兵を増やした程度でどうにかなるとも思えない。ならばフレドも共に居てくれた方が安心できるという判断です」
うーん、とってもピリピリしてる感じだ。
なんでそんなにピリピリしてるんだろう? なんだかよく分からない。
ナディアが静かに私に告げる。
「今夜からは夜も礼拝堂で祈りを捧げてみて欲しいと、レッド公爵から言伝を預かっています。それで少し様子を見たいそうです」
「夜も? 王宮の礼拝堂でいいのかな? ここの礼拝堂はそんなに太い霊脈じゃないけど、それでいいって言うならいいよ?」
ナディアがゆっくりと頷いた。
「その際には全員で傍に控えさせていただきます――フィリップ王子、トビアス、構いませんね?」
フィルとトビアスが頷いた。
フィルがみんなに提案する。
「これからは夕食時にみんなが集まる。夕食が終わったらその流れで礼拝堂に行くのが無駄がないだろう」
みんなが頷いたので、私も頷いておく。
私に反対する意見がある訳じゃないし。
その日はコーヒーを飲み終わると解散となり、フィルとトビアスは部屋に戻っていった。
私は竜酔草を浮かべたお風呂に入り、心地良い時間を過ごしていた。
「ん~この甘い香り、やっぱり癒される~」
ほこほこに暖まってからナディアに術式で髪を乾かしてもらい、私は寝床に潜り込んだ。
****
――朝の学院。
フレドを迎えた日々にもすぐに慣れ、季節は初冬を迎えていた。
竜の性質を持つらしい私は寒さに弱い。
巫女のローブは寒さもかなり遮ってくれるけど、ローブからはみ出た手足はとっても冷たくて辛い。
冷え切った地面に足をつかなくて良いフィルのお姫様抱っこの刑は、この季節になると有難味すら感じた。
それを口にしたらトビアスが「では手は私が暖めましょう」と手を握ってきてはフィルに睨まれて引き下がるなんて場面もあった。
フレドはそれを見て「俺なら全身を温めてやれるがどうする?」と言ってきて、ティナとアーネに殺気立った目で睨まれていた。
私はそんな暖かい日常を送りながら、霊脈の修復を待ち侘びている。
礼拝堂の祭壇前で祈りを捧げながらふと思い出した。
前にナディアが”以前と変わりがないか”と聞いてきた事があったっけ。
自分の祈りを後ろから眺めるような気持で観察しつつ、祈りを捧げていた。
――んー? なんだか祈りの先に、うっすらと誰かがいるような感覚がする?
霊脈が修復され始めてだいぶ経つ。そろそろ創竜神様の気配をうっすら感じ取れるようになったのかなぁ?
試しにその”誰か”に祈りを捧げてみると、とても喜んでいるような気がした。
だけどその”誰か”が創竜神様なのか、よくわからないまんまだ。
――創竜神様ー? 聞こえるー?
その”誰か”から返事が返ってくることはないみたいだった。
まだ霊脈の修復が終わってないからかなぁ。
その日の礼拝も無事終わり、私は立ち上がってみんなに振り返る。
「じゃあ戻ろか!」
戻りながら、フレドがクリスさんに尋ねた。
「クリス、姉さんの様子に変わりはないか?」
クリスさんは肩をすくめて応える。
「もうほとんど授業はないわ。私みたいにクラブに顔を出す生徒以外は登校しないのが普通よ。クラインもずっと家に籠ってるみたいね」
「そうか……」
フレドが少し俯いて返事をしていた。
やっぱりシスコンのフレドとしては、クラインさんの無事が気になるのかな?
毎週の神殿への礼拝の時も、フレドだけが自宅に帰ってクラインさんの様子を見に行ってるくらいだし。
「そんなに気になるなら、今日は武錬クラブを休んでみんなでクラインさんに会いに行ってみる?」
フレドは少し考えた後、首を横に振った。
「……いや、その時にお前が狙われないとは限らない。お前の傍に姉さんが居る方が俺には困る」
あー、それもそっかー。
フィルがフレドに提案する。
「それなら、今度の王宮の夜会で会えるはずだ。グスタフ・アスタフェイ侯爵子息がクラインをエスコートすることになっていたと思う。王宮なら襲われる危険性はまずないだろう」
王宮は強い兵士さんや魔導士さんも多いし、簡単に崇拝者がやってこれる所ではないよね。
外から崇拝者がやってくればすぐわかるから、奇襲されるって事はないはずだし、その時に私が加護を振りまけば被害も少なそうだし。
でも夜会って?
私はフィルに尋ねてみる。
「なんの夜会なの? フィルって私の歓迎夜会を最後に、今年は夜会を全部欠席してたよね?」
国王の誕生日を祝う夜会ですら”お前はアデラガルト王女を優先しなさい”と言われて欠席が許されたらしい。
それでいいのかゲシュテール王国第三王子。
まぁフリートベルク王国第二王女の私が言えた事ではないんだけど。私もあの日以来、一度も夜会に参加してないし。
フィルが苦笑しながら応える。
「僕の誕生日を祝う夜会ですよ。さすがにこれは欠席できません。ゲルダさんもよければ出席してください。他の令嬢を断る良い口実になるので」
む、他のご令嬢……フィルの傍に他の女性が近寄るのは阻止したいな。
夜会は嫌いだけど、むむむ、と悩んだ末に私は結論を出す。
「いいよ! その夜会、みんなで出席しよう! 私も久しぶりにクラインさんに会いたいし! ――ところで、そのグスタフ・アスタフェイ侯爵子息ってだーれ?」
フレドがニヤリと笑って応える。
「姉さんの婚約者だよ。相手は卒業と同時に婚姻する予定らしい。姉さんは”まだ婚姻までは”と言って少し渋ってるけどな。それなりに有能で、それなりに美男だ。姉さんを預けるのに不足はないと俺は思う」
「シスコンのフレドがそういうんだから、とっても優秀で、とってもかっこいい人なんだろうね……」
「うるせー!!」
顔を真っ赤に染めたフレド以外が明るく笑いながら、私たちは午後の授業を受けに教室に戻っていった。
クリスさんだけは武錬場に行き、午前から引き続き汗を流すみたい。
私とフィル以外はもう誕生日を迎え、十六歳になっている。
フィルも今度十六歳になるから、十五歳は私だけになっちゃうな。
私は冬の終わりの生まれだ。
その時には創竜神様から”おめでとー”って毎年の挨拶をしてもらえるといいんだけどなー。
****
――朝、休日の神殿。赤竜の客間。
礼拝が終わった私は、コーヒーを飲みながら、赤竜おじさまに尋ねてみる。
「ねぇ赤竜おじさま。前に”夜も礼拝してくれ”って言ってから結構経つけど、なにか分かったの?」
赤竜おじさまが静かに応える。
「そうだね。少しだけ分かった事がある。だが、お前に教えられることはまだないかな――さぁ、今日も飴を当ててみようか。明るい気分で、自分を信じて当ててごらん」
赤竜おじさまが差し出した両拳を、私は真剣な目で凝視して見比べていく。
「ん~~~~~、こっち、いやこっちかな?!」
私は迷った末におじさまの右拳を指差した。
おじさまが拳を広げた中身は、空っぽだった。
私はがっくりと肩を落とす。
「今日も外れかー。なんだか最近調子が悪いなぁ」
赤竜おじさまは静かに微笑んで応える。
「そういう事もあるだろう。だがゲルダ、今日は午後も祈りを捧げて行きなさい。だが日が暮れる前に帰るんだ。いいね?」
「はーい!」
私の右手が元気よく天を突いた。
****
ゲルダがナディアと共に礼拝堂に消えてから、赤竜は笑みを消した。
その気配からは覇気らしい覇気は失せている。
トビアスが真剣な目で赤竜に尋ねる。
「赤竜、相当具合が悪そうですが、大丈夫なのですか?」
赤竜が弱々しい苦笑を浮かべる。
「大丈夫かと問われてしまうと、正直な所”全く大丈夫ではない”と応えるしかないな。満足な補給ができない状態でだいぶ経つ。今の私は、魔導術式をまともに使うこともできない。人の姿を保つのが精一杯だ。この術式も、いつまで保っていられるかは分からない。維持できなくなれば、この街には居られないかもしれないな」
フィルが深刻な顔で尋ねる。
「さっきもゲルダは飴玉を当てることが出来なかった。この意味は何なんですか?」
「今のゲルダに巫女の直感が働いていない事を意味する。明るい気分で自分を信じてさえ、巫女の直感が働かないのだ――本来であれば二択だ、直感が働かなくとも何度かやれば当てる事もできるはずだが、最近は一度も当てることが出来ていない。それは即ち、あの子が創竜神様の加護から見放されているという事実に他ならない。現在のあの子は竜の巫女の資格を、完全に喪失してしまったのだ」
竜の寵児が創竜神の加護から見放される――看過できない事態だと言える。
尋常ではないことが起こっているはずだが、トビアスにはその兆候を感じ取ることが出来なかった。
敵の影すら見えず、赤竜とゲルダの力が削ぎ落されるのを、ただ黙って見守るしかできなかったのだ。
現在の二人は、既に完全に無力化されていると言っていいだろう。
敵の用心深さと徹底ぶりに舌を巻くほかはなかった。
トビアスがしばらく思案してから赤竜に尋ねる。
「……午後も祈りを捧げろ、という指示の意味は何ですか?」
「あの子の祈りがどこに届いているのか、間近で確認しておきたくてな。術式を使えればすぐにわかったんだが――午前だけでは追いきれなかった。だが間違いなく、祈りが創竜神様に向かっていない。あの子は別の何かに向かって祈りを捧げている」
フィルとトビアスが愕然とする――竜の寵児の祈りが、創竜神に向かっていない?
「それはどういう意味か説明してください。誰に向かっていると考えているのですか」
赤竜が厳しい顔で応える。
「おそらく、復活した悪魔だろう。侯爵級の悪魔の中でも上位に位置する悪魔だ。名前を知るだけで魂が穢れる可能性がある。お前たちは名を知らぬ方が良い」
トビアスの精霊眼が、赤竜を見つめた。
「既に……復活している?」
赤竜が頷いた。
「ああそうだ。その可能性しか考えられない。今、あの子の祈りが悪魔に捉われ、悪魔を肥やす為に注がれているのだろう。こちらが打つ手の全てで裏をかかれた。悪魔に祈るあの子は創竜神様の巫女の資格を失った状態だ。それどころか敵対する側として在る。創竜神様の愛自体は変わらぬが、それをあの子に与えてやることが出来ないのだ。あの子が捉われた状態から脱し、再び創竜神様へ祈りが届くように成れば加護が戻るだろう。だが今のあの子は、魔力が強いだけの普通の少女でしかない。竜の魔導術式は使えるが、創竜神様の加護を祈ることはできないだろう」
事態はトビアスの予想をはるかに超えた状態にあった。
精霊眼の彼ですら、その動揺を隠しきれない。それほど狼狽えたのが傍目にわかった。
悪魔が復活しており、ゲルダがその手先として捉われた状態になるなど、誰一人夢にも思わなかったのだから。
トビアスが更に尋ねる。
「その復活した悪魔はどこに居るというんです? 復活したのに動きがみられないのは何故だと考えますか?」
赤竜は首を横に振った。
「奴らの考えは分からないね。どこに居るかも、完全に追えるものではないだろう。だがこのままゲルダに祈りを捧げさせていると悪魔の力が増す。放置していても封印の力が弱まる状況だ。どちらを選ぶべきかは今見極めているところだが、捉われたあの子が抜け出す糸口が見えない以上、後者がマシと言えるだろう――私たちの打った手が裏目に出たというのであれば、その打った手に糸口があるはずだ」
フィルがしばらく考えた後、顔をしかめて独り言ちる。
「……フレドか。あいつを王宮に滞在させたのが最も大きい手だ。僕たちがゲルダの守備を固めるように仕向け、フレドが常に傍に居るようにしたということか」
トビアスも思案しながら口を開く。
「そういえばフレドだけは、”姉さんの様子を見る”と言って、決して神殿で赤竜と会おうとしませんでしたね。赤竜と顔を合わせたら困る事があったのでしょう――この後、帰りにフレドが合流します。そこで引き返して赤竜と会わせましょう」
赤竜が首を横に振る。
「もう遅い。今の私にはフレドが悪魔崇拝者か見極める術がない。ゲルダに≪水竜の浄水≫を使わせてもいいが、今の悪魔の力とあの子の置かれた状況を考えると、フレドが耐える可能性が高い。やるだけ無駄だ――私は完全に無力化されてしまった。今回、もう私を頼ることはできないと思ってくれ」
そこまで赤竜が衰弱していると思わなかったフィルとトビアスの顔が蒼褪める。
”崇拝者如き敵ではない”と陽気に笑って断言して見せた赤竜の姿は、そこにはなかった。
竜の寵児と赤竜の力に頼らず、復活した悪魔を倒さねばならない。
トビアスが赤竜に尋ねる。
「……今の我々の戦力で、悪魔を倒すことは可能だと思いますか?」
「あの子には≪火竜の加護≫と≪火竜の息吹≫がある。これ以上悪魔に力を付けさせなければ、滅する力だけは届くだろう。だがそれ以外は生身で戦わねばならない。とても分が悪い戦いとなる」
切り札を当てれば勝つ可能性があるが、身を守る術がないまま悪魔と向き合わねばならない――萎縮するなという方が無理というものだろう。
頼れるのは己の力のみだが、それで悪魔と崇拝者の攻撃を凌ぐ自信は、フィルとトビアスにはなかった。
フィルが赤竜に尋ねる。
「ゲルダの魔力は悪魔を浄化する聖属性だったはず。その魔力を込めた祈りを力にする事が、悪魔に出来るのですか?」
「そこが私にも分からないところだ。奴らしか知らぬ邪法があるのかもしれん――どうやらゲルダの祈りを追う力すら、今の私には足りないようだ。あの子を呼び戻してきなさい。これ以上あの子に祈らせてはいけない」




